このところ残忍な犯罪や忌まわしい事件が続けて起こっています。テロ事件など対岸の火事くらいに思ってましたが、豈図らんや、日本もいよいよおかしくなってきました。そんな折、今朝、時代に取り残されたような或る夫婦の物語が朝日新聞社のサイト『with news』に出ました。該当記事はこちらです。記者は先日の「グローブ」同様、浜田陽太郎さんです。ぜひご覧ください。
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このところ残忍な犯罪や忌まわしい事件が続けて起こっています。テロ事件など対岸の火事くらいに思ってましたが、豈図らんや、日本もいよいよおかしくなってきました。そんな折、今朝、時代に取り残されたような或る夫婦の物語が朝日新聞社のサイト『with news』に出ました。該当記事はこちらです。記者は先日の「グローブ」同様、浜田陽太郎さんです。ぜひご覧ください。
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さっそく記事をシェアさせていただきました。それと同時に以下のような文言を添えましたのでお目にかけます。
「少し前にお二人の婚約時代の往復書簡集『峠を越えて』を感動とともに読みました。それから『モノディアロゴス』の第一巻も最近読みました。それらを読みながらわたしに思い出された次のような言葉があります。
『小さな町や村に住んでいて、外側の世界の大きな出来事が人々の人生の頭上を通過して行くだけのように見えても、同時に人生の内部を通過して行くものに目を凝らして見るならば、後者のほうがはるかにスケールが大きいということもあり得る。人々の人生の小さな時間のなかに、ときに宇宙的な出来事が入ってくるということもあり得るのだ。』
これはわたしが長年身近に接していた人が、200年も前のある物語をめぐってあるとき発言された言葉ですが、佐々木ご夫妻の往復書簡集、その後お二人が歩まれた人生、夫人の発病と佐々木さんの介護、『魂の重心を低く保つ』ことから見える日々の記録、すなわちモノディアロゴスに書き継がれる佐々木さんの思想の実践、それらに目を凝らし、思いを馳せるにつけ、個人の『人生の小さな時間』が、日本や世界の『大きな出来事』と対等に交錯するさまが、今という時代を生きる一つの確固たる流儀として、われわれの目の前に如実に見えてくるようです。」
立野正裕様
私が密かに(時に大口を叩いて)目指しているものを実に的確に指摘してくださり、ありがたく思います。特に、お気づきのように、ちょっと前、ロートル瞬間湯沸かし器が、年甲斐もなく(いや歳だからこそ)沸騰した後なので、貴兄の温かなお言葉、心に沁みます。
そうですね、天上天下唯我独尊とは全く違った意味で、この広大無辺の宇宙そして全世界は、このちっぽけなそれぞれの「私」を中心として回っている、と考えてます。それはすべての生きとし生けるものの特権でもあります。幼い者や身障者、そして虐げられた者などの受難や死がなぜ私たちの心に痛切に響いてくるのか、それはそれらの「私」(魂)があらゆる虚飾や粉飾を剥ぎ取られた生の裸形、つまり生の「単位」だからだと思います。
そんな意味で、犯人はたぶん精神的疾患を患っていたのかも知れませんが、最近起こった残虐な事件に衝撃を受けてます。でも何代前かの湘南の不良出の知事が、胃瘻などで生きている病人を看護するのは都政にとって経済的な損失だとの発言をしたことがあったようですが、今回の事件もそうしたヒットラー並みの考え方が社会の中に淀んでいることの一つの悲しい反映に思えてなりません。
あれだけの原発事故があって、南相馬市の人たちの殆どが国からの避難勧告によって自宅から離れた現実を考えると、先生がご自宅に美子奥様と留まられる決断をなされたことを、私はモノディアロゴスを通じて決してその場の勢いとか気分ではなく、先生の生き方から導き出された必然の行動であったと思います。もちろん先生も一人の人間ですから言葉で言い表せない不安や恐怖を感じられていたことは想像できますが、逃げないご決断は自分の介護を必要とされている美子奥様の存在と記事の中で言われているように、まさにその一点に集約されるんでしょう。そういう先生の生き方から、人生において逆境とか苦難、不条理が人の背中を後押し(魂の重心を低く)して、なかなか決断できなかった積年の課題を乗り越えさせてくれる原動力になるんだと教えられたように私は感じます。人間は平穏な毎日の中では決して決断できない人生の大切なことがあると思います。