虚実皮膜の論

昨年七月初旬よりほぼ毎日書いてきたこの「モノダイアローグ」もおかげさまで年を越えることができた。年が改まって最初の話題としては適切でないかも知れないが、時々友人にこのモノダイアローグはジャンルとしては何か、と訊かれることがあり、そのたびに返答に窮する。というのは真っ赤な嘘で、自分としてはジャンルは一切気にしていない(と言えば嘘になるが)。
 でも、何であるか、というより、何でないか、と訊かれた方が答えやすいかも知れない。日記、じゃない。生活報告、ともちがう。エッセイ、でもない。小説、じゃないでしょう。もしかすると、それらすべてであることを初めから拒否しているのかも知れない。それもかなり前からのことである。ただ惜しむらくは、そうした隠れた拒否の姿勢が、なんとか実作品を通してプラスの力に転換されれば(表現されれば)いいのだが、それこそ力量不足で、ただ拒否の姿勢だけがさびしく独り善がりのまま立っているといったところか。つまりそれらマイナスのカードがプラスに転じる決定的な何か、あるいはその転機、に未だ恵まれていない、と言えば良いのか。
 このあいだも『青銅時代』の現編集長H氏とこのことについて電話で長話をした。簡単に言えば分類不可能ということである。しめた!あと一歩である。
 畏友T. N氏は以前(正確に言えば平成十一年十一月)、最近私が書いているものについてこう書いてきたことがある(褒め言葉は絶対に忘れない!といって、急いで記録を探しまわったのだが)。「花田清輝が《随筆のような小説》を書きたいと言ったようですが、貴兄のは《評論のような小説》という新しいジャンルで…」。
 いくら親友の言ったことだとはいえ、花田清輝を例に出すのは、たしかにおこがましい。しかし方向性としては似たようなところを長いあいだ狙ってきたことは事実である。もう一人偉い人の例を出すなら、近松門左衛門の「虚実皮膜の論」がある。つまり芸術は虚構と事実が即かず離れずあることであり、表現法としても事実そのままより虚構をほどこすことによって真実に迫り得る、という考え方である。近松は強く芸術を意識しているが、私はむしろ現実の総体(それを真実と言い換えてもいい)に迫る方法論のことを考えている。だからここに書かれていることを間違っても事実そのものとお取りにならないように。以上、新年早々、煙幕を張らせてもらいました。  (1/2)

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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