くたばれ良俗派!

 一昨日は、初めてのデイ・サービスから帰ってくる美子を、まるで最初の登園から帰ってくるわが子を迎えるような気持ちで待っていた(まさか!)。A4の紙に印刷された「入学許可証」や「連絡帳」まで持って帰ってきたのだからそう思ってもおかしくはないが。「連絡帳」には「午前中に入浴…食事はむせることなく、ご本人のペースでゆっくり召し上がり…その後ベッドで休まれ…午後は曜日対抗ボーリング大会に参加され職員と一緒にボールを投げ…」

 できればいつか父兄参観(?)ということで、美子がどんな顔でボール遊びをするのか、柱の蔭からなりとも、覗いてみたいものだ。

 そんなこともあって、美子の車椅子生活に我が家でも変化というか刺激がほしいと本気で考え始めたのである。先ず手始めに、車椅子にちょうどいい高さの移動式小型テーブルを置いてはどうだろう? その上で思い出のアルバムを見せるとか。それで善は急げとばかり、昨日の午後量販店を二軒ほど回ってみた。高さや大きさはいいが、足元の横木が邪魔だったり、なかなか良いものが見つからない。

 念のため六号線沿い南手にあるカインズホームにも行ってみたが、やはりまだ再開していない。つまり今はどうなっているか知らないけれど、つい最近まではその先に検問所があったところだ。でも閉店とあらば仕方がない。それではと北にとって返し、ダイユーエイト鹿島店に行ってみた…

 いやいや、そんなことはどうでもいい。実は六号線を走りながら、家を出る直前に読んだ或る人からの手紙の一節が気にかかっていたのだ。最近の世情について書いたあとにさりげなく書かれた言葉、「私は反原発派ではないですが…」。たぶん日本人の大多数は反原発派ではないだろう。脱原発派を入れても半数に満たないかも知れない。

 原発立地町村の住民たちの考え方からして唖然とする結果が出るのだから、ましてや国民の大多数を占める良識派、穏健派は推して知るべし。だいいち反原発なんて言葉に対してさえカゲキとみなして尻込みする人たちなんだから。でもなあ、こうしてかすかな西日を背景に黒いシルエットとなっているなだらか阿武隈山系を見ながら車を走らせていると、原発事故なんて夢にも思わなかった頃の平和で長閑な相馬の農村のたたずまいが偲ばれてくるのだ。

 確かに今日は天気もそれほど良くはなく、遠く鈍色の空の下で農家がちらほら見えるだけだが、でもその家の中で、どんな気持ちで生活しているのだろう? ふだんならやがて忙しくなる前の、しばしの農閑期を楽しんでいるのであろうか。でも今年、肝心の田植えは可能なのだろうか?

 子供の頃、兼業農家ではあるがかなりの田畑を持つ叔父の家をよく訪ねたものだ。夏には蛍が飛び交い、収穫期にはイナゴの翅が風に舞うあの至福の喜びを、また味わうことができるのだろうか。私は農民ではないが、とつぜん理不尽な事故によってそのすべての喜びを奪われた人たちの無念さを想像できるし理解もできる。

 はっきり言おう、こういう体験を経てもなお原発の恩恵を享受しようと思っている人たちの神経が私には分からないのだ。考えてもみよ、青々と実った稲を吹き抜けていく微風、セシウムなんて言葉さえ知らなかったころのあの脱穀されたばかりの銀色の米粒の輝き、それら刻々の数え切れない喜びをいつまた味わうことができるのか、それさえ分からないその胸の内を君は想像したことがあるのか?

 生活の安楽・利便が万人に等しく享受されるならまだしも、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなるこの世界の仕組み。今日もテレビでは能天気に宇宙開発の話題が無批判に流されている。月に埋蔵されているらしい貴重な鉱物資源を求めて早くも大国同士が競い合っているとか。アメリカのベンチャー起業家が、ゴールド・ラッシュならぬムーン・ラッシュの先鞭を着けたい、などとアホ丸出しのコメントをしている。グレーツ、グレーツの極みですたい。グレートの複数形とちゃうよ、埴谷雄高大先輩が言っていた愚劣のことですたい。

