第四の私(実存する私)

 なにも偽総理の偽演説を解説するには及ばないが、ついでだから二、三関連あることを但し書きしておこう。
 
 偽総理の話の中にスペインの哲学者ウナムーノの名前が出てくるが、なにを隠そう、このブログ『モノディアロゴス』の名付け親である。いやなにも彼が自らこのブログをそう命名したわけではなく(当たり前!、彼は1936年に死んでいる)、彼が自分の一群のエッセイを自ら造ったモノディアロゴスという言葉で呼んだわけだ。その意味はもう何度も言ってきたような氣がするので、ここでは繰り返さない。彼は他にもいろんな言葉を作ったが、いちばん有名なのは、自分の小説をニボラと呼んだことであろう。ニボラ(nivola)とは小説(novela)と霧(niebla)とを組み合わせた新造語である。事実彼には、『霧』(1914年)という世界的に有名な作品がある(と言っても、日本ではあまり知られていないが邦訳もある。高見英一訳、法政大学出版局)。簡単に言えば、現実と虚構、現(うつつ)と夢、作者と作中人物が奇妙に入り混じった、従来の小説とは一味も二味も違った作品に仕上がっている。
 
 その彼に「生きるとは、おのれの小説を書くことである」という言葉を文字通り生きなければならない時がやってくる。それは1924年、時の独裁者プリモ・デ・リベラの圧制に反対の立場を取ったため、国外に追放され、六年近くカナリア群島、パリ、そして国境の町エンダヤなどで憂悶の日々を送ったときである。1926年パリで、自伝的小説『小説はいかにして作られるか』がフランス語で出版されるが、正にここに彼の思想・文学の骨格が顕わに表現されている。つまり書くことと同時に進行していく事件と、登場人物と作者が渾然一体となっている。それ以前に書いた「おのれ自身を語る」というエッセイの中で彼は自作についてこう証言している。
 
 「この皮肉な小エッセイの題名を見て、<でもあなたは今まで自分自身についてしか語ってこなかったのでは!>と言う読者がかならずいるだろう…しかし実を言えば、私が絶えず努めてきたことは、自分を超越的・普遍的永遠のカテゴリーに変化せしめること…私が研究するのは、私の自我、それも具体的・人格的な自我、生きて苦しむ自我である。自己本位だというのか。そうかも知れない。しかし利己主義に陥ることから私を救ってくれるものこそ、この自己本位なのだ」
 
 人はこのウナムーノの言葉に、修善寺の大患後の漱石の「自己本位」と相通じる思想を読み取るかも知れない。
 
 しかしここはウナムーノ論を展開する場所ではないので、彼の話はここまでとするが、私がこの「モノディアロゴス」でなんとか表現しようと思っていることも、このウナムーノのひそみに倣おうとしての、不器用な実践報告以外の何物でもない(おや偉そうに自分の話を始めたよ)。つまり起こったことのたんなる記述(この意味では日記と異ならない)が98パーセントだとしても、少なくとも2パーセントは同時進行、うまくいけば先取りであろうとしている。喩えて言えば、船尾にできる航跡が98パーセントだとしても、もう2パーセントは舳先にできる形のさだまらぬ波浪たらんとしているわけだ。
 
 奥さんの世話、炊事洗濯などの家事をしながらほぼ毎日書くのは大変ね、と感心されたり同情されたりするが、ほんとうのことを言えば、もし書かなかったなら、日常ががらがらと崩れていく不安の中で、書くことで辛うじて生きる力とリズムを得ようとしているのだ。もっと格好よく言えば、書くことがすなわち生きること、となっている(やっぱちょっとカッコのつけすぎか)。
 
 別の言い方をしてみよう。人間はけっして単体(?)ではない。さまざまな自己の集合体である。心理学で言う多重人格とは、たぶん違うことを言っているつもりだ。たとえば私は夫として、父親として、あるいは元教師としてなど、さまざまな自分を生きている…うーん、やっぱりうまく説明できない。退場願ったばかりのウナムーノにもう一度助けを求めよう…つまりふつう人間は大きく分けて三つの自分を生きている。これが自分だと思っている自分、他人が私のことをこういう人だと考えている(だろう)自分、そして最後は神あるいは絶対者から見た私。そう、この三つに尽きるかも知れない。しかしウナムーノはもう一つの自分を断固として主張する。つまり現実の自分がどういう自分であろうと、いつかはかくありたいと願う自分を要求するのである。
 
