奇妙なファンレター

 鬼の霍乱? ふだんからそれほど健康に恵まれているわけでもないから鬼の霍乱とは言えないだろうが、しかし不意打ちであったことは間違いない。油断していた。いや大層なことではないが久しぶりに風邪を引いてしまったのだ。三日ほど前からなんとなく調子が悪くなり、一昨日は全く食欲がなくなり、おまけに夕方、ゲホをしてしまった。ゲホとは愛が風邪を引いて夜中に嘔吐するときなどを指す我が家の隠語だが、これまでどんなに風邪を引いてもゲホすることなどなかったので、ちょっと狼狽した。でもありがたいことに、美子はその間、ずっと元気にしていてくれたので助かった。

 それでも一昨夜はぐっすり眠れたので、昨日は食欲も戻り、外出は控えたがほぼ治ってきたようだ。そんな日の午後、美子は車椅子で楽な姿勢で、私もその真向いに、リクライニグさせた椅子の上でうとうとしていたときである。頴美が大型の分厚い小包封筒を持ってきた。なんと関口照生さんからのお手紙入り写真集『地球の笑顔』とそのカレンダーである。直筆の礼状は実に達筆であり、取りあえずは書くことが専門の私としてお返事は、さてどうすべきか、つまり直筆にすべきかそれとも無難にワープロ文書にすべきかなど、さっそく心配している。

 そんなことをぼんやり考えているうち、やたら鮮明な白昼夢を見出したのである。白昼夢? そうとしか言いようがない。つまり次々と想念が生まれ、それが別の想念と繋がり、それでいて単なる妄想とも違っていやに細部がはっきりしているのだ。きっかけになったのは、それまでぱらぱらと眺めていた写真集の中の少数民族の群像、とりわけ子供たちの屈託のない笑顔である。チョン・ジュハさんの写真はいずれも素晴らしい作品だが、しかし彼は外国人としてあくまで控えめに、それも被災者の背後から、そして多くは人影のない風景だった。でも関口さんの写真を見ているうち、そうだ、彼に被災地の子供たちの笑顔を撮ってもらえないだろうか、と夢想し始めたのである。

 たとえば島尾敏雄の名作「いなかぶり」には、彼が幼少年時代、休みごとに帰っていた母の実家・井上本家が舞台の作品だが、もちろんいまは無人の廃屋と化している。小高い坂道を上がってすぐ右折すると、典型的な相馬の農家のたたずまいが広がる。まずは小型四輪置き場になってはいるが昔は馬が飼われていた一角。続いて農機具置き場、隠居部屋、そこからカギ型に回って当住(トージ)、そして昔はカイコが飼われていた天井が高く広い部屋部屋、ついで隠居から見れば娘一家の住まい。その裏は晝なお暗い竹やぶ。そしてカギ型の住居にはさまれるように広がる中庭、たしか今でも実をつける一本のザクロの木、外便所……

 震災後なんどかここを訪れたが、いまは完全な廃墟となっている。主を失った家屋がこれほどまでに一気に腐食・崩壊の度を速めるものか、実に暗澹たる気持ちにさせられてきた。当家の主人、つまり私にとっては又従兄にあたるHさんとは震災後会っていない。駅通りの時計店に嫁いだ妹のS子さんとHさんの長男のお嫁さんにはばっぱさんの弔問に来ていただいたが。

 夕餉時に広がる五右衛門風呂の薄い煙、囲炉裏端囲んで一家団欒(もちろんこの風景は私の子供の時のものだが)、黄色い裸電球にかえって黒々とした闇を際立たせている納戸のあたり…

 これら人間たちの生きた佇まいがあの忌まわしい原発事故の夜、一瞬のうちに消えてしまったのだ。でも人影の絶えた風景を撮ったチョンさんの写真をじっと見つめていくと、次第にそこに楽しかるべきかつての日々の人間たちの姿が見えてくるように、ほらそこの馬小屋の角で笑っている少女時代のキヨちゃんが見えてくる。そう関口さんが撮ってくれれば…
 
 以上、白昼夢の一部である。だからまるでプロデューサー気取りで構図の指図までしていることを許していただきたい。「いただきたい」?

