稲田の中の武者たち

娘の嫁ぎ先の(なんとも古臭い表現だが)ご両親が鳩ヶ谷市の新居に移るというので(その後を娘夫婦が移り住むらしい)なにか引越し祝いをと考えていたが、娘が言うには、たとえば飾り物のようなものはあるという。それで、結局はいつものものを送ることにした。隣町の六号線沿いにある漬物屋さんの商品である。地方特産を見栄えのいい商品に仕立て上げた模範的な例ではないか、と思っている。豆腐を味噌漬にしたものが主力商品だが実に美味で、贈り物として重宝している。
 店から出たとき、珍しく沿道に人込みができており、交通整理の警官も五,六人出ている。何事かと思って近づいてみると、おりしも田んぼ道を十騎程の騎馬武者が列を作って進んでくる。なるほど六号線を横断するつもりらしい。
 青く波打つ稲田、青い空と白い雲をバックに、忽然と現れ出た武者たちにさして違和感がないのは、ここが野馬追の里だからか。でも彼らの雄姿を眺めているうち、不思議な感動が身体を突き抜けていく。なぜだろう。強いて理由を探せば、カツカツと地面を蹴る馬の存在である。そこにいたのが、単に陣羽織姿のサムライたち(おそらく彼らは宵乗りに参加する途中だったか)だけだったら、おそらくその感動はなかったかも知れない。人間たちよりもはるかに濃厚に野生を残している馬によって、人は一気に古(いにしえ)の世界に連れ戻される。人馬一体となって死と名誉を賭けた時代にタイムスリップするのかも知れない。
 今年の野馬追は幸いに天候に恵まれただけでなく、週末とも重なって、明日の本祭は例年にない賑わいが予想される。
 夕食は近くで友人が経営する蕎麦屋さんですませたあと、相馬盆歌や相馬流山が流れる街中を歩いてみた。沿道は神輿と、その後に続く踊りの列を待つ人たちで賑わっていた。いつもは寂びれた街も、今宵は祭りの不思議なエネルギーに包まれていた。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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