 月の資源獲得争いは全面禁止、地球に真の平等と平和が訪れない間は、月はお月見の対象に限定する、と議決できないような国連なんぞクソ食らえ!(何とお下品な)
 
 良俗や穏健からいま一歩抜け出さなけりゃ世界は変わらない。この世の仕組みをそのまま肯定したうえで、さてどう丸く治めようか、過激な方法ではなく、話し合いと譲歩を通じて、穏便に事態を収拾したい、とおっしゃる穏健派・良俗派に時おり猛烈な怒りがこみ上げてくるのをどうしようもない。
 
 スペイン内戦を徹底的に民衆の視点から見たベルナノスの怒り(『月下の大墓地』)を不意に思い出した。「民衆には右翼も左翼もなく、民衆はただ一つしかない」「わたしは国民的人間ではない」とする彼は、戦争だけではなく現代の諸悪の張本人たる良俗派、すなわち「己れの存立基盤の秩序のみを追求する人々」の醜さを認め、それを激しく追及する。
 
 そう日本人がそれによって繁栄と安泰を享受してきたその安定基盤こそが問題かも。行動に移す移さないはともかく(怠惰で臆病な私にはとりわけ)、少なくとも世界の根本的改革を意識や想像力の中で企てないで、世界が一ミリとて変わるはずないじゃん。相馬の人・埴谷雄高大先輩のように「永久革命者」のせめてその「悲哀」を感じるようでなきゃ始まらないよ。
 
 ところで美子の話に戻りますが、ダイユーエイト鹿島店で購入した組み立て式テーブルの手前の横木を一本外すことによって、イメージ通りのものができました、はい。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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3 Responses to くたばれ良俗派!

  1. エトワール のコメント:

    昨日、近日、売却されることになった南相馬市の実家へ自分の荷物を引き取りに行きました。段ボール40箱もの荷物がありましたが、そのうちの大半は本で、その中に、埴谷雄高の「死霊」もありました。1976年に刊行された5章までを収めた定本で、高校生の頃、購入したものです。

    南相馬市に向かうバスと列車の中で、文藝春秋の最新号を読みました。今、話題になっている芥川賞作品の田中慎弥作「共喰い」が掲載されていました。この何年かの間に読んだ小説の中で、もっともひどい内容の作品でした。選考委員の宮本輝が、最後まで受賞に反対し、「生理的に受けつけなかった。」と酷評していましたが、まったく同感です。こういう小説の作者が、マスコミの寵児となるこの国の現状を憂うるのは、私一人なのでしょうか。

    もう一つ、文藝春秋の最新号に、グループ1984(香山健一を含む他メンバーのグループといわれていますが、現在まで、グループの正式メンバーは公表されていません)が文藝春秋1975年2月号に掲載した論文「日本の自殺」(後に単行本化されています。) が、再掲載されていました。昨日、実家で本をかたづけていると、この本も段ボールの中にありました。この論文の中に、オルテガ・イ・ガセトの「大衆の反乱」が紹介されている記事がありました。「1930年代の大衆社会化状況のなかにみられる人間の思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向を指摘し、それが現代社会に、ある新しいタイプも野蛮をもたらしつつあるのではないかという鋭い予感を表明したものであった。」と記載されていました。オルテガ・イ・ガセトについて最初に知ったのは、松岡正剛か、呉智英のテキストでのことと思い込んでいましたが、こちらの方が先だったかもしれません。オルテガ・イ・ガセトの予感は、この国でも、確実に成就しているようです。

    原ノ町駅に着くと、実家へ行く前に、駅前に古くからあるラーメン店の滝で、味噌ラーメンを食べました。店は、多くのお客さんが、立って待っていました。ここのラーメンの味は、35年前と少しも変わっていませんでした。この街で、子供の頃、家族一緒に、夏の夜、蛍が飛び交うのを見にいった川辺や、収穫期にイナゴの翅が風に舞うのを追いかけた田園風景が、とても懐かしく思い返されます。

    ジョルジュ・ベルナノスは、

    「人は熱狂しない限り、偉大なる真実にまで到達できない。冷静さは、議論はできても、何も生み出さないからだ。行動に帰着しない思想にさほどの価値はない。思想から生じない行動には、いかなる価値もない。」

