「原発に頼ろうとしている日本だろうと、〈強い日本〉などとキナ臭いスローガンを掲げる右傾化の動きだろうと、それに対する強い拒否と抵抗の〈想い〉さえあれば、いつかそれらを阻止できるかも知れない、いや〈かも知れない〉ではなく、断固その想いを貫徹する意志さえあれば、その想いはいつか実現していく。例の〈平和菌〉だって、たぶんこの〈想い〉の別称なのかも知れない。いやきっとそうだ」
2012年11月23日
【追記(2021年5月15日)】
父の生前からモノディアロゴスを愛読され、父と交流のあった大阪のTさんからいただいたお便りを、ご本人様の承諾を得た上で、以下に転載します。父の魂を慰めるため。
ご無沙汰しております。
淳さんはじめご家族の皆様、お変わりございませんでしょうか。
今年2月の福島沖地震や3月の東日本大震災から10年をはじめ、原発や東京五輪、コロナめぐる日本政府の愚かな選択などの折に触れ、皆様のご様子をお伺いしようという気持ちが起こりつつも、私自身の不如意な生活に追われ、ご無礼してしまいました。
今日のモノディアロゴス。「〈紡ぐ〉ということ」の再掲、ありがとうございます。佐々木先生の強い<想い>、とても尊いです。私にはそこまでの想いを持てる精神の土壌がないことを思い知らされ、心苦しい限りです。
執行草舟さんは『脱人間論』――その後、私は特定の時間だけ繙いているので、まだ半分強しか読み進めていません――で、ご自身が拠り所とする『葉隠』から、「死に狂い」「忍ぶ恋」「未完」という三つの信念を導き出したことを述べています。その意図するところをそのまま間違いなく、過不足なく、氏と同じレベル、同じレイヤーで語る力は私にはありません。
が、執行さんの言葉も少し借りながら、私は自分なりにこう思いました。「死に狂い」=死ぬまで、自分を突き動かす<想い>に従って生きること。「忍ぶ恋」=その<想い>は、他者に理解されなくても構わない。一途に想う。「未完」=そして、成し遂げられなくても構わない。一途に突き進む、と。
先生は、そうした強い<想い>を絶やすことなく生き切った方だと思っています。そして、その<想い>をしっかりと受け止めて行動する人、あるいは、その<想い>をおぼろでも感じ取って何か人生の指針を得ようとする人が、モノディアロゴスに集まっているのだと思います。
しかし、正直言いまして、不遜というか、心やましいというか、私には<紡いでいく><紡がれていく>ということまでは考えを広げることができず、やはり、自身の生活第一の現実に佇んでいるだけです。だからなおさら、先生のことを尊く思います。
先生もご家族も交流がおありの様子の小説家・柳美里さんの近著『JR上野駅公園口』について、知人がブログで「ゆっくりと坂道を下り始めたこの国と、その中でやっぱり最初に捨てられていく草莽の人々の哀歓を作者柳美里はたっぷりと作品に書き留め、それが英文に見事に翻訳されて世界に発信された。日本文学にまた一本の金字塔が立った。」と評していました。アメリカで権威ある文学賞「全米図書賞」の翻訳文学部門賞を受賞したらしいですが、大衆メディアの話題に上ることはないですね(私とて、恥ずかしながら未読です。ごめんなさい)。
また、以前アップされたもののすぐ削除されたT新聞の訃報記事には、本当に私も驚きました(嫌なことを思い出させて申し訳ありません)。記者は、上から目線で悠然と訳知り顔に構えているようであり、いや、先生の生き方と “魂”に対する畏怖めいた気持ちもあってマウンティングしているようにも感じました。
なんだか取り留めなく書き綴ってしまいましたね。お許しください。皆様のご健康とご多幸、心よりお祈りいたしております。