二年間お世話になりました

ウメさんは今日から正式に隣の親病院の患者さんになった。つまり今まで二年間お世話になった施設にはもう戻ることはないということだ。
 この二年間、本当にお世話になった。ゆったりした個室のガラス戸からは広々とした野原が一望のもとに見渡せ、近くには小ぶりながら桜や紅葉の木が季節ごとの景観を楽しませてくれた。ウメさんはいま夢の中。きっとこの景色の中を自在に歩いているに違いない。
 次に入る人のために部屋を空けなければならなかったのだ。スタッフの方でもうあらかた荷物の整理をしていて下さったので、明け渡しに時間はかからなかった。おじいちゃんや孫娘やクッキーの写真、いつも手元に置いていたお気に入りの小さなビニールのバッグ(取っ手のところに熊さん人形)、それから時おり見ていた小型のテレビ。持ち物はそんなもんだ。室内便器と車椅子、そしてステッキなどはまだ新しいが、私たち夫婦が使うまでは少なくとも二、三〇年は間があるので(と願いたい)、どなたか必要な方に使ってもらおうと置いてきた。
 その帰り道、ウメさんの所に寄った。昨日から一応鼻から流動食を摂るようになった。時おりぼんやり目を開くが、たいていは眠っている。妻が耳元で名前を言うとわずかに反応した、いや、したと思いたい。隣の患者さんが痛そうに顔をゆがめたまま眠っているのに比べれば、ウメさんはどこも痛いところが無さそうで、それは私たちにとって何よりの慰め。
 二月六日の朝まで元気で、その前日、大きな花柄のテーブルクロス(食堂の?)を喜んで珍しくはしゃいでいましたよ、というIさんの言葉に胸がつまったが、でもウメさん幸福だったよね? とりわけここ数年、顔つきもおだやかになり、ほんと観音様みたいだった。もうなにも心配することはないんだから、今はゆっくり休んでていいよ。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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