ケータイの愛(charitas)再説

以前、『北の国』にかこつけて「ケイタイの愛」について愚論を展開したことがあるが、今日はもう一つ別の「ケータイの愛」について書いてみたい。その前にケイタイは正式(?)にはケータイと書くべきだろうか。もうどこかの辞書に登録されているのかどうかは知らないが、「ケイタイ」と書くといかにもごつごつとしていて、理科室の人体模型を連想してしまうからだ。もっと軽―い響き。
  さてところで、キリスト教の言う伝統的な愛の分類法では、先日のケータイの愛は amor, eros に分類されるであろう。つまり性愛、簡単に言えば世俗的愛である。そしてケータイはすでに性愛に新しい局面を切り開いている可能性がある(もっともその多くは現実遊離の、場合によっては倒錯した一方的な愛かも知れないが)。
  しかしもう一つの愛、つまり charitas(愛徳)や agape(聖愛)とケータイに関しては、今後真面目にその可能性を考えてみる価値があるのではないか。インターネット経験の長い友人が言うには、ケータイを含むインターネットは、老人と身障者の福音(あるいは友?)ということだが、なるほど、この革命的ともいえる機器のおかげで、孤独を託(かこ)っている全国の老人がどれだけ癒されていることか。そして身体的なハンディキャップに苦しんできた人がどれだけ助けられていることか。後者には社会参加の可能性も大きく広がっているはずだ。
  この種のケータイの愛は、個人的領域を越えてさらに発展する可能性もある。たとえば、愚かしい国家エゴを越えて人々が地球規模の兄弟愛で結ばれる契機になったり……性懲りもない既成宗教の縄張り争いがどれだけ真の愛から逸脱したものであるかを白日の下に晒す契機となったり……
  そんなことを考えるきっかけは今日の大熊詣でにあった。実は一昨日に行く予定のところ、月々の支払いの件もあって(土曜は会計が休みなので)、今日に延びてしまったのだが、会うなり義母は涙声でなにやら言っている。よーく聞いてみると一昨日は一日中待っていたと言いたいらしい。しっかり訪問日時を覚えていたわけだ。そこでとっさに機嫌直しの特効薬を思いついた。東京の娘をケータイで呼び出して義母に話させたのである。憂い顔がいっぺんに晴れやかな喜びの顔になった。勤務中の娘には悪いが、次回からは特効薬として癒し犬クッキーにさらにケータイが加わったことになる。ありがたいことだ。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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