岩波版『大衆の反逆』アマゾン・カスタマーレビュー

(日付順)


※無論、肯定的に、善意に評していただいたもののみのご紹介である。


POOH太郎
試論・共生への意志
2021年8月31日

オルテガの名著『大衆の反逆』、本著は80年も前に刊行されたものだが第一次世界大戦後、アメリカ・ロシアが台頭するなかで同時代に蔓延するヨーロッパ人の無自覚で泰平的なふるまいに対して警鐘を鳴らすオルテガ渾身の著といえる。
それは大衆が社会勢力の中心的存在となっている状況に対して、社会的政治的文化的な危機意識と同時に西欧文明の歴史と権力のあり方について分析を企てる強いメッセージと鋭いまなざしで切り込む批判精神に貫かれている。それにしてもオルテガが現代のSNSネット社会を想定していたとも思えないが、そのリアリティは新型コロナ感染拡大に喘ぐ現代社会の様相とみごとに一致しているように思えるのはどういうことだろう。本著でオルテガが提起した問題意識はそのことをさらに意識させる。
オルテガは「大衆の反逆」の刊行に遡ること9年、1921年には「無脊椎のスペイン」という重要な著作を刊行している。ここでいう無脊椎とはまさしく大衆そのものであることは容易に想像できるのだが、そもそも大衆とは何か、その反逆とは何を意味しているのだろう。

資本主義の終焉というべきか今日の新自由主義とグローバリズムはその末期的症状のようでもありきわめて必然的な結果といえないだろうか。それこそトランプ政権やアベ・スガ政権の誕生を招いた反知性主義の台頭こそオルテガの指摘する大衆とみごとに重なってくるのだ。
つまり、眼前の利益や快楽にならされるように自らの意志をもつこともなく場当たり的にふるまう大衆が社会的権力の中心に躍り出たことに危機感をもって注意を促している。彼らは歴史に学ぶことをしない。それゆえに、個体を超えた英知に学ぶことをしない。彼らは今ある自由を手にするまでにどれほどの歴史を必要としたかその事実を知ることもなく、自らに与えられた特権のようにふるまうだけの根なし草のような《満足しきったお坊ちゃん》だとオルテガは主張するのだ。
本著は1930年刊行の本文「大衆の反逆」に加えて、「フランス人のためのプロローグ」と「イギリス人のためのエピローグ」をその前後に収録して2020年に岩波文庫から刊行されたもので、訳者は佐々木孝さん。佐々木氏が亡くなる5日前に息子佐々木淳氏に託されたこの遺稿はそういう経緯で刊行されたことが「訳者あとがきに代えて」記載されている。
オルテガは「フランス人のためのプロローグ」で本論の方法としてこのように記している。
実例として、一つの基本的な問題を示せば充分であると考えた。つまり私は、現代の平均人を、近代文明を継続させる能力、そして文化へのこだわりという一点で測定したということである。(P58)
1930年前後、アメリカとロシアの台頭を意識しながらもヨーロッパ人はインフレ景気に満足し安心しきっていたし、日本は朝鮮半島を統治下におさめイタリアでは独裁政権、ドイツではヒトラーのナチ政権の誕生をまつばかりとなっていた。オルテガは貴族という概念をとりあげ無自覚な大衆についてこのようにいう。
高貴さは、要請によって、つまり権利ではなく義務によって規定される。これこそ貴族の義務である。「好き勝手に生きること、これは平民の生き方だ。すなわち貴族は秩序と法を希求する」(ゲーテ)。(P137)
つまり、「貴族」という言葉の固有の意味すなわち語源にある核は、本質的に動的なものであり、万人共通の権利としてやりとりされる静的な資格などではないのだとしている。
高貴な人とは、「周知の人」、つまり誰もが知っている、無名の大衆の上に際立って知られるようになった有名な人を意味している。そこに含意されているのは、名声をもたらすまでのとてつもない努力である。つまり高貴は克己勉励もしくは卓越した人に相当する。(P139)
このように「貴族」の努力、克己勉励に卓越した人その高貴さにふれ、いかにも大衆の無自覚で場当たり的な快楽に同調するだけの無自覚な態度を批判する。そしてこのように続けている。
ここで思い起こしてほしいのは、過去のいかなる時代にあっても、大衆が何らかの理由から社会生活において活動した時は、常に「直接行動」の形であったということである。つまりそれが大衆には常に自然な行動様式だったということだ。社会生活における大衆の指導的介入がいまや偶発的で稀なものから通常のものとなって、公然と認可された規範として現れたという明らかな事実は、本試論の主張を強力に裏付けてくれる。(P154)
また、文明は何よりも先ず共生への意志であるとして、政治の分野でも最も高慢な共生への意志を示した形式は自由主義的デモクラシーであるとしている。つまり、他者を考慮するという決意を究極まで追及したものであり、社会的権力は全能でありながらも自身を制限し少数の人たちが生きる場所を残す。このことは現代の寛容さや多様性、立憲主義、死者に学ぶという個体を超えた保守のあり方を考えさせる。
福島の原発事故や水俣だけでなくコロナ感染症において「専門家とは何か」という議論があったけれど、オルテガの主張は科学者や専門家にもおよび、専門家の中にも大衆化していわゆる「お坊ちゃん」がいるとして、彼らこそが大衆の典型であり野蛮なのだという。

