【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」

3月12日13:00~14:00、NHK Eテレ1より再放送があります。ぜひご覧いただければ幸いです。 

こころの時代~宗教・人生~ アーカイブ私にとっての3・11「フクシマを歩いて」

以下、番組案内から

放射線災害や戦争による「難民」が絶えない今、2011年に徐さんが福島で積み重ねた思索の番組を振り返り、2022年現在に抱く徐さんのメッセージとともにお送りする。

2011年、徐京植さんは原発事故直後の福島県南相馬市を訪ねた。そこで徐さんは、耕作禁止になりながらも田の手入れをしている人、介護する妻を抱えて避難せず留まり続けた人と出会い、福島の在日朝鮮人の被災現場などを訪ねる。福島で出会った彼らの言葉や生き方を通し、アウシュビッツや広島など、人類がかつて経験した「破局」に際して遺された言葉を手がかりに思索を深め、今、何が私たちに問われているのかを探ってゆく。

明治大学名誉教授の立野正裕先生のお言葉を許可を得、以下に転載する。

久しぶりに見返して感銘を新たにしないわけにはいかなかった。
人間が「根こぎにされる」とはどういうことかを考え、母校で学生に向かって語るソ・キョンシュク氏は、原発事故直後の福島を歩き、南相馬在住の佐々木孝氏と面談する。
佐々木氏は事故後の避難勧告に従わず、介護の必要な夫人とともに自宅にとどまった。つまり根を抜かれてしまうことそのものに抵抗した。その抵抗の根源には、介護の必要な夫人の存在があった。
弱者である個人がまっとうすべき存在の基盤から、物事のいっさいを見直してみる。すなわち発想の重心を低くし、そこから日常を剥ぎ取られた社会の仕組みがどうなっているか、目前の危機の事態に人は最優先になにを考えるべきかを熟考し凝視する。そうすると見えてくるのです、と佐々木氏は語る。この社会が価値を置いてきたものの真の姿が。

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【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 への1件のフィードバック

  1. 立野正裕 のコメント:

    やや言葉足らずの気味があるようですが、魂の重心を低くすることによって炙り出されてくる日本社会の現在の姿、その真相が見かけの便利さとはうらはらに、一朝事あれば人々の生活のみか人間としての存在の根幹をなしているものを容赦なく、冷徹に引っこ抜いてしまう体のものでしかないことが、佐々木先生及びこの番組に登場する福島の方たちの証言から浮かび上がってきます。ソ氏の地に足のついた沈着な語りの力とともに、再見して考えさせられるところいよいよ深いものがありました。

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