この日は実質父の最後の日

二年前の今ごろ、父は病室で何を考えていたのだろう。前日、父を入院させ、父が医療体制下に入ったことで、心配しつつもひとまず安堵していた。長期戦、少なくとも数か月を見込んでいた。その日は午後の気管支鏡検査までに間に合えばと、朝、母のお世話を済ませてからゆっくり出発した。途中、高速で寝不足と疲労で運転が辛くなり、PAで仮眠を取ったことで、父との最後の時間が短くなってしまったことを、今でもとても後悔している。父は初めての入院、覚悟を決めながらも、心細かったに違いない(深夜、点滴スタンドを引きながら、やっとの足取りでトイレに行ったが、迷ったらしく、後で認知症の患者さんのごとくセンサーを取り付けられていたこと、相手の尊厳を無視した機械的なその対応を、死後、病院に対して厳しく抗議した。父はセンサーに気づいていなかった)。何より半世紀連れ添った母としばしの別れ(もしかしてそれきりの。結局、そうなってしまったが)を告げたのだ。がんセンターに到着し、横になっていた父に声をかけると、父は息子の面会を穏やかに喜んでくれた。待っていたようだった。
 気管支鏡検査で1パーセント、いや0.01パーセント以下と同意書にサインしていたまさかの医療事故、合併症が起きた。余命は一両日中の間となって、HCUを抜け、父の病室から別室に荷物を移動した時、父が朝、闘いに備えたった一人(父は母とともにあってこその父だった)で一生懸命半分食べたおかゆの跡が残ったスプーンを見て、突然、堰を切ったように激しく泣いたことを自分でも驚いている。その後、父が息を引き取った時も、葬儀でも私は泣かなかった。

※12月18日は奇しくも祖父・稔の命日でもあった(1943年歿)。だから三四半世紀経て稔おじいさんが父を迎えに来たのではないかとも受け止めている。

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この日は実質父の最後の日 への2件のフィードバック

  1. 大嶋仁(おおしま・ひとし) のコメント:

    佐々木淳様

    私はつい先日、お父様が昨年他界されたことを知った者です。
    お父様の生前にお知り合いになれなかったのはまことに残念です。
    私は佐賀県の唐津というところで、
    数人の仲間と運営している「からつ塾」について、
    数年前にお父様に一度メールを送ったことがあります。
    お父様が問い合わせてこられたからです。
    そして、つい最近、お父様の消息を訪ねようとして、
    淳様のブログに出会った次第です。
    遅ればせながら、ご挨拶をしようと思って今回、お便りします。
    このメッセージが佐々木淳様に届くことを期して。
    大嶋仁

    • 富士貞房Jr. のコメント:

      大嶋仁先生

      初めまして。佐々木孝の息子の淳と申します。お返事が遅くなり、失礼にお詫びの言葉もありません。まことに申し訳ございませんでした。父の三回忌の迫る特別な日に先生からの温かなメッセージを頂戴しましたことを、大変感謝しております。早速、先生の「からつ塾」で検索したところ、2012年10月19日の父の投稿を見つけました。読んで、その中で父の触れた先生からメッセージをいただいたことに感激いたしました。お返事がこれほど遅れながら虫のいい話ですが、父が心を寄せた御方として、先生と奥様とこれからおつながりさせていただければ幸甚に存じます。どうかご検討のほどお願い申し上げます。天国の父も喜び、先生ご夫妻からの息子への薫陶を望んでいることと思います。よろしくお願い申し上げます。
      お時間の許すときにお返事いただけますことを願っております。

      佐々木淳拝

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