やり場の無い怒り

 突然こみ上げてきた怒りを持て余している。実は半分ほど書き進んだ別の文章があったのだが、そんなものを悠長に続ける気など失せるほどの怒りを持て余している。書き(吐き)出さなければ憤死してしまいそうだ。

 昨日、西内さんの運転する車で、小高に行ってきた。三月に中央図書館で開催予定の写真展の下準備のために二日前から来日している鄭周河(チョン・ジュハ)さんを伴って、十時ごろ、先ずは図書館での最終的な打ち合わせ。そのあと、六号線を南に小高に向かったのだ。最初に埴谷・島尾記念文学資料館のある(った?)浮舟文化会館に。もちろん現在は閉鎖中。続いて今や廃屋同然になってしまった井上家本家に。島尾敏雄が幼少時、休みごとに訪れた家で、私の一家もここの隠居屋に小学五年の秋から翌年にかけて、居候をした家である…おや、何をぐたぐた書き並べてる? そんなことを書くはずじゃなかった。そうだ、ゴーストタウン同然の小高の町中を通っていたときに、思わず言った言葉を、今になって思い出し、それがきっかけで怒りがこみ上げてきたのだ。

 そうっ、私がここの住民だったら誰が何と言おうと、自分の家にとっくに住み始めてるぞーっ!と心中大きく叫んだし、口にも出したのだ。水道その他(確か電気は来ているはず。だって通りの信号は人も通らないのに律儀に点滅を繰り返していたんだから)のインフラが整備されてないから住めない? でも名前は忘れたが理髪店の誰かさんは水を毎日他所から運んで店を開いているのでは? あゝ忘れた、彼の店を訪ねて、頑張って、と声をかけるんだった…

 ともかく放射能の線量は原町区とほとんど同じじゃない? そのあと、そこからさらに南に進んで10キロラインのところまで行ったが、西内さん持参の線量計だと0.2~0.3マイクロ・シーベルト、原町区と同じ、場所によってはそれ以下。事故後しばらくは、30キロラインのところにも、京都府警などからきた警官がまるで国境警備兵が威嚇するみたいに立っていたが、今は数人の工事関係者がのんびり立っているだけ。浮舟文化会館近くの老人ホーム側も通ったが、できたばかりのような瀟洒な建物が穏やかな陽の光を浴びて静まり返っていた。あゝ、もう一つ嗚呼! 鹿島の仮設ホームに閉じこめられているよっちゃん! ねえ、ここに移って来たら、落ち着くよー!

 水など毎日新鮮なやつをタンクローリー車で運んでもらったらいい。何!電気はまだ? そんなもの発電機一基直ぐにも運んでもらえ!(あっ相手はよっちゃんでありません、架空の役人に向かってます) 自宅に戻れないとしても、窓から見える景色は幼いときから慣れ親しんだ懐かしい風景、散歩なら車が通らねえんだから、道路の真ん中堂々と歩けっと! ギョーセイ、何考えてるー!

 何? 補助金もらうにゃ足並み揃えねえと不利になる? ほらね、いつもお上の指図待ち。昔の日本人はもっと逞しかったぞーっ! 終戦後のこと考えてみろーっ! 今晩食うもの無くても、闇市をもぐもぐもぐもぐ歩いてたぞーっ! 不定形の民衆のエネルギーが横溢してたぞーっ! 何は無くとも、こうしてお天道様の下で生きてるだけで感謝して、もう戦火を潜らなくていいことに嬉しくなって、蚤の這い回るボロ着て、ぼりぼりにこにこ体掻いてたぞーっ!

 もちろん駅通り(むかしフンドシ町と揶揄した町並み)の家屋は地震による地盤沈下でかなり痛んではいるが、でもそれ以外のところは立派な、いかにも金をかけた造りの家屋がのどかな光を浴びて何軒も並んでる。終戦後の日本人なら、夢のような豪華な御殿、ごっつぉさんです、住まわせてもらうど、とすぐにも生活始めまっせ(おや急に大阪弁に)。

 要するにお上の指示待ち、助成金待ち、整備待ち…それを逆にしたらどう? つまりでんな、ギャザ地区(でしたっけ)のイスラエル人のエゲツない戦法を堂々と(だって自分の家、自分の土地なんだど)実践するんです。つまりまずは住み着く。もちろん補助金・助成金などもらうべきものはガッツリいただくことは言うまでもない。

 行政は国民の生きる活力を引き出し応援するものであるべき。国民のやる気を殺いだり、申請書が提出されないかぎり動かないおヤクショであってはならない。安楽で快適な生活に慣れきってしまった国民は、もっとも大事な生きる活力を失ってしまう。もしも現在の小高区(に限りませんぞ)を、いわゆる発展途上国とか貧しい国の人が見たら何と言うでしょう? 水が無い? 車があるんなら、飲料水はちょっくら原町区のスーパーに行って買ってくっぺ(彼らは相馬弁を話さないけど、たとえばの話)、電気? 畑に転がってるトラクターがあっぺ、あれに貞房さんの叔父貴の健ちゃんが発明した発電機繋いで電気起こすべ。

 ともかく先ずは元気に生きっぺ。あとはギョウセイとかクニが追っかけてきて世話するようになっぺ。何?ギョウセイが動かねー? だったらムシロ旗おっ立てて抗議すっぺ…。

 ここまで書いてきて、少し落ち着いてきました。ふざけてるようですが、本気です。つまり日本は、日本人はどこかおかしくなってる。人間にとっていちばん大事な「生きる」力が弱ってる、いやむしろ失っている。それでいて、原発まだ続けよう、なんて狂ってるとしか言いようのないおかしなことを言う人間に成り下がってる。

 ざけんじゃない! まずいっ、また怒りがぶり返してきた。ここらで止めておく。

Please follow and like us:

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

1 Response to やり場の無い怒り

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が言われている「生きる」ということを少し考えてみました。「この一瞬一瞬が意味を持ち、充実すること。小さな幸福に喜び感謝しながら生きていくこと」。2012年9月30日「ヘンシーン」の言葉のことだと私は思いました。人間は案外感謝を忘れてしまうものなのかも知れません。そして、「生きる」力を失っているという意味は何事にも「感謝」の気持ちを忘れてしまうところに原因があるように私は思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください