幹事長ご来駕

 夕食後、例のとおり通りがかりに見たテレビに、南相馬市を訪れた岡田幹事長の顔がアップになっていた。このところテレビはBSの世界旅歩きのようなものしか見ていないので、幹事長が来ているというニュースも知らなかった。後からネットで確認したら、20キロ圏内の浪江町も視察したらしい。そして南相馬の20キロ圏内にわずか入っている化学薬品工場の操業再開を訴えられて、「最終的には、これは政治が決めていかなければならない問題だというふうに思います」となんとも頼りない返事をしたようである。その工場は友人の勤めているモンマかなとあわてて調べてみたら、大内新興化学という別の会社のことらしい。
 
 一方で、菅総理大臣が浜岡原発の運転停止を要請したが、中部電力の臨時取締役会では結論が先送りになったと報じられてる。静岡県知事は首相の「英断」に賛意を表しているが、立地している御前崎の市長は反対のようだ。震災前の福島原発の立地町村の長たちがそうであったように、原発依存体質に骨がらみになっているから、としか思えない。
 
 いやこの二つの事例を並べて、素人目には不思議でならないのは、一方では総理大臣の要請に対してそれを拒否する権利が留保されているのに、他方の20キロラインの方では、現状を勘案しての緩やかな対応が一切許されないということである。法的な解釈からすれば、一方が「要請」であり他方が…さてどこで決定されたのだろう?政府決定?の違いはあるが、素人目には前者の方が「重い」ように思うが。要するにそれは、対するに一方が現職政治家たちや大資本、他方はまったく無力な零細企業だからでは、と思えてならない。
 
 ユーチューブであれだけ反骨精神をアピールした市長なら、現地の行政のトップとして、お上からのお咎めを覚悟の上で工場再開を許可、そうまで言わなくても黙認したとしても、だれも文句をつけられないはずだと思うが、どうなんだろう。つまり結局は「お咎め」もなくすべては「黙認」という形になるのではないか。いやそれくらいの気骨ある行政の長であって欲しい。今が平常時ではなく、正に非常時(戦時下)なのだから。

 東京に戻った幹事長が、その約束を忘れずに、関係諸機関に働きかけて操業再開を認めるかどうか、いまのところ五分五分かなー、いや七分三分。どちらが? 当たり前田のクラッカー(古-っ)、不首尾いや下手をすると梨の礫(つぶて)が七分ってとこさ。

 ともあれ変に生暖かい(小規模のフェーン現象?)一日だった。この季節、風の強い日が続く。我が陋屋はその風にあおられて、まるで地震かと間違えるほど家全体が揺れ動く。こんなときは散歩は無理。それで思いついてセブン・イレブンからアマゾンのギフト券(一万円の)を買ってきた。つまり以前テレビでマラソンの千葉さんが広告していたルームマーチというマシーン、そう坐ってても電気で自動的にペダルが動くやつ、を注文した。テレビで見ていたときには馬鹿にしていたが、美子のことを考えると意外といいかも、と思い直したのである。『脳から見たリハビリ治療』という本も一緒に注文した。もしかすると、美子には使うことができずに、私がテレビを見ながら肥満気味の老体のために使うかも。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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