原発禍記念資料館を!

 今日の午後、たまたま見たテレビ番組の中で、今度の震災で放射能に汚染された瓦礫のことだろうか、あるいは除染で取り除いた土壌のことだろうか詳しくは分からないが、その仮置場の候補地となったどこかの地元住民の抗議運動の様子が報じられていた。それは2年か3年、ともかく一定期間の処置であって、安全性に何の問題もないしいずれ中間貯蔵施設に持っていくものだから、という行政側の説明に対して不信もあらわな抗議運動であった。それを見ながら複雑な思いにかられた。その不安は分からないでもないが、さりとて…
 
 キャスターたちもどちらに味方していいか迷って…いやいやこういう場合、行政に味方するなんてとんでもないことで、一応は地元住民の肩を持つポーズだけは見せるというのが定石である。しかし、ならばどうする?
 
 そんなことを言うならお前のところに持って行け!と言われそうだが、正直いうと、ちょっと悲しい。川俣の花火を忌避したどこかの住民のことが連想される。同情はするが、火の粉を被るのは真っ平御免!
 
 以前、国から中間貯蔵施設のことを言い出されてびっくりしたどこかの知事さん、あっそうかそれは福島県知事に決まっとる?そう、その佐藤知事の態度を批判したことがあるが、今回はさらに思い切って、最終貯蔵施設までを福島県が引き受けることを提案したい。どこに? いちばんいいのは福島第一原発跡地、なに?まだ高線量で工事するのは不可能? さらに廃炉にするのに何十年もかかる? なら、どこか別のところでもいいのだが、要するに日本科学の粋を集めて放射能が絶対漏れる心配のない堅牢な地下貯蔵施設を作り、その上に巨大かつ壮麗な白亜の原発禍記念資料館を建て、さらにその周囲何キロ(何十キロ?)にも及ぶ記念公園を作る。

 もちろん資料館の中央には、直接放射能の犠牲ではないが事故後の愚かな行政のリードによって命を落とした何十人、いや何百人、いやいや何千人でしょう、だって南相馬だけでも老人・病人の死者が290人以上も出たのですから、その人たちの名前を刻んだ慰霊碑を建立する。墓場に避難しますと言って自殺したあの南相馬のおばあちゃんも入ってます。つまりですな西の広島平和公園ならびに平和記念資料館に勝るとも劣らない規模の東の原発禍記念公園ならびに資料館を建てるんですわ。

 来日する各国首脳も必ず来て献花するし、そのうち3.11は世界中の人たちがその方角に向かって祈りを捧げるメモリアル・デーになる…なに、それだけでは莫大な建造費の元が取れない? だったら広島とは違って、この公園にはさらに一大レジャー施設、つまり私自身は行きたくもないがあのディズニーランドに勝るとも劣らない(この表現好きでんなー)遊園地を併設する。休日をまたいで来園する人たちのための宿泊施設もありますぞ。

 もちろんこんな大それた企てを実現するには強固な意志が必要。いやそろばん勘定に関するシビアな意志ではありません。脱原発・反原発への強い意志です。つまりですな、知事さんの場合もそれが透けて見えましたが、自分は絶対に原発をやめさせるのだという強い意志が(今は知りませんよ、少なくともあの時は)感じられなかった。だから政府に対する姿勢も及び腰。つまり俺の目の黒いうちは福島には絶対原発を存続させない、将来も決して建造をゆるさない、という強い決意があれば、自ずと中央に対する姿勢も断固としたものになってくるはずです。

 ついでに憎まれ口を叩くと、冒頭に紹介した地元住民たち、本当のところ原発に対してどんな考え持ってるんでしょうかね。うーん、瓦礫を引き受けることは嫌だけど、今の生活を維持するには、やっぱ将来とも原発は必要かも、なんて考えてるとしたら、おじちゃん(て私のことですが)許しませんぞ。

 例の非核三原則はいつからか有名無実のザル原則になっちゃいましたが、私が真面目に提案したいのは、日本が将来にわたって決して原発を持たず、作らず、持ち込ませないという非原発三原則を堅持する国になることです。そんな三原則に賛成するのは、たぶん日本人の五割になるかならないか、もし幸いに法的な意味を持たせられたとしても(つまり立法化されても)非核三原則よりザルになるのは早いだろうし、意味ないよそんなこと、と言われるかも知れません。でしょうなー。

 でもそれでも言い続けません? 平和菌をばら撒くように、倦まず澆まず言い続けるんです。もしするといつか必ず…

 それから先日の写真展に関してひとつ忘れていたことがある。つまり鄭周河さんの写真展をここ南相馬で開催することの意義として、ぜひ思い起こしたいこと。すなわちここ原町区のかつての町のシンボルだった無線搭にまつわる悲しい歴史のことです。大正十年(1921年)に完成し、老朽化のために1982年に惜しまれつつ解体された原町無線搭、鉄筋コンクリート製で高さ200mの原町無線塔は、建設当時としては東洋一の高さを誇る巨塔で(つまり当時のスカイツリーですわ)、2年後に起こった関東大震災を逸早く世界に知らせたことなどで有名でしたが、その危険な建設工事に死刑囚と徴用された朝鮮人が使われたという悲しい歴史を持っている。つまり野だけでなく命そのものもまた奪われたということである。

 展示会開催の意義と言ったわけは、こうした悲しい歴史を隠すのではなく、それを痛みとともに想起することによって、韓国や北朝鮮の人たちとも魂の深みにおいて真の理解と交流が可能となるはずだからです。こんなところで序でに触れることなどできない重いテーマですが、とりあえず一言触れておきます。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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2 Responses to 原発禍記念資料館を!

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が最後に「展示会開催の意義」と言われた「わけ」を何度も読み返しました。非常に感銘を受けます。「韓国や北朝鮮の人たちとも『魂の深み』において真の理解と交流が可能となる」ためには先生の言われているように「悲しい歴史を隠すのではなく、それを痛みとともに想起すること」だと思います。

     私が先生の本の中でいつも気になっている言葉があります。「魂の兵役」。この言葉の真意は何なのか。最後の文章を読んでいて少し理解できたように思います。そして、人間の見識は正にその人の生き方から生まれるものだと先生の文章を読んでいて強く感じました。

  2. 阿部修義 のコメント:

     私が「魂の兵役」という言葉を少しは理解できたと思ったのは、「痛みとともに」という言葉を「韓国や北朝鮮の人たちの立場に立って」と読めたからです。読んだ方にはわかりにくいと思いまして一言付け加えます。

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