    といっています。

    福島第一原子力発電所の原子力事故を受けて、ドイツでは、国内17基の原発のうち7基を暫定的に停止し、2022年までに17基ある全ての原発を閉鎖することを正式に決定しています。また、スイスでは、2034年までに、「脱原発」を実現することを決定し、稼働開始後50年をめどに、既存の原発をすべて停止していくことにしています。

    イタリアには、原子力発電所がありません。2009年2月、フランスの協力で4カ所に原発を新設すると決定していましたが、福島第一原子力発電所における原子力事故を受けて国民投票を行い、これまで通り原発に依存しない方向に回帰しています。

    世界の潮流は、原発廃止の方向で動きだしています。こんなことは、長い歴史の中の視点で考えるならば、何が正しいのか、すぐ分かることなのですが、この国の方向性は、はっきりしていません。

    東京電力福島第一原発の事故を受け、ルポライターの鎌田慧や音楽家の坂本龍一らが呼びかけ人となり、国に「脱原発」への政策転換を求める1千万人の署名運動を始めました。9月19日には東京・明治公園で5万人規模の「原発にさようなら集会」も開いています。呼びかけ人は、ほかに経済評論家の内橋克人、作家の大江健三郎、澤地久枝、瀬戸内寂聴などで、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などでつくる実行委員会が支えています。署名は、原発の新規計画中止と既存原発の計画的廃炉や、自然エネルギーを中心に据えた政策転換などを求めていて、当初は、2月中に、衆参両院議長と首相に提出する計画でしたが、1月20日現在の署名数は、3,886,894筆に留まっています。

    電力総連は、従来から「数多くの組合員が、原子力の職場で働いており、日本のエネルギー政策の一翼を担っているということに自信と誇りを持っています」と、原発推進の立場をとっていましたが、福島第一原子力発電所事故後も「原子力発電は、議会制民主主義において国会で決めた国民の選択。もし国民が脱原発を望んでいるなら、社民党や共産党が伸びるはずだ」(内田厚事務局長)と、方針を変えていません。

    とても不思議なことだと思います。

  2. 阿部修義 のコメント:

     「セシウム」。「思わぬ再会」の中で先生が「放射能はもともと自然界で存在したレベルとは違うもの」と言われてます。私は原発問題の全てがこの言葉に集約されていると思います。人間は自然の一部であり、アレキシス カレルの言葉を借りれば、「人間は地球上の山や海や川を尺度にして創られている。そして、木や草や動物たちと全く同じように、地球の表面に所属しており、これらと一緒にいると心が安まる」。人間は快適さ、便利さ、それを豊かさと言って謳歌してきました。しかし、外に向けられた人間の欲望には切りがありません。今、求められていることは、老荘的に言えば、「足るを知る」これに尽きると思います。何年か前にモンゴルのテレルジに滞在したことがありました。川の水の清く澄んだこと、天空に輝く満天の星。人間にとっての豊かさとはこういうことなんじゃないでしょうか。人間は自然に寄り添って生きていくことが最善最良の選択だと思います。そして、人間は常に自然に対し謙虚でありたいと思います。

  3. 宮城奈々絵 のコメント:

    「穏健派」「良俗派」と言えば聞こえはいいですが、今の日本においては「行動しない派」の言い訳のようにも思います。
    選挙に行かない人の言い分として「投票したい人がいない」と言うのをよく聞きますが、同じ根があるように思います。
    今出来るなかで最善を選んで行動すればいいのに、と思うのです。
    このまま何となく誰かが決めてくれたエネルギー政策に否も可否も言わず皆流されていくのか…と思うと悔しくてなりません。
    青々とした稲穂の夜に聞く蛙の大合唱、黄金に実る稲穂の風に揺れる美しい様、朝もやのなか仄かに香る苺の甘い匂い…。全部、宮城・山元町での大切な思い出です。
    もう一度取り戻すことが出来るのか…、土は本来の豊かな土壌に戻るのか…、水は…。
    都会にしか心の場所を持たない人にも想像力と行動力を持って欲しいと切に願っています。
    「人の痛みを自分のものとして感じられる人になる」…ばっぱ様のように母親として子達をそう育てることを忘れないでいたいです。また、それ以外にも出来ることがあるのか、自分の最善を探しながら人生を歩みたいです。

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