 まさか君は、このままそっくりの文章を関口さんに送るつもり? そのつもりだよ、いいじゃない、白昼夢と初めにことわったんだから、大して失礼にもなるまい。ところで関口さんから写真集をもらったことを知った川口の娘が、こんなメールを寄こした。「えーっ、何で関口さんと知り合いなの? 昔、ママが関口さんのこと素敵!って言ってたよね。」 だからもしも美子が認知症でなかったら、今度のことをどれほど喜んだことだろう。でも私には『北の国から』で雪子おばさん役で出ていた竹下景子さんの印象の方が実に強烈で、彼女を不幸にした松崎という男が本当に憎らしかったことを思い出していた。彼が駅前商店街で楽しそうに奥さんと買い物する姿を電柱の陰から悲しげに見ていた雪子さん、そのとき流れていた五輪真弓の「恋人よ」の悲痛なメロディーをいまでも思い出すことができる。

 いや実際の竹下景子さんは、「日本・スペイン交流400周年」の親善大使であり、しかも関口照生という名カメラマンが旦那さんときちゃー、めでたさ通りこして…やめましょ、まだ風邪気が抜けず、考えも支離滅裂。もう何も考えずにこのまま関口さんに送ってみよう。変なおっちゃん(じっちゃん)からファンレターだか仕事のヒントだか分からない変な手紙がとどいたよ、と即座に処分されるかも知れないが。

 そうだ、もう一つ。ときを同じくして、宜野湾市佐喜眞美術館の上間かな恵さんがいいこと(?)を教えてくれた。というのは、長い間沖縄で、沖縄戦の後遺症、正しくは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんできた人たちの精神的ケアに従事してきた蟻塚亮二医師がこの四月から相馬市のメンタルクリニックなごみの所長さんになられたということ。さっそくネットで調べたら、「中日新聞」(8月23日夕刊)にインタビュー記事が載っていた。ついでに言うが「東京」そしてその親新聞「中日」は実にいい記事を作る。

 まさに私の予想してきたとおり、南相馬は今、直接の放射能禍よりはるかに恐ろしいストレス障害が広く深く蔓延している。そして沖縄戦のPTSDとの類似点が明確に現れていて、その対症療法に共通するものがあるという。そのうち蟻塚さんにお会いしたいと思っている。ともかく事態は深刻である。それなのに今日もどこかの会合で反原発の旗手小出某は「放射能に対する敏感性はお子さんは成人の何百倍、いや千倍はあります」など科学者の「信念」を能天気に披瀝してござる(のをネットで聞いたばかり)。おいおい、その千倍という数値、どういう根拠・データで出してきた? これを聞いた被災者、とりわけ幼い子を持つ母親たちはどう判断すると思う? 千倍、というと年間1ミりシーベルトの千分の一でも子供には危険ということだわ。どうしましょ、もうどこにも行くところないじゃない…こういう風に不安と疑心暗鬼の無限スパイラル落ち込む人が、事故直後よりむしろ確実に増えている。

 「うつ病ってのは、とても困難なことがあって、それに対して<生きたい>と思って発熱してる状態なんです。ある意味、相撲の得俵に足をかけて踏ん張っている状態なんです。自己防衛・保存本能なんです。ところが福島の<死にたい>は発熱して踏ん張っているのではない。普通に生活してて、ふと「死にたい」と思ってしまう。先の見えない不安。これが一番怖い」(先のインタビューから)。

 南相馬が実はこんな深刻なストレス禍にすっぽりくるまれた町と化していること、おい君、小出君よ、どう思う? まるで特命を帯びた宣教師のようにもうさんざん放射能の怖さを書いたり、語ったりしてきたろ? もういいよここらで少し発言を控えてみては? 太郎よ、反原発を謳うのはいい、しかし被災者の苦痛を踏み台にしてお題目を唱えるのはもうやめてくれんか。

