敵は城中にあり

 今日の午後は三つも腹立たしいことが続いて、さしもの瞬間湯沸かし器も沸騰する暇も無かった。そのうちの一つは腹立たしいというより残念なこと、極めて個人的なことなのでここでは触れない。

 第一のことは、十和田に移った息子が、年金手続きのために納税証明書(ただし息子の場合は非課税証明書)が必要なので、市役所に行ってくれないかと言う。それで、美子を後部座席に乗せて市役所に行ったときのことである。所内は被災証明書を申請する市民たちでごった返していた。所定の用紙に記入したものを窓口に出して待っていると名前が呼ばれた。しかし証明書らしきものは係りの手にはない。ちょっと嫌な予感がした。すると案の定、非課税証明書は本人が申請するか、もしくは委任状が必要と言う。分かった、しかしその委任状といっても、印鑑さえ押していればそれが本人かどうか調べようがないんじゃない、それにだいいち、私が息子の父親であることは先ほど見せた運転免許証で分かったでしょう、それに息子の納税いや非課税証明書をどう悪用できます、この非常時、杓子定規の扱いはしないで、出してくださいよ。すると相手の若い男、非常時だからこそキッチリ決まりを守らなければ、などと反論したもう。駄目だこりゃ。十和田から文書で請求させることにした。
 
 もう一つ。これも息子がらみのことだが、息子は十和田の郵便局に転入届けを出して自分たち宛ての郵便物だけは十和田に転送するよう依頼したのに、今日、パパ(つまり私)宛ての手紙五、六通が息子のところに配達されたという。この案件もついでだから、と市役所の帰りに郵便局に寄り、そのへんの経緯を調べてもらうことにした。すると係りの者はそれはうちじゃなく郡山局の管轄だ、と抜かしおる。ええっお宅、日本郵便でしょ、どこの管轄もクソもない(とは言いませんでしたが)、即刻調べろ!、と少し(ですかー?)語気を強めると、はい連絡してみます、とあわてて答える。でもこっちが強面で迫ると、どうしてこうすぐ反応するの? 

 ともかくかなり待っていると、郡山局は混雑していて時間がかかりそうですので、あとからお宅の方にご連絡します、と言う。そう言われたら仕方がない、待つしかない。
 
 話を端折ると(ここまでだってずいぶん長い説明)、そのときが三時半、そして局から返事があったのは、何と!何と!、今さっき、つまり六時五十五分だどーっ。実はその間、あまりに返事がなく、しかも原町局の電話にはだれも出ないので、ネットで郡山局の電話番号を調べて話をつけようとしたのだが、ここもまたいい加減。こちらでは分かりませんので、と080で始まるケータイ番号を三つも教えられる。ところがこのいずれも圏外です、とか電源が切られてます、とかとんでもない返事が返ってくる。それだけで四十分ほど浪費。どうにも腹が据えかねてもう一度先ほどの電話にかけると、出なかったんですか?あゝそれは五時を過ぎたからかも知れません、といけしゃーしゃーの答え。ここで沸点を越える。すると、相手の女性、上司に話してみます。初めからそうせーや。ただし出てきた上司どの、苦情専門の上司なのか、申しわけない、係りの者がいっかつ十和田に転送したようです、以後気をつけます、とものすごく低姿勢。こっちも単純なものだから、急速にクールダウン。善処方を頼んで、長いながーい交渉劇に幕を引く。
 
 すごいっすねー日本郵便のこの体たらく。だれか関係者がこれを読んでいたら、お願い、ちょっと注意してやってくださいよ。
 
 いや前置きが長くなりましたが、今日の本題はこれからです。お疲れでしたらどうぞお茶など飲みながら聞いてください。
 
 本題の方も気が滅入る話である。実は今朝、ネットの朝日新聞を見ていて仰天した。16、17日、つまり昨日、一昨日、朝日が独自にやった原子力発電の今後についての世論調査によると、「増やす方がよい」が5%、「現状維持にとどめる」が51%、「減らす方がよい」が30%、「やめるべきだ」が11%だった、というのだ。
 
つまり今回の大事故の後でもなお半数以上の人がこのまま原発を維持すべきだと言っているのだ、ウッソだろー、ええっ、それ本気なのー。頭狂ってんのとちゃう?
 
