井上ひさしさんが亡くなられてからだいぶ日が経つ。私は彼のいい読者ではなかったが、彼はいつも気になる作家の一人ではあった。報じられるところを繋ぎ合わせると、一種壮絶な最後であったようだ。いい機会だから彼の作品を読み直そうか、と思って「貞房文庫」を調べてみると、なんとしたことか、かなりあったはずの彼の著作がリストにない。よく見ると、「い」の項目の最後は伊藤左千夫の『野菊の墓』、そして次は一気に飛んで「う」の項目が始まっている。
ワープロ時代に作ったリストを、パソコンに移す際、手違いでその部分を消してしまったらしい。フロッピーを探し出すという方法が残されているが、該当するのは井上ひさし、井上靖くらいだろうから、気がついたときにその都度追加することにした。
ともかく井上ひさしの本をあるだけ集めてみた。すると文庫本だけでも37冊あった。他に単行本も何冊かあるはずだから、最近のものを除けば、彼の作品はだいたい手元にあることになる。「気になる」作家だから、ともかく文庫本でと買い求めておいた結果である。つまりそのうちしっかり読んだものは四分の一、せいぜい十冊に満たないであろう。なかでも大作『吉里吉里人』が目立つが(上中下を合本にしたから1500ページを越える)、これとて全部読んだ記憶はない。美子が全編読み通して、面白いところを何箇所か教えてくれたのは覚えている。
自筆の年譜によれば、彼は昭和28年、上智大学文学部ドイツ文学科に入ったが、ドイツ語がおもしろくないのと、神父たちが冷淡なのに嫌気をさして長期休学。釜石市でラーメン屋をやっていた母の元で手伝ったり国立釜石療養所の事務アルバイトをしたりした後、昭和31年、再度上京し、今度は外国語学部フランス語学科に復学したとある。私が外国語学部イスパニヤ語学科に入ったのは昭和33年、となると、同じキャンパスに2年間、彼と袖すり合わせたことになる。
そんなこと、何の自慢にもならないが、実はある大先輩が上智の話が出るたびに、これまで上智は二人の偉い人物を出した。一人は井上やすし、そしてもう一人はなんと私だ、と言うのだ。そんなこと上智の関係者というか事情を知っている者が聞いたら憤慨するかせせら笑うであろう。もちろん私自身、そんなことこれっぽちも思っていない。それにこの大先輩の、なんというか反ジェスイット主義、反植民地主義を割引しなければならない。
しかし人は時にとんでもない賛辞を、たとえそれがどんなに的外れのものであろうと、心ひそかに支えにして生きる場合がある。この際だから白状すると、人が聞いたら噴飯ものだが(事実もう一つの賛辞に関しては、妻にさえ仰天された苦い記憶がある。それウッソでしょー、まさかあなた自身そんなこと本気にしてないでしょうー。)だから今までだれにも言わなかったことだが、もうこの際、洗いざらい恥をさらけ出そう。
それは上智大生の四年目、学生寮にいたときのことである。どういう名目だったか、寮の食堂に三笠宮をお迎えしての夕食会があった。寮生たちが順不同でがやがや席につこうとしたとき、面識も何も無い下級生の一人が私の顔を見るなり、あっジュラール・フィリップに似てる!と叫んだのだ。ほらね、冗談だとすぐ分かる賛辞でしょ。でもその言葉は私の心の奥深くに半世紀も刺さったままなのだ。罪作りなあの下級生。
馬鹿話はここまで。ところで井上ひさしさんとのすれ違いはもう一回ある。彼は昭和24年から28年まで、東仙台の児童擁護施設「光ヶ丘天使園」の世話になった。彼の『四十一番の少年』の冒頭、むかし生活したその施設を20数年後に再訪するため坂道を登っていく描写があるが、そういえば私も中学生のとき、その坂道を登っていった記憶がよみがえったのである。おぼろげな記憶では、施設訪問ではなくその途中かにあった、確かかまぼこ型の礼拝堂を訪ねたのではなかったか。
そのときの写真が残っている。小さいときから大きな目が左右対称でないことがコンプレックスになっていたゆえの癖か、坂道の途中でしゃがみこんで、顔を心持ち仰向けにしてまぶしそうに眼を細めてこちらを見ているたかし少年の姿が映っている。確かにそのころ、ひさし少年もすぐ近くに棲息していたはずなのだ。
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