本論は二部構成となっていて「大衆の反逆」に加えて、「世界を支配しているのは誰か」と続く。大衆の反逆は人類の根源的な道徳的退廃以外の何ものでもないが、二部では別の新しい視点からそのことについて考察する。そして「国家とは何か」として、ヨーロッパの歴史と文化的変遷についてさらに哲学的考察からヨーロッパの将来像を企てる。
もう一度繰り返そう。私たちが国家と呼ぶ現実は、血の同一性によって結びつけられた人間たちの、自然発生的な共存などではないのだ。生まれつき分離していた集団が共存を義務づけられたときに、国家が始まる。(P279)
このことは、おそらくオルテガの祖国スペイン、イタリア、ドイツ、ヨーロッパに忍び寄る不穏な足音を意識してか、誰もが知っているとしてルナンの言葉を引用しながら国民国家という概念を超えたヨーロッパの統一、その将来像についてその切実な思いを伝えようとしている。
この哲学者の鬼気迫るその論考は現代社会が抱えた様々な問題を浮き彫りにし、今になってもそのリアリティは強大になるばかりで否応なくぼくたちの感覚に突き刺さってくる。今こそ必見の一冊といえるのではないか。


日向ぼっこ
原書も訳書も素晴らしい
2021年2月8日

ホセ・オルテガ・イ・ガッセトというスペインの哲学者、ジャーナリスト、政治家が90年前に執筆した民主政治が本質的に持つ問題点を指摘した名著。
オルテガは高名なジャーナリストの父をもち、19歳で大学を卒業27歳でマドリード大学で形而上学の教授という秀才。
48歳でスペイン第二共和制の制憲議会の議員となる2年ほど前に描いた論説をまとめたもの。彼の思想の頂点を示す本。
ヨーロッパの本質についての指摘も非常に参考になる。論説というと薄っぺらな意見の羅列のような印象を持つかもしれないが、脚注を見てもらうと思想の奥行きがかなり分厚いことがわかる。
訳者の佐々木孝さんは、すでに沢山の訳書が出ているにも関わらず、亡くなるまでの10数年をかけてこの訳書を執筆した。この遺稿は、亡くなる直前に息子に託されたもので、2020年7月に岩波から出版されている。
時代として当然、全体主義、共産主義を題材とした書だが、トランプ政治、ブレグジット、日本の野党を見ていると、多くの指摘はSNSによる情報が溢れる今の時代にこそよく当てはまるようにも思う。まさにそのために佐々木さんは、今の時代に新しい訳を執筆しようと考えたのだろう。
民主政治は90年前からあまり進歩していないということと、各国の政治の問題の多くは国民性の問題というよりも、大衆による政治が本質的にもつ世界共通の問題の一つのバージョンに過ぎないということが分かる。


Oe
背中を押してくれる一冊です
2021年1月17日

生産的な議論をするために、「安易で、無責任で、有害な論説」を、徹底的に、かつ多分にして正当なやり方で否定する良著です(一部については正当性を欠いていたり非生産的なものもあるかとは存じますが、総じて、その辺のおっさんが書いた新書などとは、比するのも馬鹿馬鹿しいほどに示唆に富みます(その意味で「多分に」と述べております))。

特に、当時の状況と世界の現状(日本の現状というべき?)があまり変わらない(ちょうどオルテガの当座のその直前に一つの時代の節目があり、いまなお同じ時代のうちにある)ように思うので、この時代をどう生きるべきか、考えさせられます(問題がある、ということを自覚されられるという意味ではなく、正に、どう生きようか考えよう、と思います。背中を押される、というか、勇気がわいてくる、というか。(そういう意味では「まともな自己啓発本」でもいうべき?(僕は基本的に自己啓発本をまともだとは思っていません(まともなものを見たことがない)。読んでも時間の無駄くらいに思ってます。偏見です。が、この「大衆の反逆」は別です。実に穏当です)))

