再度チャリティー・コンサートについて

★実は今日のブログを書き始めましたが、途中まで来て、佐藤記者が書いてくださった今朝の記事が、都内版には掲載されたが、菅さんの住んでいる川崎版(?)には掲載されていないことを知りました。でも菅さん自身は二子玉川まで買いに行って無事手にしたらしいのですが、もしかしてこのブログを読んでくださっている方の中で東京近辺にお住まいで、まだチャリティー・コンサートのことをご存じない方に、この場所を借りて記事を掲載した方がいいのでは、と思い、佐藤記者のお許しを得て全文そのままをここに載せます。ただ菅さんと川口さんの写真は、私の知識ではアップできませんので、恐れ入りますが写真をご覧になりたい方は(ぜひ見てやってください)下にありますアドレスにアクセスしてください。よろしく。

     東京新聞    【東京】
福島にささぐ音楽会 四谷で19日
チャリティーコンサートを企画した菅さん(右)と川口さん=千代田区内幸町で

 原発事故で被災した福島の人々を励ましたいと、帝京平成大学現代ライフ学部講師のピアニスト菅祥久さん(62)=川崎市高津区=ら十一人の音楽家が十九日、新宿区の四谷区民ホールでチャリティーコンサートを開く。原発事故後、住民の多くが町を離れた福島県南相馬市で、認知症の妻を介護しながら自宅にとどまる元大学教授佐々木孝さん(71)=三月二十二日朝刊既報=の姿に共感を寄せての企画だ。 (佐藤直子)
 菅さんは純心女子大学で教えていた時代から同僚の佐々木さんを兄弟のように慕った。もともと今年三月に南相馬市でコンサートを予定していたが、原発事故で中止となった。
 原発から二十~三十キロの同市は屋内退避区域とされたが、住民の多くは自主避難し運送業者も被ばくを恐れて近づかない。苦境を訴える佐々木さんに菅さんも胸を痛めた。
 政府は四月に行った区域見直しで同市を計画的避難区域と緊急時避難準備区域に二分、町は混乱が続く。原発から二十三キロで緊急時避難準備区域に住む佐々木さんは、要介護者が区域に入らないようにという、政府の説明に怒った。「認知症の私の妻はここ(自宅)にはいてはいけないということか。妻を避難させれば症状は悪化する。自宅を離れる気はない」と態度を決めている。
 同じように町に残った人との関係を大切にユーモアを失わずに生き延びようとする佐々木さん。その強靱(きょうじん)な精神にこたえ、菅さんは入場料収益を義援金として贈る演奏会を発案。ビオラ奏者の川口彩子さん(68)や、声楽、バイオリン、オーボエ奏者などの仲間が賛同、開催に協力した。
 菅さんは昨夏、佐々木さん宅を訪ね、海のきれいな町に感動。八月に再訪し、ミニコンサートも開きたいという。「町に平穏な生活が戻ってくるよう祈りながら演奏したい」
 午後二時開演。ラフマニノフ「鐘」、「ヴォカリーズ」、山田耕筰「松島音頭」、ショパン「幻想即興曲」、フォーレ「ピエ・イエズ」など二十曲。入場料三千円。問い合わせはSAKO音楽事務所=電03(3987)6578=へ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110617/index.html

Please follow and like us:

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

3 Responses to 再度チャリティー・コンサートについて

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    久しぶりに、京都からおはようございます。

    是非紹介した記事を今朝、読みました。朝日新聞付録のGLOBE(記事は日本語)で、既に多くの方が読まれてと思います。
    「放射線、リスクを読み解く」という記事のなかに、日本政府も被曝放射線量の根拠としている国際放射線防護委員会(ICRP)(この組織はX線が使われ始めた1928年からあり、スウェーデンのシーベルト先生も委員長を務めたことがあるそうです)の関係者から朝日の記者がバリで取材したものが載っています。
    このインタビューのなかで、年間被曝量を、事故が進行中の次期は、年間20から100ミリシーベルトとし、被曝が長期化する場合は1から20ミリとし、最終的には1ミリ以下とすべきと専門家は述べています。もっともこれは「安全基準」ではなく、「対策の目安」だそうです。
    長期に100ミリを浴びると死にいたるがんの発生が1000人で5人増えることがわかっているが、これ以下では科学的根拠はないが、被曝量とがん発生とは直線的関係にあり「閾値」はないとする考え方をとり、それからすると20ミリだと1000人で1人増えるとしています。
    こうした枠組みの根拠としてICRPの一員で放射線防御が専門で経済学者でもあるジャック・ロシャール氏は次のように述べています。
    「事故後もその地域で生活を続ける個人の意思や尊厳、自由を尊重する哲学が背景にある」
    こうした哲学をもったロシャール氏の提案には耳を傾けたくなるし、私たちの根拠―哲学をもった―としたくなります。
    日本の「専門家」でこうした哲学をもった人は稀なようです。

    認知症の妻を介護している身でもあり京都からチャリティー・コンサートに行けません。成功を期待しています。

  2. fuji-teivo のコメント:

    三宅さん、このブログを続けて読んでいただいているから、もうお分かりのことと思いますが、この地に生きようと決意した人間にとって、どんな偉い権威者の言葉であろうと、究極的には未知の領域の数値をいかに示されようと、すべて心乱す有害情報と変わりありません。若い世代の人たちのことは別にして、ともかくこのブログの発信者は71歳の男(あえて老人とは言いませんが)です。私の親しい友人は二人も、いま死病と言われる病に冒されながら、しかし勇気をもって、果敢に日々の生活を大切に生きています。この友人たちは、将来発症するかも知れない病に今から怯えながら生活するの愚は犯したくないと思っているにちがいありません。私もそうした彼らの心意気に倣って、残された日々を人間らしく、いま与えられている一瞬一瞬を充実させながら生きていこうと願っているに過ぎません。どうぞ以後、今日のようなコメントは別のブログにでも書き込んでください。よろしく。

    あっそれからロドリゲス辻さん、さっきSさんからのメールでは予定を変えて四谷に向かうとありました。果たしてチャリコンに向かわれたのかどうか定かではありませんが、もしかして会場でバッタリ鉢合わせするかも。それとなく気をつけていてください。あゝ、でもやっぱりそれは無理か。

  3. 宮城奈々絵 のコメント:

    先生こんにちは。テレビ、雑誌で先生とお会いした気分になれるのを楽しみにしています。
    チャリティーコンサート、素敵でしょうね…。演目が自分の好きな曲ばかり…。しかし私はちびっこ4人を抱える身。想像だけで満足とします。
    周りは測定値、土壌汚染etcとこれらに少々ぐったり気味…です。先生のblogはやはり癒されます。
    皆さんのコメントまで楽しみです!
    (Sさんのおっしゃる通りに優しく美しい心根かは疑問ですが…、少々引っ込み思案は当たりの宮城です)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください