身ぶるひす

 「どう言葉をかけたらいいのか難しいけど…あまり自暴自棄にならないでください。そして、また書きたい気持ちになったら、ブログ書いてください。今までずっと毎晩パパのブログをチェックしていたので、またその時が必ず来ることを信じて、待っています。
 今はあまり無理しないでね。」
 「なーに、怒って見せただけ。元気ですよ。ママはデイサービスでも、夕食後も、ちゃんといいウンコしたし、元気ですよ。そちらも元気でね!」
 「なにそれ、心配して損した。」

 川口に住む娘とのメールのやりとりである。確かに怒って見せた、というところはあるが、でも本音であったことも間違いない。

 居間の天井近くにしつらえられた小さな物入れの襖に、かつて私の連句の宗匠であられた眞鍋呉夫さんの色紙が貼られている。先日、大事にしまっていた場所から、隠しておくのは逆に(?)もったいないと引っ張り出したものだ。ついでに、ばっぱさんの遺品の中から、これまたばっぱさんの和歌の宗匠であられた故・松田亨さんの色紙も三枚、一枚は真鍋さんの横、あとの二枚は私の寝るところの直ぐ横にある下半分だけの押入れ(上半分は数年前この部屋の明り取りのためにちょん切って西向きの出窓を作ってもらった)の襖に貼った。つまり私たち夫婦は二人の宗匠に見守られて日を送っているわけだ。
 
 ところで私の宗匠の句はこれである。

  さびしくて 雪の安達太良 身ぶるひす    呉夫

 いかにも眞鍋さんらしい豪快でしかも繊細な一句だ。安達太良、美子と同じく精神の病に侵された智恵子の故郷の山である。そうだ、ついでにと言ったら失礼だが、数日前、眞鍋宗匠の新著(書かれたのはだいぶ前だが)『天馬漂泊』(幻戯書房)を頂いた。親友・壇一雄生後百年を記念しての出版である。壇一雄が大好きだった美子に読んでもらいたかったのだが…。
 
 あゝそうそう肝心なことを言い忘れていた。そもそも眞鍋さんの句をご披露しようと思ったのは、ここ数日の私自身の心境を仮託するつもりだったということである。ともかく今回、積もりに積もった思いが一気に爆発したというか「身ぶるひ」したわけだが、おかげでスッキリ、憑き物が剥がれ落ちたような気持ちになった。でもこれからも時々身ぶるひいするかも分からない。

 この間、娘だけでなくいろんな方が慰めたり励ましたりしてくださった。昨日も田川紀久雄さんという詩人が、例の『モノディアロゴスⅤ』を注文がてら、さりげなくごご自分の新著『神話の崩壊』(漉林書房)を下さった。末期癌をかかえながらの詩作の日々、「甘えなさんな」と軽く肩をたたかれたような感じがして、ひたすらありがたくかたじけなく思いました。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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2 Responses to 身ぶるひす

  1. 阿部修義 のコメント:

     私は先生を知ってから「真実」という言葉が好きになりました。究極、人生、生きていく意味を熟慮すると「真実」にしか本当の価値がないと思います。「真実」は確かに残酷な面もあります。しかし、そこから目を逸らしている自分に無性に空しさを覚えます。自然は常に真実です。だから自然から多く学ぶものがある。そして、真実を見抜く目と心を『モノディアロゴス』を通して養っていきます。

  2. エトワール のコメント:

    今日は、連休で自宅へ帰り、南相馬市の実家から3月に運んだ大量の本を整理していました。マルクスの資本論、ドイツイデオロギー、経済学哲学草稿など、若いころ読んだ原典と講座派、労農派、宇野派、新左翼、アルチュセールの構造主義など、様々な左翼系の文献が、段ボール内に大量にあり、その中に反原発の文献も10冊ほどありました。今から30年も前の昭和50年代のものです。当時、大熊町には、まだ、原発3号機までしかありませんでした。当時の文献を見ると、今の災害の様子に近いシミュレーションが記載されていて、半径30キロ圏内へ人が住めなくなる想定もありました。当時の資料を見ると左翼系の各団体が、意外に反原発を明瞭に意思表示していなかったことが分かります。当時、チェルノブイリ原発の事故発生前で、ソ連では、原発が次々に建設されていましたので、当然といえば、当然のことなのですが、複雑な心情で、当時の文献を読み返しました。

    段ボール箱の中には、壇一雄の本もありました。檀一雄は、最後の無類派と呼ばれている割には、長寿で、よい子供達にも恵まれ、高橋律子と山田ヨソ子の二人のよい奥さんのおかげで、生きながらえていたような不思議な男です。直木賞受賞後に、一時、舞台女優入江杏子と山の上ホテルで同棲していましたが、昔からよくある浮気話にすぎません。無頼派の系譜、坂口安吾、太宰治、織田作之助、石川淳、伊藤整、高見順、田中英光、三好十郎、平林たい子、青山光二、吉行淳之介、色川武大、中上健次、伊集院静の中では、時系列的にも真中ぐらいに位置していて、それほどのワルでもなく、「最後の」と呼ばれることには、大変違和感があります。「火宅の人」は、よい小説だと思います。女性でこの作品を好きだという人は、今まで、あまり知りません。檀一雄の作品価値を理解する女性というのは、とても素晴らしい方だと思います。

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