別にゴネルつもりなどなかった。しかし電話で話すうち、次第に腹が立ってきたのだ。F. Minpo社の若い(たぶん声から判断して)男の人から電話があり、先日の「お願い」を拝見したが、すみませんでした、と言う。いやいや、なんだか余計なことを申し上げたようで、と初めは穏やかに話していたのだが、あのコラムはたとえば接続詞を省くなど当社の方針をあらかじめきちんと執筆者に説明すべきだったのですが、という彼の言葉にカチンときた。問題は説明するしないの問題でなく、まるで生徒の作文を添削するように他人の原稿に手を入れること自体が変だ、ということなんだ。そのことがどうも相手には分からないらしい。
 接続詞というのは、確かに執筆者の意思がかなり露出する言葉である。「しかし」「だから」などを避けるという暗黙の取り決めが新聞社側の姿勢にあるのかも知れない。だからであろう、このごろの新聞記事の不思議な文体、ぬらりくらりしていて、それではてめーはどうなんだ、と反論されることを極度に恐れていてるような姿勢が見え見えである。「しかし」「だからといって」、執筆依頼者の原稿にまでその慣習を押し付けるのは思い上がりも甚だしい。誤字・脱字・字数制限以外の理由で他人の文章に手を入れるのは言論人(こんな言葉も今では死語になりつつあるらしい)のマナーに反する。先日の「お願い」がどこまで届いているのか、と聞くと、部長まで上がっているはずという。それならその返事を聞かせてもらってから再度話し合いましょう、と言って電話を切った。向こうとしては、とんでもない奴にぶつかってしまった、と今ごろビビっているのかも知れない。そしてこのままこちらからつつかない限り、返事はないのでは。
 いや実際、今朝の電話が無かったら、こちらとしては不快なことは早く忘れようとしていたわけだから、向こうとしてはとんだ計算違い、藪から棒、いや蛇と思っているに違いない。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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