「強い日本、みんなで一緒にガンバローっ」っていうのは、原発続けて頑張ろうって言ってんの?こないだの余震で心が折れたなんて思わず弱音を吐いたけど、この世論はそれどころじゃないショック。こんな時にも、テレビでは宇宙飛行士の「地球は綺麗かった」なんてノー天気な話をしてるけど、美しい地球を原発でアバタだらけにして、地球の回りに宇宙船の残骸をグルグル旋廻させて、それで地球は美しいはないべさ。あなたがた地球をぼこぼこにして地球を見棄てる気?それはないべさ。宇宙開発に投じる巨額のお金で、今も戦死や餓死をしている何十万(ひょっとして何百万?)の可哀想な人たちが救われるんと違う?
 
 思わず宇宙開発まで話は飛んでしまったけど、いったい地球をどうするつもり?
ドイツは一足先に脱原発を表明したのに、唯一の被爆国日本が何やってんの?ああーほんとやってらんねーよ。といって放っておくわけにも行かないし。俺、もう今夜からぜったい「アイ・ウォンチュー・ベイビー福島♪ー」なんて歌わないからな。えっあのグループ、バリバリの反原発論者だったら? あゝ、そんなことないと思うけど、もしそうだったら俺彼らの追っかけになってもいい。
 
 いや正直、がっかりしてます。事故の工程表が出て、さあこれから、と思ってたのに、半数以上の同胞をこれからどう目覚めさせるか、と思うと目の前が暗くなります。
 
 そんなこんなで文章になりません。それで、先日は昨年十月の文章を一部紹介させていただきましたが、今晩は今から約十年前(2002年9月)に書いていた二つの文章を引用させていただきます。実はホームページの「研究室」の中の富士貞房作品集の中にある文章なのですが、初めての人には分かりにくい場所なので、あえてここにコピーさせていただきます。

★福島第一原発の町で
今日は十日ごとの大熊町訪問の日。明日からは少し涼しくなるとの天気予報が嬉しいほどに陽射しの強い一日であった。いつもの通り六号線を南下していく。出かける前にちらと目に入った今朝の新聞のトップ記事「東電首脳総退陣 損傷隠し認め引責」が棘のように意識につきささったまま。
 福島第一原発が双葉町と大熊町に、そして第二原発が楢葉町と富岡町にまたがって存在することは漠然と知っていた。赤と白の煙突(?)は六号線の見慣れた風景となっていた。確か東電のテレビコマーシャルで、元巨人の野球選手と早稲田のエジプト学者が東京の電力の相当部分が福島県と新潟県(?)から送られてくると話していたことにも、今までは特に問題を感じてこなかった。
 迂闊なことだが、覚醒はいつも遅れてやってくる。だから福島県の知事や副知事が怒りのポーズを顕わにしていることに、なにを今更と非難する資格はないだろう。しかし嬉しいことに、原発の持つとてつもない危険性を逸早く察し、警告してきた目覚めた人たちも少数ながらいた。地元の詩人(だが中央[?]でも高く評価されている)若松丈太郎氏はそのうちの一人である。私はといえば、半年前から浜通り地方(福島県は会津・中通り・浜通りの三つからなる)に住むようになったのに、この海岸線に沿って広がる美しい土地に二つも原発があることの不気味さにようやく気づき始めるていたらくである。
 もしチェルノブイリ級の事故が起これば、もちろん私の住む町は立派に危険地帯に含まれてしまう。「こちらもあわせて約十五万人/私たちが消えるべき先はどこか/私たちはどこに姿を消せばいいのか」(若松丈太郎詩集『いくつもの川があって』花神社)。
 原子力というこのパンドラの匣を開けて以来、人類は常に破滅の危険に晒されることになった。匣を急いで閉め、以後決して開けることのできないよう封印をすることはもう不可能なのであろうか。専門的な知識がないままに言うのだが、原子力の操作、その維持管理に絶対的な安全性など土台無理である以上、早急に封印する方向に叡智を結集すべきではなかろうか。東電事件と時を同じくして脱ダム宣言を支持した長野県民の良識と勇気に、ともあれ一縷の希望をつなぎたい。
 今日も義母に対する癒し犬クッキーの不思議な力を再確認したあと、暑熱の空の下、遠目にも傲然と蟠踞する福島第一原発を横目で睨みながら帰途についた。嗚呼!  九月三日

