昨日からどれほども進んではいないのだが、しかし徐々に確信のようなものを感じている。つまり『弱い神』は小川国夫の代表作となるだけでなく、日本文学にとっても無視できない貴重な一里塚となるであろう、との予感である。
実は、読み始める前までは、この作品は内容も構成もまだ未完成であるだけでなく、地盤のゆるいふかふかの作品、言って悪いが小川ブームに便乗したやっつけ仕事ではないか、と思っていた。私が手にしたのは第2刷、つまり4月初めの初版からわずかひと月ちょっとで版を重ねたことになる。このスピードは、小川さんの本の中でも異例の売れ行きではないか。つまりみごと編集者や出版社の目論見どおり事は運んでいる、と下種のかんぐりをしていたわけだ。嬉しい誤算であった。
相当に暴力的な事件が点綴していることも手伝ってか、ぐんぐんと読者を引き込んでいく迫力がある(それにしては私の読み方は一向にスピードが上がらないが、それは作品のせいではない)。要するに「語り」の迫力は予想以上なのだ。地の文がないことで、作者という中間者が消え、話し手が直に読者の心に語りかけているように思えるからではなかろうか。小川さんがこの文体・話法に自信を強めていたであろうと容易に想像することができる。確かに成功している。
先日、彼は視覚の作家、眼の人から聴覚の作家、耳の人への変貌を遂げたといったが、正確に言うなら、彼は聴覚とか耳のレベルよりもっと内部の感覚、いささか神秘主義めいた表現だが、魂の文体を手に入れたと言ったら大げさだろうか。先ほど暴力的な事件と言ったが、行間からむせかえるような血の匂いがしてくるのは、語り手たちが近代的知性とは無縁の、言うなれば原始的知性に突き動かされ、そして互いに共鳴音を発しているからではないか。
そのような原始性は、もともと作者に、あるいは大井川流域の風土にあったものなのか、それとも長年にわたって旧約聖書に親しんだ結果、作者に固有のものとなったのか。
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