今日、生きていれば傘寿、つまり80歳の誕生日を迎えていた父。母とともにこの日を共に過ごすことを、どんなにか願っていたでしょう。今朝、私のフェイスブックに、この日を忘れずにお祝いのメッセージをくださった阿部修義様、立野正裕先生のメッセージに、父の最後の年となった昨年に刊行していただいた『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』(法政大学出版局)の著者まえがきを途中引用して添え、父に捧げたいと思います。
阿部修義様:
・今日は先生の八十歳のお誕生日ですね。
・私の父は昭和2年の卯年です。先生と干支が同じで何か不思議なものを感じます。平成2年の四月に62歳で他界しました。生きていれば今年92歳でした。
・父の年を一歳越え、先生がモノディアロゴスを執筆された年になった私。『モノディアロゴス』をたまに読み返して、父や先生のその頃の心境を想像しています。同じ歳になって、先生の文章の素晴らしさを改めて実感しています。とても私には書けません(笑)
・生松氏にふれた2002年の「死の覚悟」では、先生は「自戒」という言葉を使われていましたが、2015年「朝に道を聞かば」では「或る感慨を覚えた」と言われています。微妙なニュアンスの違いですが、先生の覚悟は、時を越えて熟慮され、ご自身もその境地に近づかれていたのではと私は感じます。
・死を覚悟して生きた人の人生に永遠を私は感じます。そして、人を永遠(聖なるもの)へと導くものは死をも恐れないからこそ生まれた真の愛が根底にあるからなのかも知れません。ふと、若い頃読んだ三浦綾子の『塩狩峠』の主人公の青年のことが頭を過りました。
・「死をも恐れない」とは、あるところまで到達した人の境地なんでしょう。しかし、そういう境地に至る人は頗る稀です。先生は、非常時でも全く変わらず平常時のまま人生を歩まれました。原発事故後の先生をみれば一目瞭然です。その境地は、そういう日々の心がけと実践を徐々に積み重ねられていたる荊棘の道なはずです。決して一朝一夕に到達することはありません。16年余りの『モノディアロゴス』は、ある意味では、その境地に至るまでの先生の血の滲むような努力と研鑽の日々の記録と言ってもいいのかも知れません。
・先生は、美子奥様の長い介護生活を実践され、ご自身のエゴや人間的欲望がそぎ落とされ、利他に徹せられました。そういう境地に至るためには、他者のために生きる覚悟が必要なのかも知れません。
立野正裕先生:
3年前にFBに投稿した引用文を読み返しています。
佐々木孝さんのウナムーノ論から。
「全身全霊をもって信じられたものは、論理的には誤謬であっても道徳的には真理たりうる。真理は信仰がつくりだすものなのだ。このようなウナムーノの考え方を、主観論であるとか、信仰を想像カと混同していると非難することは容易であろう。そうした非難をつきつける人に対して、彼はおおむね次のような反論を試みる。すなわちあなた方は、主観的信仰をしりぞけ客観的信仰を擁立することによって、実は信仰というものを三段論法の中に窒息させているのだ。あなた方がつねに攻撃しているところの合理主義に自ら陥っているのだ。宗教を哲学にしようとしている。客観的真理、客観的信仰をふりまわすことによって、その信仰と己れ自身との切実な繋がりが断ち切られてしまっている。つまり自分自身を偽っている。それこそ虚偽ではないか。」
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ウナムニスタ 宣言
ほかでもないが私の思想的骨格を形作っているものの一つ、それもかなり重要な部分は、本モノディアロゴスの名祖(なおや)ウナムーノの思想だが、例えばデカルト哲学の徒のことをカルテジアンというように、ウナムーノ哲学の徒は何というのか、実はこれまで考えたことがなかった。こうした呼び名は自分から名乗るものではなく他人からそう呼ばれるべきものではあろう。しかし人生の最終コーナーをよたよた走って、いやよたよた歩いている私としては、ここらで自分にも言い聞かせる意味で旗印を鮮明にするのもいいのでは、と考え始めた。日本語では「…派」「…主義者」とか、先ほど挙げた「…の徒」なんて言い方をするだろうが、スペイン語でそうした意味を作る接尾辞は「…ano」か「…ista」である。前者は「…の性質をもった人」、後者は「…主義者」を言う。するとウナムーノ的な主義・主張の人はunamunistaと言うべきであろう。そうだこれに決めた。これがとても便利な言い方であるのは、私が目指すべきもう一つの姿勢がヒューマニスト、すなわちスペイン語でウマニスタであり、先のウナムニスタという言葉の中にアルファベットとしてすでにウマニスタも含まれているということだ。
(2017/6/18)
最後に敢えて拙文を引用したのはほかでもない。今回、立野氏のように拙著を愛読してくださった方々、なおその上に復刊までの強力かつ実務的な労を惜しまれなかった執行氏そして安倍さんの熱意なかりせば、半ば枯死状態の拙著が今に蘇るはずもなかったと再度確認し、そのうえで三氏にもウナムニスタの呼称・愛称(?)を以後使っていただきたいからである。そして同時に 、執行・立野両氏の督励によって、その愛読者・後輩たちの中から多くのウナムニスタ志願者を育てていただきたいからにほかならない。私も原発被災地という大げさに言えば奈落の底で、しきりに希(こいねが)ったのも、この惰弱な物質主義・快楽主義・没理想、さらに厳しく言えばこの没義道の国日本を、そして世界を、まともな国そして世界にするために、ウナムーノに倣って、つまり目先の勝利あるいは敗北に心乱さず、時に敗北を喫し、時に嘲笑に身をさらそうとも、最後まで戦い抜く若い世代の誕生であったことを記して、この長々とした型破りのまえがきを閉じたいと思う。
二〇一八年新春
佐々木孝
