或る出版社社主への手紙(二)

 お手紙を続けます。 
 岸信介が戦犯だったということは漠然と知ってはいましたが、A級戦犯で、CIAとの取引で死刑を免れて政界に復帰したことを、迂闊にも知りませんでした。あわててネットで調べてみると、なるほどこれについての情報や資料、さらにはアメリカ政府の公的文書などでもはっきり跡付けられる史実であることが分かりました。そう考えてみると、特定秘密保護法案をはじめ、彼が画策している憲法改悪、集団的自衛権への妄執などなど、その強いこだわりの意味が納得されます。

 彼が首相へ返り咲こうと再登場してきたとき、池部良ばりの甘いマスク(池部さん、比較するご無礼をお許しください)舌足らずの早口など、本能的に危険なものを感じて私なりに警戒警報を発しましたが、その直感は当たっていたわけです。個人的なことを言うと(と言って私はこれまで個人的なことしか書いてこなかったわけですが)、私の先祖は、父方は相馬藩、そしてもしかするとその先は薩長の宿敵・会津藩、母方は八戸(もしかすると安藤昌益と繋がるかも)、さらにその先はアイヌの血が流れているようなので、その私のDNAが長州藩のDNAに出会って強く反発したのかも知れません。

 と書いたところで、記録的な大雪、そして続いて都知事選での、予想通りの嘆かわしい結果、と気の滅入ることが続いて、お手紙を続ける意欲に水を差された感じです。ともあれ、私のブログで西谷さんのお考えのほんの一端でもご紹介できたことを良しとしなければなりますまい。最初に申し上げたとおり、私的なお手紙を、このようにブログで公表するという変則的なお手紙でしたが、今回はこの辺で終わりたいと思います。またこういう機会が近い将来恵まれますことを期待して。

 最後にお近づきの印に、まったくの手造りの私家本を献呈させてください。大震災後の四ヶ月分は論創社から『原発渦を生きる』というタイトルで出版してもらいましたが(幸いこれまで、香港、韓国、スペインで、それぞれ翻訳出版されました)、その後書き続けたものをその都度私家本にしましたら、それぞれ300ページほどのものがいつの間にか4冊にもなりました。今回はそれらをお送りさせていただきます。もちろんこれは御社から出版してもらいたいなどと大それた考えなど毛頭無く、ちょうどお百姓さんが畝作りから、種まき、そして最後は収穫から出荷まですべて手作業でやるような本作りの一つのサンプルとしてご覧いただけたらと思ってのことです。

 小箕さん亡きあと御社とはずっと疎遠ではありましたが、これを機会にまたお付き合いください。一つ大事なお願いを忘れていました。西谷社長の巻末エッセイを続けて読みたいので、厚かましいお願いですが、本年2月号から「未来」を送っていただければ幸いです。

 いずれにせよまるで尻切れトンボみたいなお手紙になってしまいましたが、御社のますますの発展をお祈りしながらこれにて失礼させていただきます。

           2月11日
                                  佐々木 孝

追伸 私家本の出版元となっている呑空庵とはD.Q庵、つまりドン・キホーテの庵、著者名となっている富士貞房とはスペイン語のfugitivo、すなわち逃亡者の意味で…とんだ楽屋落ちで失礼しました。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to 或る出版社社主への手紙(二)

  1. 阿部修義 のコメント:

     今回の都知事選で自民党が支援した舛添氏が勝利したことに、安倍総理が原発再稼働を容認されたものと単に捉えるか、原発ゼロを訴えた宇都宮、細川両氏を支持した都民の二百万近くの票の意味を勘案して配慮した方向性を打ち出せるか、私の懸念しているのは、容認と単純に解釈してしまう危険性が安倍総理にはあるように思います。小泉進次郎氏が指摘しているように、舛添氏は自民党の時代は終わったと言って離党したのに、都知事選で自民党が勝てる候補として舛添氏を選択しただけで、何がなんでも都知事選に勝ちたい双方の思惑が一致したわけです。舛添氏は田母神氏のように明確に原発推進とは言わず、徐々に原発を減らしていく社会にすると言ってました。自民党は田母神氏を支援したいところ、それでは選挙に勝てないから舛添氏にしたというのが本音でしょう。舛添氏が自民党の時代は終わったと言って離党した時のことを思い出して新知事として歩んでもらいたいと思いますが、昭和の妖怪と言われた岸信介の孫の術中に嵌らなければと懸念しています。

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