 たとえば自分という人間が最終的な判定(キリスト教でいう私審判か)の場に引き出されるとして、彼は上の三つの私によって最終的な裁きを受けることに抵抗するのである。なぜなら、たとえばこの女たらしの側面は、好色であった父親の血だし、あんなことをしたのは確かに私だが、でもそこまで追い込まれたには今まで受けた教育とか自分を差別した社会にもその責任の一端はあるのではないか、などなど。神様から見た自分? 実は俺、そんなのまったく分からない。分からない自分をこれがお前の真の姿だなんて言われても、ちょっと迷惑。しかしこうありたいと願う自分に対する最終判決なら、これはもう言い逃れなどできない。百パーセント責任を負わなければならない自分だからだ。
 
 で、私には、俺には、かくありたいと願う自分がいるの? いやいやそれは、たとえば有名俳優になりたいとか、金持ちになりたいとかというのとは、ちょっと違う。いやまったく違うんだなあ。かくありたい、そんな自分考えたことない? だとするとほんとうの意味で生きていない、とウナムーノさんは言うのだ。かくありたいと願う自分こそが、実存する自分だと言うんだなあ。

 話は急に現実に戻るけれど、本当は、このことこそ、今回の大震災の中でみんなが考えなければならないことなんじゃないかな。真に生き始める絶好のチャンスなんだわさ。私たちにとって、三月十一日は新生元年。いままでのことはいい、これからが正念場。
 
 ことは引退寸前の総理だけの問題じゃない、私たちみんなの正念場、新生への待ったなしの第一歩を踏み出すとき。九死に一生を拾った、死んだと思った自分に再び生きることが許されたんだ、と思ったらどうかね。(おやまあ、この人、急に目を生き生き輝かせてだれに向かって言ってるんだろう? 話が説教調になってきたぞ。このへんで退散しよか)。

蛇足の蛇足
 昨今、おかまとかおねえとか(その区別は私には分からないが)テレビにしきりに登場する。中にはまったくのゲテ物がいるが、しかし時に、おやと思うほど人間として面白い、そして魅力的な人がいる。それは彼(彼女?)たちが、女性であることに時に命を賭けているからだ。ふつう(?)の女性は女性であることに命なんぞ賭けない。女性であることに胡坐をかいている(あっ女性は胡坐はかかないか)。もちろん綺麗に見せようとお化粧はするが、女性であることを切願なんぞしていない。ところが彼らおかまたちは、女性であることを激しく願っている。それがかくありたいと願う自分だからだ。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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4 Responses to 第四の私(実存する私)

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    京都からこんにちは。

    心配していたことが現実となったようです。
    11日、南相馬市の北隣の相馬市で50歳代の酪農家の男性が「原発さえなければ」などと書置きして首をつって自殺したらしいとのニュースです。
    先のこのブログで福島県では自殺が増えていることについて触れました。
    同じ11日のNHK大震災スペシャルでは、原発事故で揺れ動く南相馬市の経営者たちの困惑し疲れ切った様子が放映されました。さらに人口約7万人の南相馬市市民の約3万人が未だ避難生活を強いられているそうです。
    こうした人たちのなかに自殺予備群がどれくらいいるのか気になります。