兎にも角にも、その慧眼には目を見張るものがあります。もっと早く、できれば中高生のうちに出会いたかった、そんな一冊です。


parole
これは文化遺産だ
2020年11月15日

佐々木孝さんの訳は本当に素晴らしい。これまで別の人が訳したもので何度も挫折した経験が嘘のように読み込めました。ただ内容は歯応え十分です(第一次世界大戦後のヨーロッパの社会状況が現代日本の状況にも似ていると思いました)。
「訳者あとがきに代えて」もぜひ読んでください。佐々木さんのご子息が、亡くなった訳者に代わりに書いています。佐々木さんは、東京の大学教員を辞し、故郷・福島県に移り、妻を看病しながら、翻訳を進め、10数年かけて訳文を完成させ、亡くなる前にご子息に託したのです。私は学者の強い意志と責任感があったと受け止めました。正直、感動し、涙腺が緩みました。この本の出版を見ることができなかった佐々木さんでしたが、素晴らしい文化遺産を残してくれました。感謝。

akio
自分の生き様を改めて問われている
2020年10月13日

今年に入って読んだ本の中では圧倒的な読書体験でした。言い回しが独特でところどころ何を意味しているのかうまく咀嚼できませんでしたが、自分が立っている世界の有り様を俯瞰する強烈な視点を感じるし、改めて自分の生き様が足元から問われた気がしています。少し時間を置いて要再読。

五島弘二
岩波でオルテガを取り上げたのは最高です。
2020年10月4日

エピローグが読めたことは最高でした。佐々木さんの訳はわかりやすいです。

秋元秀俊
忍び寄る全体主義
2020年7月14日

若い頃に読んだ(中途でうち捨てたに違いない)記憶とは、まったく違って、つまり大衆を高楼から見下ろしただけという印象とはまるで違って、ロシアとドイツ、そしてスペイン、ヨーロッパに忍び寄る全体主義の空気を深い悲しみをもって指弾した書だということがよく分かる。改めて、デモクラシーというものを考えさせられる。

Amazon カスタマー
ことばのマシンガン
2020年7月11日

さまざま語彙から放たれるマシンガンを見ているかのようである。筆者の批判的に指摘することや分析などは興味深い。
「みんな同じ」からの脱却は何を示唆するのか。結局は人間の集まりが文化にどんな影響を与えるということか?
解決策や方向性は次号に期待?!

ジョバンニの切符
大衆としての覚醒
2020年6月24日

訳者あとがきに代えて より P-408
「自らの師の神吉敬三先生を含む偉大な先達による既訳がいくつもある中で、父はこの名著を新訳で世に問う必要性を強く感じていました。内外を問わず、ともすればこの作品が曲解、あるいは拡大解釈されてきた傾向に一石を投じたい。
オルテガがこの作品に込めたものは何だったのか。大衆、すなわち私たち一人ひとりが覚醒し、慎み深い自己沈潜において新たにまっとうに歩み始めること、それがオルテガの祈りだったのではないか。」
この本はよく訳がこなれています。直接オルテガ先生の日本語による講義を聞いているようです。
内容で特に感動したのが第一部でした。
現代人=大衆とはどうゆう特徴があるのか?
大衆は何を考えているのか?
何が欠けていて、何が必要なのか?
どうすれば此の大衆的思考法から脱却できるのか?
が明示されています。
また、現代では一般的にエリートと思われている人たちが、実は大衆の代表なのだと気づかされたりして、とてもスリリングな書物になっています。
自分が大衆なのだと自覚することの重要性を教えてくれます。

木村洋平
「わたしだけは選良(エリート)である」という思い上がりへの「反逆」を示す新訳
2020年5月12日

佐々木孝さんの新訳、ちょっと感動します。
中公クラシックスでは、「大衆は愚かだが、わたしたち思想エリートは少しでも気高く生きよう」という読後感ですが、岩波は「わたしたちはみな大衆だが、自らを鍛え上げて高貴な精神は目指せる」という印象です。
すなわち、他者をあれこれ非難することが眼目なのではなく、時代精神に抗う気概を持って「自分が」いかに生きるか、自己陶冶を続けられるかが課題だという、生の哲学が示されています。
この点については、故人となった訳者の代わりに書かれたあとがきにも、「慎み深い自己沈潜」「オルテガの祈り」といった言葉で言及されており、また、宇野重規氏による解説も、その方向で書かれています。
あとがきと解説が両方つく、というのは岩波文庫ではめずらしいのではないでしょうか。今回は、これらがあることでより良質な本となっていると感じます。
佐々木孝さんはスペイン哲学者のウナムーノ研究、またオルテガのさまざまな著作を訳しており、死の前に遺稿としてこの訳を我が子に託しました。最後の年月は、相馬市で妻の介護に当たりながら、研究を続けていたとのことです。訳者の情熱が静かな、彫琢された文章としてこの本にこめられていますね。
50頁ほどある「フランス人のためのプロローグ」訳出も貴重です。オルテガが、自著について、またヨーロッパについて、語りたいように語っている文章で、本文が抑制がずいぶんきいているのに対して、ここは本音が強く見えるかのようです。その語り口に魅せられます。「イギリス人のためのエピローグ」もよいですが、こちらは短めですね。
素晴らしい新訳、偉業と思います。

