ここ数日ご無沙汰が続いた。またぞろ怠けの虫が騒ぎ出したというわけではない。いまぶつかっている問題が、少々、いや大いに、私の能力を越える難所にさしかかっているからだ。もちろん四六時中、その問題を考えたり、関連する本を読んだりしているわけではない。それでなくとも朝起きてから夜寝るまで、雑用が目白押しに襲ってきて、あっという間に一日が終わる毎日がずっと続いている。
問題とは、戦争と平和にかんしてオルテガはいったい何を考えているのだろうか、ということである。引き金は先日話題にした彼の『傍観者』の中にある「戦争の天才とドイツ人の戦争」(邦訳は『現代文明の砂漠にて』西澤龍生訳、神泉社、1974年に収録されている) というエッセイである。いや気楽に読みとおせる随筆なんぞではなく、要するに彼はそこで、表題にもなっているマックス・シェーラーという現代ドイツの哲学者の戦争論と真っ向勝負をしているのである。
なぜそんな難物にこだわっているかというと、昨年来翻訳してきたオルテガの『大衆の反逆』でも、世上言われている平和主義を机上の空論と批判しながら展開している彼自身の平和論、というか戦争論、がいまひとつ理解できないままであることに、このあたりで決着をつけたいと、『大衆の反逆』より13、4年前に書かれた前掲のエッセイを読み始めたからである。
『大衆の反逆』でも世に言う平和主義を批判していたように、彼はシェーラーの言うなれば戦争肯定論を批判しつつも、その対極にある平和主義を次のように批判している。「平和主義の根本的な誤りは、それが静的な概念、従って歴史の偽れる概念から出発する点にある。法的平等主義乃至人道主義と経済的平等主義――平和主義がとるこれら二つのかたちは、歴史的現実を前にしてのその盲目という点で一致している」。
スペイン・ファシズムの首魁ホセ・アントニオ [・プリモ・デ・リベラ] の理論的支柱にオルテガの思想が巧みに利用されたという歴史的事実、あるいは三島由紀夫に唯一信用された西欧の思想家がオルテガであったというエピソードが、一切の理論武装をしない心情的平和主義者である私を不安に陥れるのだ。
それでこの難解なエッセイの途中で、眼はうろうろと最終部分をさまよう。そしてここが最重要部分だと見当をつける。「ある人たちは、力の《持つ》法的権原を盾に、力を法〔正義〕にしてしまうし、また別の人々は、それとは逆に、力が侵害〔不正〕「である」がゆえに、力が持っている権原までをも剥奪する」(この部分は既訳を全面的に改訳した)。そして最後の言葉にかろうじて光明を見る。「これら権利が」定義され法典に組み込まれるとき、もはや武器は理解しがたい怪物として博物館に陳列されていることだろう」。
やっかい極まりないのはスペイン語の derecho が同時に法であり権利でもあることだ。さていかに訳し分けようか。
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