★そこに山があるから
 生まれつき不精な性質(たち)だからか、不自然な無理が嫌いだ。「なぜ山に登るのですか?」という質問に、「そこに山があるから」と答えたのはだれでしたっけ。エベレスト初登頂に成功したイギリス隊の登山家ヒラリーだったろうか。この言葉、実は私、好きでない。登山を不自然だなどと言うつもりはないが、測候所などの設置とか、気象観測に絶対必要な場合を除いて、後は限りなく趣味の世界で、どうぞご自由に。だから登るのが嫌いな人を根性無しなどと言わないで(誰もそんなこと言わないか)。
 ともかく上は宇宙開発から、未開地への冒険行…バイオテクノロジー……果ては政治的野心、これ全て人間の中にある、良く言えば飽くなき探究心、正直に言えば貪欲さの現われである。ためしに宗男ちゃん(もちろん鈴木さんちの)に聞いてみたまえ。「君はどうして政治家を志したのか」。彼は間違いなくこう答える。「そこに政治があるから」。もっと正確に言うと、「政治家中川一郎の背後に永田町、国会議事堂、そして究極のところに宰相の椅子があるから」。
 近代の功罪については、既に語り尽くされた感がある。敢えて一つに絞り込めば、進歩幻想であろう。つまり人間は常に前進せねばならず、そしてその努力は必ずや正当に報われるであろうとの幻想である。進歩幻想は、必ずしも現世的・世俗的欲望だけにとどまらない。精神的・宗教的欲望には、さらに純化された形で、つまりよりパワーアップされた形で関わってくる。精進・苦行が時にはグロテスクなまでにエスカレートし、法悦がマゾヒスティックなものと区別がつかなくなるのもそのためである。
 これまでの技術的進歩とは比べようもないほどのスピードで全てが日々、いや毎瞬毎瞬進んでいる。どこまで進めば気がすむのか。昔は一日に一、二分の誤差ですめば時計として十分用が足りたのに、今ではテレビ局のディレクターでもないのに、月十秒ほどの誤差しか出さない時計を幼稚園児でも持っている。炊飯器や扇風機にまで組み込まれた時計、いったいいくつの時計が身の回りにあるか。十くらいでは済みませんよ。でもそれは何のため?
 今日もテレビで宣伝している。運転しながら行き先を瞬時にナビする新型車。おいおい、交通事故の機会を増やしてどうする(昨日の原発問題を考えようと思っていたのに、どんどん話が広がっていく。これって、やっぱし近代精神の影響?)         九月四日

Please follow and like us:
佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

2 Responses to 敵は城中にあり

  1. ユイコ のコメント:

    先生のお顔を想像して悪いとは思いましたが
    おもわず笑ってしまいました。
    私は誰がなんといおうと原発反対です。
    若者を犠牲にしてこれ以上お金儲けをするのは罪です。
     
    役所のことですが、
    彼らは書類さえそろっていればいいので、
    私は委任状を貰ってきて筆跡を少し変えて自分で書いて
    (ハンコなんかは印鑑証明なしのものでいいのですから)出しています。
    印鑑証明が必要でも基本役所が必要なものは同じです(書類)です。
    ばれたって彼らの責任にはならないのですから、彼らは受け取ります。
    そして手続きをすすめます。
    口に出してはお互いいえません。 暗黙の了解というやつです。

    寝たきり老人で字も書けない人の委任状を出せといわれることも
    有りますが、説明するのが面倒ですし、やりあうのもばかばかしいです。
    役所の人たちの仕事は職員の立場でころころかわるのでいちいちかまって
    いられません。
    これは老人ふたりを介護してそれぞれの役所、担当課、福祉事務所とやりあい
    それぞれ天国に送り出して学んだ生活術です。
    老人ふたりのことを考えればこんなワザなんでもないことでした。
    先生の教え子としては恥ずかしいことですね。 (静笑)

  2. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    先輩!ありがとう! 次からそうしまーす。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください