M・H君、二回目のメールありがとう。第一回目の、というより君の卒業以来最初のメールのアドレス末尾がesとなっているので、たぶんスペインからかな、と思いましたが、滞西十五年目とか。というと、卒業後スペインに渡ったままそちらに住みついたということかな。四期生だから、常葉では私とはほとんどすれ違いになってしまいましたが、ようやく(?)優秀な男子学生が入ってきたと、先生たちが喜んでいたことを覚えています。なにせそれまでは女子の方が全てにわたって勢いがあり、どうも男子学生の影が薄かったからです。
そんな男子学生の一人が、そちらの大学でスペイン近代史の博士号をとり、現在は私立の癌研究治療センターで働いているとのこと、できすぎです。君が挙げた同級生たちの名前を見て、少しずつ記憶が蘇ってきました。K・Tさんはエル・パソで働いていて、H・Sさんはエルサルバドル人の旦那さんと結婚後、カナダのモントリオールに住んで、二人の子持ちとか、常葉の卒業生も国際的になってきましたね。ところで君は、結婚したの? もしかして、奥さんはスペイン人で、もうパパになっているのかも。
ところで文中、「11-M [二〇〇四年三月十一日] 以来、先の事など分からない世の中になってしまったので、今を充実して送ろう、と毎日、自戒しています。11-Mのショックから心理的に立ち直るには、かなりの時間がかかると思いますが。」とあったので、あゝそうか、マドリードにいたらあの事件は強烈に受け止めざるを得なかっただろうな、と思いました。そう言えばもう一つの爆破テロも今では11-S [二〇〇一年九月十一日] と言われるようになってしまいましたね。もうこれ以上 11 という不吉な数字が増えないように、と願わざるを得ません。
今夕、イラクで解放された日本人三人が帰国したようです。解放の喜びなど一切見られぬ暗い顔での帰国です。ここまで追い詰めたのは、お為ごかしの同胞たちです。記者会見には欠席というニュースを聞いてほっとしました。涙ながらの謝罪を期待する残酷な奴らのことなど気にしないで、今はゆっくり休んでほしいと思います。
ともかくもっと詳しい近況など教えてください。君のため、一度はずした私の写真をまたフロントページに載せました。白くなったので口ひげも今はありません。では今夜はこのへんで。
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