無事でおります

昨年のクリスマスイブ以来の投稿は、遅すぎる新年のご挨拶となり、父のモノディアロゴスを愛読してくださる方々にはひたすら失礼をお詫び申し上げます。母のことで日々いっぱいいっぱいであったのと(プラス、今日、目の上のたん瘤であった出来事を感染予防に努めながらようやく消化しました)、一番は、いよいよ厳しい状況になってきたいわゆるコロナ禍へのこの国、その民の対処、向き合い方に、つまり官民一体の愚劣、不義、はっきり言うと狂いぶりに、近代日本(人)、あるいは戦後民主主義なるものの虚妄を決定的に見せつけられたようで、気が滅入ってほとんど何も手つかずにおりました。決してアベやスガ、もしくは西村、もしくは尾身などの「専門家の皆さん」と呼ばれる無能集団、人でなし(彼らは身を挺しての警告を怠りました)だけの(無)責任ではありません。むしろ主犯はこうした前者を押しいただく、能天気でタガの外れた、そして自己中心的な民にあるでしょう。ともかく、コロナに打ち勝つだのかけ声は盛んですが、この人類規模の災厄・危機を人々は真剣に憂い、対処したことがあったでしょうか。常にコロナ問題は単に生活を阻害する邪魔者として忌避されるだけで、真正面から社会が向き合ったことはほとんどなかったのではないか。そして未知の感染症に対し、あまりにも認識が甘かった。世界中で日々出されるおびただしい数の犠牲者を悼む空気も実にこの国は皆無です。政治的な無知(無恥)と偏見と差別にまみれ、自らの生活を改めようともしない民の姿に、人間社会に対する悲しい結論を思わずにはいられませんでした。有史以来、人間の救済のため紡がれてきたあらゆる文学・思想、あるいは宗教をすべて踏みにじるかのようなこの一年の日本人(米国をはじめとする西側諸国の在り様にも失望した)の来し方だったのではないかと感じています。父が生きていたら、果たしてどんな思いを抱いたでしょうか。
 語弊を恐れずに言うと、さながら “日本コロナ”(「武漢肺炎」だの「中国ウイルス」などと揶揄する動きを許せない。翻って、自国のあり様が “日本コロナ” でなくて何だろう)によって今や自ら墓穴を掘る様相です。ワクチンの確保も残念ながら遅れるでしょう。この国(民)ならではの愚かさで、この一年のあり様を見てもわかるように、ゆっくりじっくりと破滅に向かうでしょう。
 求められているのは今、はらわたが千切れるほどの自らの社会に対する痛悔でなくして何でしょう。



今日あったある出来事(催し)も、私は挙行に反対で、今週に入り、主催者や町の教育委員会など各々の関係部署に抗議したものの延期・中止の考えはないとのこと(教育委員会は何をお高くとまってるのだか直接の回答はないまま。まぁ教育委員会らしいといえばそれまでだが)。うちだけ辞退するわけにはいかないので最終的には受け入れたが。コロナ禍の情勢を鑑みることなく挙行する文化的意義など欺瞞に過ぎないと思っている。今やる文化的イベントは、この世界的災厄への配慮があって初めてやることに意義が生じるものと思う。しかし、この一年の福島は何だろう。常にコロナ問題は脇役で、ひたすら古関裕而の神格化とオリンピック礼賛、復興記念に明け暮れたようにしか思えない。それと馬鹿の一つ覚えのように県知事を筆頭に猫も杓子も「アンゼン・アンシン」の連呼(裏を返すと、それがないことを白状しているようなものだが)。能天気すぎる。日本を含むいわゆる西側諸国全体に感じたのは、コロナ禍によって、今の民主主義の本質的欺瞞、少なくともその担い手の退廃が、感染爆発、膨大な死者、エゴイズムの裏返しでしかない低劣なデモ、暴動という悲惨な形で露呈し出したのではないかということである。この危機で人々の命を守るため唯一まっとうな対処をしているのが、西側民主主義が正当な評価を拒み、ひたすら敵視する中国であることは直視すべきである。


* 新型コロナウイルスという感染症は、その病態に目をくらまされている人々が多いが、決して脇役として扱ってはならないものであり、現代文明、少なくとも今生きている人々が直面する最大の正念場として受け止めなければ誤っているだろう。コロナ禍を邪魔者のように払いのけて、過去の災厄の追悼行事にいそしんでいる様も、私には一つの不可思議な皮肉として映る(そういった追悼の行為を軽視していい、やめるべきだなどと言っているのでは決してない。私が言いたいのは、個々の魂でやることが重要なのであり、今「行事」としてやるのは二の次ではないかということである。いや、しかし当の人々がコロナのことを以上のように脇役、もしくは邪魔者として軽んじているとしたら、やはり不可思議なことだと残念に思わざるを得ない。同じように多くの命が失われているわけだから)。オリンピック開催の是非についていまだ云々しているのは論外である。
** 日本のコロナ対応は本当にグダグダで、最低の国、社会、民であることを決定的に露呈させたと思っている。よく平然として生活していられるものだと内心唖然としながら日々、日本人を見ていることを打ち明けます(悔しいけど自分もその日本人の一人)。コロナが早く終息しますようになんて拝んでも、やることをやらなければ全く意味はないのである。とにかく日本の対応は対症療法だけ。国が必死になって検疫、抗疫に動かないのは信じられない怠慢であり、光景である。そして、そのための人員も体制も確保できない。残されるのは、そして肝心なのは民の意識の有り様だけだが、それもすでに終わっている。
*** コロナカコロナカと今やしたり顔に老若男女問わず口をついて出る世情にあるが、コロナカ(コロナ禍)の響きから伝わってくるのは、単にそれまでの日常を「邪魔された」というひたすら自己本位な恨みつらみの感情だけである。そこが「日本コロナ」の異様な点であると独り受け止めている。コロナウイルスが単なる「邪魔者」であるという意識。そこから大の大人による中国、「中共」元凶論へとリンクしていく。この低俗な思考回路、何とかならないか。

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