吉里吉里国独立す

あと数時間でスコットランド独立の是非を問う国民投票が決着するそうだ。昨日だったか、あるテレビの解説者が、経済的な損失を考えると独立を言い出すなんて気が知れない、などと言っていた。たぶん彼は、今回の騒動が何に起因していたのか、またその帰趨までも予測できる事情通なんだろう。でもどちらに転ぶにせよ、独立の是非を経済的損得勘定で割り切るその姿勢に大いに疑問を感じた。しかもよその国についてよく言うよ、というわけだ。
 だからこれから書くことは、良く言って「岡目八目」。つまりイギリスの正式名称が「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」であることを今回改めて確認したという全くの素人の、その床屋談義である。もともと独立した王国スコットランドがイングランド王国に統合されたのが1707年、ウェールズの併合はそれよりずっと前の1284年、それら三つをグレートブリテンと言い、さらに1949年に北アイルランドがイギリスの統治下に入るという実に複雑な構成の国であることを調べたところだ。
 スコットランド独立の動きはこうした入り組んだ関係の中から出てきた問題だから、私のような素人が軽々に口を出すべきではないのかも知れない。しかしそこに固有の問題があってのことだとしても、私からすればこの先世界いたるところに起こるべきして起こる大きな地殻運動のその兆しの一つに思えてならない。或る意味ではウクライナ問題もその一つであろうし、良くは知らないが最近(いやずっと昔から)のスペインのバスクやカタルーニャの動きもそうであろう。(もちろん渡辺一技さんが真剣に取り組んでおられるチベット問題然り)
 要するに、これまで折に触れて言ってきたように、とりわけ原発事故後に強く感じているのは、近代国家という枠組みそのものが金属疲労もいいところ、とっくにその役割を終えているということ、それを無理に維持しようとするところから、現在地球上いたるところでの分離独立運動やら国家間紛争が発生しているという見立てである。
 もちろん新しい国のあり方に成功しているところなどどこにも無い。一歩先んじたEUも雲行きが怪しくなっている。でもそれはいわば産みの苦しみであり、方向性としては決して間違っていないと思う。
 こういう過渡期にあるにもかかわらず、わが国の為政者たちは相も変わらぬ古い国家観に固執してるどころか、安倍首相などは富国強兵という明治初期の長州イデオロギーに先祖返りしていて恥じるところが無い
 昨今の日本の政治を考えると、どこにも出口の無い閉塞状況の話になるので、話を元に戻して再度繰り返すが、今回の分離独立問題が表面化したのには、それ固有の下地があったにしろ、一般論としては時代の必然性が働いていると思わざるを得ないのである。もちろん独立したスコットランドが、旧態然としたもう一つの国家になるだけだったら、反対派が言うようにあまり意味のある決断とは言えない。つまり単なる分離独立ではなく、そこに新しい国のあり方への果敢な挑戦があってほしいわけだ。核のない国、北欧並みの福祉国家を目指すという賛成派の意見に期待したい。
 今回のニュースを見ていて急に井上ひさしの『吉里吉里人』を思い出した。経済立国・工業立国を追い求める中央政府に対して、東北の地に金本位制・農業立国・医学立国・好色立国を目指すユートピア国建設の夢を語った小説である。いちばん最後のスローガンは井上ひさし特有の冗談としても、「方向性」としては実に卓越した思想の筋が通っている。発表後、日本各地に町興しの余興として擬似独立国が生まれたようだが、それらは冗談を冗談として受け入れただけで、小説の根底に横たわる井上ひさしの骨太の思想が真剣に受け取られたわけではない。
 当時、本土での商売がらみの反響とは違って、沖縄ではかなり真面目な共感が寄せられたと聞く。これも原発事故以後のわが貧しい覚醒の一つにオキナワ問題があるが、そこに難しい課題が横たわっているにせよ、いつか沖縄がかつての琉球王国のような自主独立の歩みを再開してほしいと密かに思っている。いや沖縄の先鋭な論客・知念ウシさんの言うように、ヤマトからオキナワの独立というより、オキナワに甘えに甘えてきたヤマトのオキナワからの乳離れこそが求められている。 さてわがトウホクはどうか。坂上田村麻呂の時代から征伐の対象であり、以後現在に至るまで中央政府の収奪の対象であり続けたわが東北はどうあるべきか。吉里吉里国独立の話を単なる寓話・おとぎ話で終わらせていいのか。
 先ほど新潮文庫三巻を簡易合本にした『吉里吉里人』(通巻1,500ページ余)を探し出してきて、古ジャンパーの切れ端で背革布表紙の豪華美本に作り変えた。今日から、机のすぐ横にある手作り本棚に、これまた全巻革で装丁し直された『イェルサレム聖書』(スペイン語訳)の横に並べるつもりである。吉里吉里国の顰に倣った新版相馬藩、いやせめて南相馬文化特区の夢を紡ぐヨスガにと念じつつ。

※追記 国単位の問題とはレベルを異にするが、例の町村合併の思想も、近代帝国主義路線の併合・合併の思想と同じで、ひたすら強大な中央政府の統治しやすさだけを考えた悪法・愚策であることは間違いない。各地方が持っていた固有の文化や風習の破壊が結果していることは明らかである。要するに大切なもの・貴重なものを維持するのは、合理性・利便性だけを旨とする思想にとってやっかい極まりないこととしか見えないわけだ。かつて永井荷風は『日和下駄』の中で、東京の街から散歩のたびに貴重な懐かしいものが消えていくことを嘆いたが、現代では更に高速で伝統的なものが消失している。列島改造論に代表されるいわゆる「更地の思想」が日本ほど徹底している国は世界中どこ探しても無いことだけは断言できる。

