玩具のハンマーで殴らせる

 午後、ヨークベニマルに行ってみた。駐車場は満杯に近く、空き場所を見つけるのが難しいほどだ。年末やお盆のときにもこんなことはない。店内に入ってみると、なるほど買い物客でごった返している。とりたてて必要なものはないが、そういえば震災後牛乳を飲んでいなかったことを思い出した。美子のためのカルシウム含有量が多いやつ、それに起きたときと寝るときに美子の顔を小さなタオルで拭いたあとにクリームを塗るときのパフを買うことにした。ついでに美子の好きなアイスクリームも。
 
 大勢の客の中には一人くらい知ってる人がいると思っていたが、だれとも出会わない。小さな町ではあるが、もちろんいつも客の中に知人がいるわけではない。しかし今日はなんとなくいつもの客と雰囲気が違う。要するに久方ぶりの開店ということで、ふだんはこちらに来ない遠方からも大勢押しかけているのだろう。たいていの人がマスクをかけており、なんとなく余裕のない顔つきをしている。避難所疲れだろうか。
 
 たぶん、かく言う私自身も余裕のないというか疲れた顔をしていたのであろう。事実、昨日あたりからなんとなく疲れを感じている。たとえば美子の服を着せるときでも、調子のいいときにはまるで手品師みたいにうまくいくのに、やたら時間がかかる。美子の腕や手がまるで鋼鉄のようにかたまっていて、うまく解きほぐせないのだ。思わず深いため息が漏れる。こういうとき、不思議に美子も言うことを聞いてくれなくなる。
 
 買い物のあと夜ノ森公園に廻っていつもの半分の散歩をして家に帰ったときである。ふだんより重い手を引いて階段の最後に差し掛かったとき、急に美子が動かなくなった。最後の段の手前でどうしても脚を上げようとしない。脚を次の段にかけるのをためらわせる何かがあるのだろう。しかし下手をすると階段からころげ墜ちるかも知れないので、必死に引っ張る。まるで牛になったように動かない。それでもやっとのことで引き揚げたのだが、今度はそこで尻餅をついてしまう。こうなると抱き起こすのは至難の業となる。
 
 本当はこんなとき、明るく声をかけてやればいいのだろうが、その余裕をまったく失くしてしまっている。情けなく、惨めになる。そこから抜け出すには、優に30分はかかる。救いは、美子の方では叱られたことも、罵倒されたことも分からない、というか覚えていないことだ。おそらくプロの介護師なら、声の出し方とかタイミング、微妙な手の力の入れ具合によって、ちょうど猛獣使いや猿回し(ごめんな美子、猛獣や猿に喩えて)のように、阿吽(あ・うん)の呼吸を心得ているのだろう。

 そんなこんなで、今日も原発事故関連ニュースからは遠ざかっていたが、夜のニュースで東電の社長が被災した町長などを回って謝罪する場面を見てしまった。あれって相手の言うことは百も承知で、しかも会わざるを得ない儀式のようなものだけれど、あまりおもしろい図ではないなー。というか、気の弱い私など、よう見れたもんではない。あれだったら、先端が蛇腹になっている玩具のハンマーで殴らせた方が、いやもちろん殴るのは町長さん、殴られるのは一応ヘルメットをかぶった東電社長だが、見ている分にはずっと爽快感がありそうだ。殴ってるうちに、いよいよ憎しみも増すだろうから、回数は思いっきり十回こっきりとでもしておこうか。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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