万葉の旅四人集

 台風が近づいているとか、朝からどんよりと曇った一日だった。なにか音がするのでガラス戸を透かして見ると小雨がぱらついていたり、そんなことがやたら気になった。なんとも鬱屈した時間だけが経過した。こんな時期に台風なんて経験したことなどないと思うが、世界の気象状況も大きく変動しているのだろうか。
 
 鬱屈した時間などと変な日本語を使ってしまったが、そんな時間などあるはずもない。鬱屈していたのは私の気分の方だ。こんなときは古書蘇生術に精を出すのがいちばん。今日の収穫は、さて何冊だろう。仕上げる先から元の本棚に戻していくので、何冊になったかは忘れた。ともかくいま机の上にあるのは4冊。奈良本辰也の『二宮尊徳』(岩波新書)、ペンギン・ブックスの『ポータブル・セルバンテス』(854ページもあった)、かつて清泉女子大で一緒だったバリェス神父さんがスペイン語に訳した『我輩は猫である』、そしてばっぱさんの『歌集 万葉の旅四人集』である。

  『二宮尊徳』、月末に大阪の大濱さんと京都の中桐万里子さんが南相馬の子供たちの学習支援プログラムを持って来てくださるので、いい機会だから少し勉強しようと読み始めたのだが、富田高慶の項を読んだだけで続かなかった。尊徳七代目の中桐さんとは初対面だが、メディオス・クラブとどう協力関係を結べるか楽しみではあるが、結局は仮の事務局長というより終身事務局長をお願いしたい西内君にすべておんぶにだっこ状態になるに決まっている。
 
 ところで蘇生術を受けた『万葉四人集』だが、昭和51年、松田亨先生を代表とする相馬短歌会の四人、すなわち松田亨、小林敏子、佐々木千代、松田静子の四人が、昭和50年9月末、奈良、飛鳥、大宰府、石見、出雲、因幡など万葉故地を探訪してそれぞれが50首ずつを出して集めた86ページの冊子である。表紙は石見の海「角の浦べ」で四人並んで吟行しているところを撮った写真なので、もちろんそれは切り取って中扉とした。布表紙に使ったのは、まだ残っていたばっぱさんの道行きの端切れである。まさにばっぱさんの歌集を飾るにふさわしい布であろう。

 ところで昭和50年といえばばっぱさん63歳、中学校教員を退職して、しかも一人暮らし。旅行に、趣味に、と悠々自適の生活を楽しんでいた時期である。私たち家族はといえば、その年の2月に南武線沿線の稲田堤から保谷の団地に転居し、子供たちは直ぐ側の聖ドミニコ幼稚園に入った年である。私は五反田の清泉女子大、美子は用賀の清泉インターナショナルに通勤していた時代である。

 いや思い出に浸っているときではない。言いたかったことは、「たーだ5,7,5,7,7と音そろえただけ」などと、自分ではその音合わせさえできないのに、さんざんばっぱさんの歌を貶してばかりだったが、いやなかなか良い歌も作っていたんだな、ゴメンナサイと謝りたかったのである。いや謝るだけではなく、少しは褒めて上げればよかった、なんて今ごろになって後悔している。泣きたくなるぐらい後悔している。ほんと、涙が出てきたわい。ともかく明日にでもその秀歌をいくつかご紹介しよう。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to 万葉の旅四人集

  1. 阿部修義 のコメント:

     「burn-out症候群?」の私のコメントの中で『モノディアロゴス』をモロディアロゴスと書いてしまい、著者である先生に大変失礼がありましたことを、この場をお借りしてお詫び致します。モノ=ひとり、ディア=二人・対して、ロゴス=ことば・語りという意味を再確認しました。決して打ち間違えではなく、私の理解不足からのものでした。                                  先生とお母様(ばっぱさん)のことで私が思い出したのは、先生が高校三年までの五年間を自伝的に書かれた短編「風吉の時間」(『途上』の中にあります)の中のこんな一節です。「風吉の言葉には、はや非難の調子が出てくる。内心では、家にひさしぶりに帰ってきた母に、もっとやさしい言葉で話したい、いい気持ちで親孝行したいと願っているのだが言葉はそんな内心を裏切る。この危険な傾斜の途中で踏みこたえようとするのだが、いつも駄目なのだ」。「さんざんばっぱさんの歌を貶してばかり」「ほんと、涙が出てきたわい」と先生が感慨を込めて言われている背景に先生の青春時代の残影を感じました。

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