takuunn
『大衆の愚昧さ』をあぶり出す名著
2020年5月9日

オルテガは母国スペインから逃亡した。当時、同国は内乱状態、右翼左翼の声勇しく、群衆が政治の表舞台に踊り出ていた。ヨーロッパ中にファシズムの嵐が吹き溢れ情勢不安。行き過ぎた民主主義の勃興だ。行き過ぎた民主主義=超デモクラシーの主体は、まさに強いモノに迎合する群衆たちである。その群衆心理とは『みんなと同じがいい』と感じ、それを快く思う、平均的人間そのものの姿だ。その平均人の塊である、没個性的な大衆が、あらゆる社会的、政治的権力の座に乗し上がり、強力なリーダーを希求する。それがスターリン元帥であり、ムッソリーニ将軍であり、ヒットラー提督であった。彼らこそが大衆が待ち望み、大衆の気分を晴らしてくれる素晴らしきリーダーかな!と最初は思った。そして、その結果は言わずもがな。彼らリーダーに任せた結果は、超が付く監視社会、ギスギスし合った市民同士の罵り合い、分断していく個人たち。不安、不安、不安、そして強き者に群がり弱き者を見殺し、締め出し、排除する。群衆心理の『常識』から外れた者を攻撃し、その彼ら彼女らを暴言で脅し、群がり、暴力に貪りつく野次馬大衆たち。それはまさに『大衆の反逆』として噴き出し、我々一人一人に暴力的に跳ね返ってくるという事態。なぜこの著者であるオルテガは逃亡せざるを得なかったのだろうか。その理由が少しでも理解できる書物である。これは痛烈な大衆批判の書であり、現代こそ読まれるべき価値のあるものである。新訳としてこの書は読みやすく、大変気にいっている。ただ想像力がないと読めないと思われる。
追記:NHK『100分で名著』、オルテガの回を観てみるのをお勧めします。

S-00999
凡庸であることを権利として主張する輩
2020年4月21日

オルテガが言う、「凡庸であることを権利として主張する輩」は、正に今、安心安全保証に成り下がり、やるべき使命を置き去りにしている現状そのものだ。その中で先日の刊行はオルテガと一体の魂を持つ訳者佐々木孝、「大衆の反逆」を世に送りだした方々の命がけで貫く魂の警世である。”訳者あとがきに代えて”で知った経緯に涙が止まらない。我々の置かれている真の現状を知らなければ、右往左往するばかり。宗教や認識についてあらゆる能力を失ってしまっている事など本書に描かれているのはヨーロッパだか、我国も同じ。国家、国境、挨拶etcキーワードから多くの思い当たる節を見つけ出し自分で考え自分で行動しなければ、恐怖に覆われて自滅するだけである。

わたしがこの本に出会えたのも命がけで貫き通してしる方々のお陰であって自分ではない。日々の心がけだけが物を言い、何事も自覚がなければそこで終わりだ。個々の独立した生に目覚める為の「大衆の反逆」。

神吉敬三訳も良かったが佐々木孝訳は躍動していてわたしは好きだ。


オルテガの名著『大衆の反逆』、本著は80年も前に刊行されたものだが第一次世界大戦後、アメリカ・ロシアが台頭するなかで同時代に蔓延するヨーロッパ人の無自覚で泰平的なふるまいに対して警鐘を鳴らすオルテガ渾身の著といえる。
それは大衆が社会勢力の中心的存在となっている状況に対して、社会的政治的文化的な危機意識と同時に西欧文明の歴史と権力のあり方について分析を企てる強いメッセージと鋭いまなざしで切り込む批判精神に貫かれている。それにしてもオルテガが現代のSNSネット社会を想定していたとも思えないが、そのリアリティは新型コロナ感染拡大に喘ぐ現代社会の様相とみごとに一致しているように思えるのはどういうことだろう。本著でオルテガが提起した問題意識はそのことをさらに意識させる。
オルテガは「大衆の反逆」の刊行に遡ること9年、1921年には「無脊椎のスペイン」という重要な著作を刊行している。ここでいう無脊椎とはまさしく大衆そのものであることは容易に想像できるのだが、そもそも大衆とは何か、その反逆とは何を意味しているのだろう。