※再追記 どうやらスコットランド独立は否決されたらしい。でも賛成派は今回の「反乱」によって、無血でさまざまな特権を獲得できそうなので、結果オーライと思っているに違いない。どちらにしても、今回の騒動でスコットランドは一躍世界の耳目を集めたわけで、世界各地の分離独立派に希望を抱かせたはずだ。新疆ウィグル族やチベット族など名前だけは自治区となってはいても内実はひどい圧制に苦しんでいる人たちに、今回のことが無血分離独立への一つのヒントになったのではないか。(この辺、かなり楽天的であること、書きながら認めざるを得ないが)
 ところで『吉里吉里人』のことだが、実は今まで読んだことがなかった。それで取り上げた以上は読まなければと読み始めたのだが、これがめっぽう面白い。しかもこれは私が買ったものではなく、私より数倍読書力も読書量も勝っていた美子の本なのだ。ついでに白状すると、昨夜来のことが引き金になったのか、今朝方、六時からの又寝の中で美子が口をきいた夢を見た。いや話すだけでなく車椅子から立ち上がったのである。以前、妻の夢をめったに見ないことに或る後ろめたさを感じていると書いたことがあるが、事実、認知症になってからも、妻の夢を見たことがなかった。それが夢の中では初めこちらの言うことを鸚鵡返しに繰り返すだけだったが、次の瞬間自分の言葉で話し始めたのだ。夢の中でも、これは一大事、美子の言葉をしっかり記憶しておこう、と思ったが、夢から覚めたあと、どうしてもその言葉が思い出せない。嬉しい夢なのに、後に残ったのはやり場の無い悔しさと悲しさだった。


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からのコメントを転載する(2021年3月21日記)。

吉里吉里は三陸沿岸町として実在しますが津浪で壊滅的打撃を受けました。わたしは小説を読んでいませんが、実在の町のイメージと小説の虚構のイメージとのあいだの「解離」になんとなく違和感を覚えたせいです。
しかし、先生のモノディアロゴスによれば、小説そのものはやはり一読に値するようですね。
ところで、スコットランドはなんども出かけておりますが、いつもエジンバラかグラスゴーを起点にもっぱら北上し、人家も見当たらないハイランド最北部の何処かに滞在するので、独立のことを現地の人々とじっくり語り合う機会もまれでした。
『ブレイブハート』のウォレスやロブ・ロイの物語が映画となり、ゆかりの地に観光客が増えたのが目立ちますが、ハイランド最北部の荒涼たる美しさはいつ出かけてもそのままです。


Jun Sasaki さん、国家廃絶に向けての思想的心組みをわたしは埴谷雄高を通じて学びましたが、そのこととは別の次元の物語として、リーウィウスの『ローマ建国史』のような史書を愛読しています。侵入してきた征服者に向かって、「わたしはローマの市民である!」と決然と言い放った市民の気高い故事などは有名なもので、つとに西欧では人口に膾炙しています。
近代日本には軍国主義的傲慢さはあっても、古代ローマの市民的気高さの感覚はついに確立しませんでした。
たとえば武士道は市民的精神とは類を異にしたものですね。問題はあくまで市民的自立の精神です。世界にひらかれた寛容さと物事に対する気高さの感覚をそなえた市民の絆ですね。吉里吉里人にそれがあるかどうか見てみましょう。


ローマ的洗練には欠けるとしても、スコットランドの人々には生活のなかに感覚や絆として気高いものや寛容さといったものがあり、それが直感されるのでわたしはいつしかイングランドよりもスコットランドの北部へ足を伸ばすようになりました。スカイ島のような辺境の寒村を好ましく思うのも、彼の地の漁村の人々との交流が楽しいからです。


スカイ島の漁師の家の二階に数日滞在したことがありましたが、そこの奧さんの父親がむかし小学校の校長を務めた人ということで、一人の日本人と親しく文通を交わしていたそうです。よくよく聞いてみると、その日本人は英文学者でスティーヴンスンの小説を訳しており、さらには、スコットランドの民族叙事詩オシアンの物語を訳すので、ゲール語を学びたいと校長に依頼して、それを引き受けたため長期の文通を取り交わすことになったというのです。スティーヴンスンもスコットランドの出身ですが、その小説もオシアンものちに岩波文庫に収録されました。さいわいわたしは訳書を読んでいたので、漁師の奧さんから詳しい話を聞くことが出来たのです。
スカイ島の歴史の本も借りて読み、その本が絶版だったので読み終わったら返すという約束で旅のあいだ貸してくれました。南下して旅を続け、アイオナ島の古書店で同じ本を見つけましたから、地元の郵便局から無事に送り返すことができましたが、ただの口約束だけで、行きずりの旅人に、貴重な父親の蔵書を無期限で貸してくれるという親切と好意。その魂に根ざすものこそ、わたしが旅で学んだスッコトランド的なるものと思っています。

佐々木 孝 について

日本のスペイン思想研究者。1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。6年間の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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