★以下、試訳をある方に読んでいただき、頂戴した感想です。
ざっと目を通しましたが、文体が浅薄で、人を見る目も想像力もまるで欠けています。小説の体をなしていませんね。実名を使っているだけにかえって不愉快です。文は人なり。その浅はかな目でササキを見ているのでこれはどうにもならないと思いました。淳さんが唖然となさるのも、お怒りになるのも当然です。これは訴訟ものです。
それにしても訳者も無神経すぎますね。
いつの時代もアホは世界の至るところにいるものです。右にも左にも真ん中にも。
※「つまり原発とは何か、放射能そして放射線とは何かについてほとんど無知のまま立ち向かったのである。たとえばその放射能と放射線の違いなど、たぶん今では小学生でも分かるような基本的なことさえ分からないし、分かろうともしていないのである。つまり事故以後も、それら敵方の情報など一切調べることもなく今日に至っているのだ」と父は言明している。父の言うことの主旨が理解できない人は、もとより通じ合えない人々である。
魂の叫び――ホセ・マリア・シシリア展に寄せて (2013年)
Please follow and like us:
勝手に作品を絶賛し、全体を読んでから判断してほしいなどと居直って強弁されるわけですが、翻訳をされる中、恩師が(そうとも思っておられないであろうことは、スペイン語を使うお仕事に就かれながらご卒業後一切の交流がなかったことでわかりますが)安っぽいピエロに仕立てられ実名で登場していることに、何の疑問も義憤の念も覚えなかった貴方の人としての無感覚ぶりに私は唖然としているのです。全体を読んで私の思いが覆るとでも思っているのでしょうか。私は「部分」、それも本質的な、について問題視しているわけで、「全体」のことを問うているのではありません。「全体」がよければ「部分」の錯誤など不問にせよというのでしょうか。その「部分」において父が創作の名のもと半ば愚弄され、思想家としての実像がゆがめられ、人格が貶められていると実の息子が受け止めていることに貴方は向き合う気は全くない様子で、無感情にすぐさま弁解に回るご神経に正直背筋が凍りました(そうした受け止めをするのは遺族だけではありません)。憤慨し悲しんでいる人間がいることを無視して、ひたすら自分の主張、正当性を押し通そうするあたり、まるで近代日本(人)が隣国とその民に対して犯したことに対する居直りとそっくりです。ともかく私は言うべきことはすべて言い尽くしました。これ以上かかわりは持ちたくありません。もう二度と近づかないでください。ご健勝を祈ります。ただし、「ササキ」の登場する(繰り返しますが、私の娘の名まで実名で登場し、三文芝居を繰り広げます)愚作の翻訳のお仕事は断念された方が貴方のためであることを改めて忠告しておきます。