 それじゃ勢いが出ない? だろう? それが被災者の痛みを踏み台にした反対運動だと言ってるんだよ。都会で行なわれる反原発集会、こちとら聞いただけで怖気をふるうぜ。さあ現在避難生活を続けているXさん、どうぞ被災地の現況をお話し下さい…そんなこと無理だべさ、あの日以来ずっと各地を逃げ回って、一度も被災地さ戻ってねえんだから。さあ続いて先日チェルノブイリ使節団に加わって彼の地を見てこられたYさん、どうぞお話下さい…それ定番だが、大陸性気候でもともと甲状腺異常の多発地帯だったところと、小さいときから潮風浴びて昆布食ってきた地帯と安易に結び付けないでおくれ。

 前から言って来たことだが、子供とチェルノブイリの話が出てくるときにはご注意あれ。その多くはおのれの不安をその二つに仮託して話し始めるのだから。じゃどうせよ、と? これまで以上に迫力と信念を持って反・原発運動を展開してください。でもそれは被災民の苦しみを踏み台にしてではなく、原発安全神話そのものが稀代のインチキであり、核兵器と同じく原発それ自体が反・人間、反・自然の代物であると主張しながらですよ。核の平和利用という謳い文句自体、不老長寿の夢、錬金術の夢同様、根拠のない夢物語だと主張しながらですよ…

 あ、いつのまにか関口さん置いてきてしまった。戻ります、ですから関口さん、南相馬いや被災地全体の確かな希望の象徴として、屈託ない子供たちの笑顔を、その姿を撮ってください。私たち被災者にとってそれが何にもまして未来への希望の懸橋になるのです。よろしくよろしくお願いいたします。半ば夢うつつのまま長い手紙になりました。どうぞ真意をお汲み取りくださいますように。

 あ、それから雪子おばさん、いや竹下景子さまにどうぞくれぐれもよろしくお伝え下さい。いつかお二人で南相馬にいらっしゃるようなことがあれば、と念じております。

※後記 昨日、福島医大から愛の健康診断書が送られてきたが、前回同様何の問題もないそうだ。被災地の子供たちは事故前は無かったような精密な診断を定期的に受けている。詳しく調べたことは無いがほとんど問題例が出たことは無いそうだ。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to 奇妙なファンレター

  1. 阿部修義 のコメント:

     大震災後、三度目のクリスマスを迎えました。先生のお宅でも皆さんクリスマスパーティーで賑わっていることと思います。美子奥様は神吉敬三先生の奥様から贈られた群青色のラピスラズリのネックレスをつけられているのかなと想像しています。

     先生が指摘されているように「南相馬は今、放射能禍よりはるかに恐ろしいストレス障害が広く蔓延している」ことを私も心配しています。数値の大小はありますが、日本全体何処にでも汚染されていない地域はないわけで、厳密に言えばゼロでない限り日本中国民全体がリスクを背負って生きているわけです。私の住んでいる所は、かなりの確率で大震災が三十年以内に来るとか何日か前の朝日新聞の一面に載っていました。

     人間が生きるということは、誰もが明日の保障はありません。しかし、殆どの人は、私も含めて、明日は来ると信じて生きているわけです。また、百パーセントに限りなく近い確率で明日は来るのも事実です。大震災や交通事故、理不尽な事件に巻き込まれるというリスクを常に背負って生きているのが人間です。先生が常に言われているように、毎日を精一杯楽しく、そして、魂の重心を低く保って、、自分の心で感じながら生きていくしかないのが人生なんでしょう。現政権は原発再稼働を成長戦略に位置づけ推進していくようですが、それを冷静に見定めて、時機を見て原発即時撤廃の新政権誕生を祈願しつつ、我が家でもささやかなクリスマスを楽しんでいます。家族がバラバラでクリスマスを迎えられている数多くの原発事故による被災者の方たちが、一日でも早くご家族がいっしょに生活されることを祈ってます。

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