一ヶ月前から本ブログへの侵入者があるから注意、という警告がありましたが、どうしていいか分からず放置していたせいなのか、以前なら右のコメント欄へ返事が出来たのに、それがいまは出来なくなっています。すべて■■君(息子注: 管理人)任せで来ましたが、彼今の仕事が多忙で急場のお助けは出来ないようです。それで阿部さんへのお返事がこんな形なってしまいました。
実は数日前、大阪の或るカトリック教会の神父さんから、今度の九日間の祈り(ノベナ)の二回分に、私の「ソウル大統一平和研究所へのメッセージ」の文章を引用してもいいか、と問い合わせがありました。異存があろうはずもありません。不信心者の私の言葉が、祈りのために役立つなんて、光栄であるどころか恐れ多いことです。どういう文章が引用されるのか聞きそびれましたが(うろたえて)、平和や脱原発のためにお役に立てるなんて、恐縮至極、もったいないと思ってます。以上は阿部さんのありがたいコメントへのお返事でもあります。よろしくご理解ください。
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先生、ご返事ありがとうございます。先生の言われる「答えのない問い」という人生の大海原をモノディアロゴスを通じて生き方の羅針盤として今後も拝読していきます。日々のちょっとした空き時間に拝読していると何か生きていくための示唆を感じています。最近も読み返していてこんな文章に出合いました。「パースペクティブの誤り」(2002年9月9日)
「こと人間に関わる視点が、他のものを対象とするときと決定的に違うところがある。それはつまり人間に対しては【等身大】の視点しかないということだ。人間はたとえば標的のように【もの】として対象化できない。歴史を通じて臆面もなく続けられてきた、そして今も続けられている人間の人間に対するあらゆる不正は、まさに視点の錯誤、パースペクティブの誤りからくる。他者を等身大で見るためには、同じ平土間に立たなければならない。時にそれはまどろっこしく、また理解の届かぬところが常に残る。しかしこの視点からしか正しい他者理解の道が開かれないと覚悟すべきだ。」
梅雨明けでこれから当分猛暑が続きますが、先生、美子奥様のご健康を心からお祈り申し上げます。