Fractura: Andrés Neuman


※投稿は2020年10月29日付。当該人からその後何の連絡もないままである。この小説の描写は、創作を名目に父・佐々木孝を陳腐極まりない人物像に貶め、その晩年の人生をかけた取り組みを結果として半ば戯画化したものとして、考えれば考えるほど死者の尊厳を傷つけるものであり、原著者、そしてこれを問題視しなかった翻訳者を、息子として絶対に許すことができない。過剰な反応とは思ってほしくない(2020年11月12日記)。


以下は、当ブログに寄せられたコメントと、それに対する返信である。

服部綾乃 のコメント:
2020年7月30日 13:58 (編集)


佐々木淳さま 佐々木あずささま

初めてご連絡を差し上げております。
あずさ様、お久しぶりです。
覚えていてくださっているでしょうか?
私、服部綾乃と申します。
佐々木先生には清泉女子大学でお世話になりました。
あずささんとは、大村書店勤務の折にコーディネートした中米国際会議でお手伝いをお願いし、お目にかかっております。

さて、本日はご相談がありメッセージを差し上げております。
この欄をお願いの件で使わせていただくこと、ご容赦くださいませ。
また、初めてのメッセージがお願いの件とは誠に恐縮ではございますが、以下にについてご検討いただければ幸いです。

私は現在、ラテンアメリカ文学の翻訳に従事しております。
実は、いま手がかけている『ひび割れ(仮題)』(原タイトル:Fractura Andrés Neuman著)に佐々木先生をモデルとした人物が登場します。
これについては原著者のニューマンさんに確認しました。
私自身、あまりの偶然に驚いております。
ご相談と言うのは、その部分を訳すにあたってご家族の方に何点か確認させていただけないか、ということです。

突然のお願いではございますが、ぜひご検討のほどよろしくお願い申し上げます。

追:先ほど以前のブログの方にコメントを残してしまいました。
改めてこちらでメッセージを差し上げます。

服部綾乃

返信
富士貞房Jr. のコメント:
2020年10月28日 23:00 (編集)


服部さん:

改めてコメントを読むと、教え子にもかかわらず、最初に父に対する弔意の言葉が何もないことに驚きます。そして、送っていただいた作品の試訳を拝見し、最初の2ページで読むに堪えなくなりましたが、父の生前に執筆されたものとはいえ、フィクションにせよ、明らかに佐々木孝当人を愚弄、侮辱する人物描写です(いや、父や孫の名、またかつて所属していた修道会や、知る人ぞ知る市内の公園まで実名で登場させているのですからフィクションを逸脱しています)。セシウムがどうだからこうだとか、そんなことを自らの思想信条を表明するのに言及したことなど一度もありません。ほとんどすべて父の実像からずれています。原著者には来日して父の霊前で謝罪しなければ許すことができません。こうした愚作をそのまま邦訳して、遺族に翻訳の助言を依頼する貴方の心性が信じられません。何か釈明があれば、メールでなく(返信されたのは読む気ないですから)手紙でも寄こしてもらえませんか?父の霊前で読んで聞かせましょう。

佐々木

【追記】佐々木あずささんと連名で宛てているのも無礼です。佐々木あずささんとは、親族関係でもありません。貴方、いろいろ何か人としてずれていますね。学生時代、父に注意されたとおっしゃってましたが、なるほどと思いますね。


★以下、試訳をある方に読んでいただき、頂戴した感想です。

ざっと目を通しましたが、文体が浅薄で、人を見る目も想像力もまるで欠けています。小説の体をなしていませんね。実名を使っているだけにかえって不愉快です。文は人なり。その浅はかな目でササキを見ているのでこれはどうにもならないと思いました。淳さんが唖然となさるのも、お怒りになるのも当然です。これは訴訟ものです。
それにしても訳者も無神経すぎますね。
いつの時代もアホは世界の至るところにいるものです。右にも左にも真ん中にも。

「つまり原発とは何か、放射能そして放射線とは何かについてほとんど無知のまま立ち向かったのである。たとえばその放射能と放射線の違いなど、たぶん今では小学生でも分かるような基本的なことさえ分からないし、分かろうともしていないのである。つまり事故以後も、それら敵方の情報など一切調べることもなく今日に至っているのだ」と父は言明している。父の言うことの主旨が理解できない人は、もとより通じ合えない人々である。

魂の叫び――ホセ・マリア・シシリア展に寄せて (2013年)

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1 Response to Fractura: Andrés Neuman

  1. 佐々木淳 のコメント:

    勝手に作品を絶賛し、全体を読んでから判断してほしいなどと居直って強弁されるわけですが、翻訳をされる中、恩師が(そうとも思っておられないであろうことは、スペイン語を使うお仕事に就かれながらご卒業後一切の交流がなかったことでわかりますが)安っぽいピエロに仕立てられ実名で登場していることに、何の疑問も義憤の念も覚えなかった貴方の人としての無感覚ぶりに私は唖然としているのです。全体を読んで私の思いが覆るとでも思っているのでしょうか。私は「部分」、それも本質的な、について問題視しているわけで、「全体」のことを問うているのではありません。「全体」がよければ「部分」の錯誤など不問にせよというのでしょうか。その「部分」において父が創作の名のもと半ば愚弄され、思想家としての実像がゆがめられ、人格が貶められていると実の息子が受け止めていることに貴方は向き合う気は全くない様子で、無感情にすぐさま弁解に回るご神経に正直背筋が凍りました(そうした受け止めをするのは遺族だけではありません)。憤慨し悲しんでいる人間がいることを無視して、ひたすら自分の主張、正当性を押し通そうするあたり、まるで近代日本(人)が隣国とその民に対して犯したことに対する居直りとそっくりです。ともかく私は言うべきことはすべて言い尽くしました。これ以上かかわりは持ちたくありません。もう二度と近づかないでください。ご健勝を祈ります。ただし、「ササキ」の登場する(繰り返しますが、私の娘の名まで実名で登場し、三文芝居を繰り広げます)愚作の翻訳のお仕事は断念された方が貴方のためであることを改めて忠告しておきます。

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