癒し犬クッキー

確か四年前の五月、家人がみな外出して(もっとも下に年寄り二人はいたが)クッキーにひとり留守番させたことがある。二時間くらいの外出から戻ってみるとクッキーの歩き方がちょっと変だ、というのがそもそもの発端である。その日のうちに後足が麻痺して歩けなくなってしまった。獣医さんのところに駆けつけたが、原因も分からなければ何の病気かも分からないという。その日からクッキーは「エナカルド2500」という丸薬を毎日一粒飲み続けることになる。心臓にいいらしい。つまり何の病気か分からないが、おそらく脳梗塞、その治療薬として、副作用がない「エナカルド」というわけだ。正確に言うとその後、もつれながらも何とか歩けるようにはなったのである。
 第二波は一昨年の大晦日にやってきた。しかも除夜の鐘と同時に。その時クッキーは小さな声でキャンと鳴いた。以来、後足は完全に麻痺。本当の(?)犬好きだったら、名医という名医を尋ね歩き、なんとか治そうとするだろう。そうしないまでも、毎日熱心に、たとえば後足を根気よくマッサージするとかして、麻痺状態の改善に努めるだろう。我が家ではそのどちらもしないで来た。もしこれがわが子だったら…。
 救われるのは、たとえ箱の中での暮しを余儀なくされているとはいえ、この子が絶対めげないことである。クッキーの発病の数ヵ月後に肺ガンで闘病生活に入った親友Nは死ぬまで枕もとにクッキーの写真を飾って()(今も遺族宅の彼の位牌の前にある)この子が頑張っている限り俺も頑張ると言ってくれた。随意筋がだめになったのか、それとももともとバカなのかは知らないが、この子は何の知らせもなくウンコとおしっこをする。それも一日何回もドッサリ。その処理だけでもしんどいなーと思うが、しかし逆に彼からパワーや慰めをもらうことの方がはるかに多い。
 今日は十日ごとの義母訪問の日。会うといつもより元気がなく、ついにはびしょびしょ泣き出した。聞いてみると、自分用の相馬焼きの湯呑みを割ったという。確かに飲み口のところが小さく欠けている。施設にいることが辛い、お前たちと一緒に暮らしたい、と言われるのではと心配(?)したのだが…。
 「今日はねー、クッキー連れてきたから後から玄関のところで会おうね」と家内が言ったとたん、義母の顔がぱっと明るく輝いた。ほんとうに急激な変化だった。クッキーよ、俺たちよりお前がいちばん偉いんだぞーっ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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