現実はこんなもんだべ。

国会中継など今まで見ることも見ようともしないで来たが、ここ数日、時おりネットの中継を覗いたりしている。そして先日書いた「スペイン語圏の友人たちに」という「作文」を、今度は国内の友人たちに送ったりもした。友人たちと言っても、もちろん一緒にスペイン語を学んだ同級生や、今も仕事でそれを使っている後輩や教え子たちのことで、彼ら(彼女ら)のスペイン語圏のお友だちに「拡散」してもらえれば幸い、とのお願いを付して送ったのだ。前者の中には「かかる話題は闇雲に転送するのはどうかと思います。従って今回は協力出来ません。悪しからず。」などという返事をくれた人もいる。当方としてはことわるまでもなく「もしご賛同いただければ」のつもりであり、決して「闇雲に転送」などお願いしたつもりはないのだが。ともあれ音無しよりよほど正直な反応ではある。
 思うにかつての同級生たちの大半は、いわゆる企業戦士として日本の経済発展に寄与してきたという自負があり、したがって現政権の経済優先、軍事力増強路線に、賛成とまでは行かなくても反対ではないのであろう。もちろん中には、といって夫人からのコメントだが、「(夫は日本の政治に)50年以上怒り続けてきて、未だ怒ってばかりいますので笑顔を忘れたようなのが心配!!??です。」という、私よりはるかに古強者(ふるつわもの)の同級生もいる。
 いま日本は安保法案をめぐって国論が大きく二分しているようだ。ここに来てたくさんの人がいわゆる時事というよりもはるかに根の深い問題、つまり国のあり方について初めて問題意識を持ち始めたことを大いに歓迎したい。確かに日本は敗戦後70年の間、太平の夢というよりむしろ惰眠をむさぼってきたと言っても過言ではなかろう。もちろんそれはこの私自身にも当てはまる。
 数字の上ではかなりの人が私とは違う考え方をしている、ということを承知はしていたが、こう身近に(でもないか)その違いを突きつけられとは予想もしていなかったのでいささか狼狽している。しかしもういい加減(遅すぎ?)こうした現実に目覚めた方がいいに決まっている。ただし残された時間のことを考えると、意見を異にする人とこの先も付き合うのは正直しんどい。話が分かりそうな人、互いに励まし合える人との交流に残された貴重な時間を使わせてもらおうと思い始めた。だから先の同級生のアドレスは抹消、代わりに地中海に面したどこかの港町で一人で頑張っておられる82歳の先輩を新たな友人に加えさせていただき、今朝もさっそく彼宛にメールを発信したところである。


【息子追記】立野正幸先生からFacebook上でお寄せいただいたお言葉を以下に転載し、天国の父に捧げたい(2021年2月17日記)。

「残された時間のことを考えると、意見を異にする人とこの先も付き合うのは正直しんどい。話が分かりそうな人、互いに励まし合える人との交流に残された貴重な時間を使わせてもらおうと思い始めた。」先生のように、この数年、つまり「古稀」を境にわたしも義理の付き合いを大幅に縮小し、もはや政治談義もしなくなりました。それでもつい最近、関西在住の在日の方が書かれた論説に、拙著『精神のたたかい』の一節が引かれているのを知人におしえられ、一読してしたたか反省させられたところです。沖縄の辺野古で反基地闘争を日々続けておられる在日の方のご発言に共感を込めて書かれた文章が、拙文と結びつけられています。主旨はこうです。戦争体験を語り、戦争反対を表明する日本人、沖縄人は多いが、かれらの戦争反対の動機は被害者意識に基づくもので、戦争に加担を強いられたという認識に基づく責任追求が稀薄であるという感を否めない。被害者意識を土台にして戦争反対を口にするとき、天皇制下の侵略主義そのものを批判する名分の背後に、戦争加担を許した自らの弱さは姿を隠してしまう。ここに戦争反対の論理にすり替えられた自己免罪の意識が潜むことを、わたしは指摘しました。その拙著は14年前に上梓されたものですが、著者のわたしよりも読者の崔氏のほうが記憶鮮明に覚えておられて、いまも言及し、引用してくださる。辺野古にはわたしも何度となく足を運びましたし、沖縄戦の戦跡もずいぶん見て歩きました。しかし、常に自分が意識の俎上に見据えていなければならないのは、被害者意識において戦争反対を考えてしまいがちな自己の脆弱さそのものにほかなりません。いっぽうで、真剣な対話の相手とはいまや目しがたい善意の人々との付き合いを縮小するとしても、他方では「老いの身」ににもかかわらず、どこまでも青くさく、ときに角の立つ物言いをもあえて辞さない、厭がられるジジイのままで生きて行きたいと思います。その意味でも、わたしにとっての先達の一人が佐々木孝先生であること、まちがいありません。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

現実はこんなもんだべ。 への2件のフィードバック

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    今、国会議事堂前にいます。
    今日もすごい数です。
    隣に外国人が3人いますが、一緒に日本語で「センソウホウアンゼッタイハンタイ」と叫んでいます。

    • fuji-teivo のコメント:

      上出さん、今日もご苦労様。現場に行かずに(行けずに)遠い南相馬から、今晩も現場の皆さんと心を合わせます。くれぐれも無理をしないで。佐々木。

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