丈草の句

 『蕉門名家句選』(岩波文庫)に収録されている丈草の句の中にまた素晴らしいのが見つかった。黄色い鉛筆のマークが入っているので以前読んだときも感心したらしいが、すっかり忘れていた。こんな句である。

   水底を見て来た皃 [かお] の小鴨哉   (猿蓑所収)

 丈草の句でいちばん好きで、またいつ読んでも凄さを感じるのは、

   淋しさの底ぬけてふるみぞれかな

 だが、この小鴨の句も凄い。冷たい、深緑色の沼の水の感触までが伝わってくる。水底を見て来たのに、何も見て来なかったかのように、さりげなく水を掻く小鴨だが、間違いなく深淵を覗いたし、そのことに深い感動を覚えているのだ。しかしこんなことにいちいち動揺していたら身が持たないと、小魚を獲って生きる日々のなりわいに意識を向けようとするのだが、でもやはりおのれの下に黒々と広がる神秘の存在を意識から振り払うことができない。それは密かな、しかし確かなシグナルを思いもかけぬときにひんやりと発信してくる。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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