    ところで久しぶりの佐々木さんの「人間論」を読ませていただきました。
    19世紀から20世紀にかけてのスペインの思想家のウナムーノは、佐々木さんが35年前に書かれた「ドン・キホーテの哲学」で学習中です。私には淡く遠い存在でしたが、次第に彼が現代スペインの巨人と思えるようになってきつつあります。
    その人間論ですが、三つの自己+「かくありたいという自己」この集合体が自己とみているとのことです。
    この自己に関する人間論について私は別な考えを持っています。私の人間論は、もっぱら、今は亡き河合隼雄を通して知るスイスの精神分析家のユングからのものです(彼の原著はほとんど読んでなく、河合流に噛み砕いて紹介されたものからです)。ウナムーノと同時代人といってよいユングのいう自己とは多様な在り様で、もっともよく知られているのは自己は意識と無意識から成るというものです。私が興味を持つのはこの無意識が有限が無限かということです。私は後者を採り、人間は自分でも知らない多彩な在り様を秘めた存在なのです。それは遺伝、風土、乳幼児期からの生活歴、宗教など生きているなかでのさまざまな要因が意識そして無意識という混合体である自己を形成してきたとみなしています。しかもそのすべてを自分自身でも把握しきれていないというのが自己の在り様と考えています。このことは今は認知症でない私にも、認知症になってしまった妻にも言えることだと思っています。

    「南相馬市、がんばれ」とは無責任も呼べませんが、「希望の光」が早く見えてくることを願っています。この「早く」が今はとても大切に思えます。自殺者を出さないためにも。

  2. fuji-teivo のコメント:

    いやいや三宅さん、ウナムーノの人間論は、そんな単純なものではありませんよ。これはアメリカのユーモア作家ウェンデル・ホームズの三人のジョンという話を、ウナムーノらしい話運びで料理したものに過ぎません。もっともこのブログは、他の思想家はこう言った、いや別の哲学者はああ言った、と議論したり比較する場所ではないので悪しからず。

  3. 安里睦子(サスケ) のコメント:

    おじゃまします。
    大変心にしみいるような、お話を読ませて頂きありがとうございます。
    かくありたいと願う自分と現実の自分との間に、
    橋のない川が横たわっているという思いで小さい頃から生きてきたものにとって、
    実に慰めに満ちた言葉であると思いました。

    少し前に、どのテレビ局であったかは覚えていませんが、南相馬の方(たぶん)が、
    家族で避難される様子がドキュメントされているのを偶然見ました。
    民謡の先生をされている方のようでしたが、
    泣くでもなくわめくでもなく穏やかなようすでしたが、
    最後に、マスクをとり庭にでて、前の山々に向かって(いや畑であったかもしれません)朗々と歌を歌われました。これが最後だと思われたのでしょうか。
    今まで何度となく歌声は清らかな山の空気に吸い込まれていったのでしょうが、
    もはや、そうではなくなってしまったというその方の悲しみが、
    歌とともに私の心の中に流れてきました。
    本当に原発なんていらない、という思いが私の心にも沸々とわいてくるようでした。
    日本の多くの人々の心にこの歌声が届けばいいのにと思いました。

    先生の慰めと、それからユーモアにあふれた言葉も、多くの人に届きますように…
    多くの人が新生元年の一歩を踏み出す事を願っています。
    かくいう私も、自分にできる事を考えなくては…

  4. 宮城奈々絵 のコメント:

    先生の言葉噛み締めてます。
    新生自分への第一歩。なりたい自分。今まさに考えてるところです。
    しばらくは、「3月11日さえなかったら良かったのに…。」「「この汚れてしまった地球で子供達は生きていけるのか?育てていけるのか?」と悲しむ自分で手一杯でした(そんな自分もまだいますが…)。
    でも、何度悲しんでも、時間は戻りません。なら、母として、今生きてる人として、自分として立ち上がるしかないじゃないか、悲しみと共に、怒りを胸に、しかし、しなやかに冷静に強くならなければ!と思えるようになり、この数ヶ月になりました。
    ほんの数ヶ月前なのに、3月11日以前と今の自分は違う人間へなっている気がします。
    先生はそれを後押し、気づかせてくれます。また、コメントを書かれていらっしゃる方々からも沢山学んでいます。感謝なのです。(チャップリンが大好きな大先輩にも出会えましたし。私も独裁者の演説は本当に心に強く残っています。同じく書きだしたり…。私の一番は『ライムライト』です。人生や愛について感じます。話それてしましました…すみません)

    先生、お体御自愛下さい。先生に何かあったら、私、困ります。きっと皆様も。

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