一日の終わり

今日は雑用で、あっという間に一日が終わりそうである。そして今日の辛うじての収穫の一つを眺めているところ。背革で、白地に茶色のストライプが斜めに入った厚手の布で装丁された唐木順三の『無常』である。元は筑摩叢書の一冊だが、見違えるほどセンスのいい本に生まれ変わった。巻末の見返しには「昭和四十年八月三日 西沢書店にて求む 三本木美子」と万年筆で書かれている。昭和四十年といえば、美子が大学三年生の夏、そろそろ卒論の準備をし始めたころであろうか。
 私は、というと、三年間の広島での修練を終えて、石神井の神学院で哲学の勉強を始めた最初の年である。日記にはこう書かれている
「八月三日、火、くもり。 朝方、赤羽に行ってみる。迪子姉、恵、英樹が元気にしていた。松山のお母さんもかなりよくなったそうだ。ゆっくりした。夜八時、修院に着く。姉にバンドを買ってもらう」。夏休みで、原町から姉と二人の姪たちが赤羽の義妹の家に来ていたところを訪ねたらしい。バンドというのはベルトのことである。
 『無常』は私自身は読んだことがない。万年筆や赤鉛筆で線引きされている。しっかり読んだ痕跡がある。中に青い図書カードが入っていた。青山学院大学間島記念図書館のもので、貸し出された本はT. S. エリオットのエッセイ選集の原書だから、やはり卒論の準備のための読書だったのだろう。内容は、一 はかなし(かげろふの日記や源氏物語)、二 無常(法然や親鸞)、三 無常の形而上学(道元)となっている。こうした日本古典の思想とT. S. エリオットがどう結びつくのか見当もつかないが、彼女なりに繋がりを見つけていたのであろう。
 すぐ側の本箱に、エリオット全集やホプキンズ詩集、エズラ・パウンド詩集などを並べているのだが、まだ手をつけていない。いつかは、美子の弔い合戦をするなどと粋がっていたが、どうも口ばっか(空手形)になりそうだ。
 ところで今日の雑用とは、朝起きてすぐ、近くのゴミ集積所に古新聞や段ボールを運んだこと、美子と一緒に月一度の歯の検診に行ったこと、午後はこれまた月一度の石原クリニックでの検診に出かけ、ついでにばっぱさんの薬を施設に届けたこと、などなどである。いずれも大したことではないのだが、それぞれ意外と時間を食い、結局建設的な(?)ことは何もしないうちに日が暮れてしまったということである。合間合間に手がけた装丁の仕事の収穫は、先の『無常』以外にあと2冊。すなわちアソリンの最後のエッセイ集(Crítica de años cercanos)を布表紙に、そしてイサベル・アジェンデの上下2冊の文庫本『ゾロ』を合本にしたことである。
 お前、なーにやってんだい? という声が聞こえないでもないが、でもこんな一見意味のない些事を重ねていくことも「生きる」ことには違いないんだろうな、などと思っている。
 美子の便所を済ませ、歯を磨かせ、パジャマに着替えさせ、「化粧水+美容液」をシルコットに染み込ませたもので顔を丁寧に拭いてやって、いまやっと寝たところ。以前は何度も起きだして、そのたびにベッドに連れ戻さなければならなかったが、ありがたいことに最近はそんなこともなく、あゝこのままの状態がずーっと続いてくれれば、と祈るだけです(でも誰に?)。いや私たち夫婦だけでなく、世界中のすべての人が、平和のうちに眠りにつきますように(地球の半分は昼だって? それじゃそっちの人たちは、怪我や病気をせずに元気に働けますように)。


【息子追記】立野正裕先生(明大名誉教授)から頂戴したお言葉を転載する(2021年3月12日記)。

美子さまが大学三年生で『無常』を熟読されていたとは驚きます。唐木順三は明治大学文学部教授でした。したがってわたしも二年生ぐらいから読み始め、四年次までには当時刊行されていた筑摩叢書版の唐木著書はあらかた読み上げていました。おりから学園紛争が激しさを増していたころで、唐木先生はバカな活動家学生が牛耳っている大学なんかいられないといって辞表を出し、著述一本で生計を立て始めました。講義を受ける機会を逸してしまったのは残念でしたが、著作はその後も読み続けました。戦後の明大文学部黄金期を代表するお一人でした。最近も『現代史への試み』を再読する機会がありました。エリオットを卒論に選ばれた美子さまも当然同書を読まれたと思います。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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