数日前から、いやもっと前から、ウナムーノの小説『霧』を読んでいた。そのきっかけを白状すればいささか単純というか不純。つまり先日、マドリードのエバさんが、最近『霧』を読んでいるが、読みながら先生のことが頭に浮かびました、とメールで書いてきた。つまり一部の(あくまで)スペイン人にとってウナムーノといえば日本では佐々木が思い浮かぶほどになったのか、などと自惚れを通り越して妄想の域にまで舞い上がってしまったわけだ。
ところが冷静に考えてみると、実はこれまで『霧』をきちんと読んでこなかったことが今さらのように思い返され恥ずかしくなってきた。
それで著作集(法政大学出版局刊)第四巻所収の高見英一先生の訳文で読み始めたのだが、ウナムーノが死の一年前の1935年に書き加えた冒頭の「覚え書き」まで読み進んだとき、どうしても分からない箇所があり、注にも説明がない。(先輩、すみません、文句を言ってるんじゃありません。あの著作集には私も何作か翻訳してますが、いま読み直してみると本当はきちんと注を入れるべきところが何箇所も残ってます。大急ぎで出版したまま、推敲の機会も無く今日まで放置したままなのです)。
具体的に言うと、この novela(小説)は又の名をニボ-ラ(nivola)と言い、epopeya(叙事詩)ではなく opopeya、tragedia(悲劇)ではなく trigedia でもある、と言っているくだりである。つまりウナムーノ特有の新造語が並んでいる箇所だ。これまでニボーラとは小説(ノベーラ)と霧(ニエブラ)の合成語であると解釈してきた。しかしそれでは trigedia と opopeya は何という言葉との語呂合わせ、あるいは合成語なのか、ということである。
それで念のためトゥリヘディア(trigedia)をグーグルの検索エンジンにかけてみた。すると思いがけない論文にぶつかった。フランスはルーアン大学に在籍する(学生か教員かは不明)ソフィア・トラセナ(Sofía Moncó Tracena)という人が書いた『トゥリヘデイア作成の新技法』という16ページほどの小論である。彼女(名前から推してスペイン出身だろうか)によれば、悲劇(tragedia)を一字変えて trigedia とすることは単なる言葉遊びではなく、悲劇と喜劇(comedia)の境界を越境する新しいジャンル創出の試みであり、その現代における実践者がスペインのウナムーノだというのである。もともと悲劇という言葉自体 tragos(本当はギリシャ文字で雄ヤギを意味する)と oda(歌)の合成語らしいが、trigedia は新しい葡萄酒またはその澱(おり)を意味するtrugos(これも本当はギリシャ文字)という言葉と oda の合成語で、すでに喜劇詩人アリストファネスが使っていたそうだ。
いやもともとギリシャ語にもギリシャ演劇にも無知な私がこれ以上話を進めない方がいいだろう。ともかくウナムーノが1907年に『霧』を創作するに当たって、従来の小説作法から大きく外れる自作をニボーラと命名し、ついでにアリストファネスに倣って trigedia に、さらには opopeya へと筆をすべらせたということだろうか。社会的には作家というよりむしろギリシャ語教授だったウナムーノだから、opopeya も何か意味ある二つの言葉を見つけての合成語かも知れないが、そこまでは付き合っていられ ない。
ともかくこのところまるで霧の中のようなウナムーノ的世界から抜け出せず、時に全集収録のものやら比較的詳しい注が入ったカテドラ叢書の原文やらを比較しながら読みふけったのだ。こんな風にしてスペイン語を読むのは、さて何年ぶり?原町に帰ってきてからだとしても優に12年にはなる。
変な時に変なエンジンがかかった具合になってしまい、それが思わぬところまで飛び火した。つまりウナムーノに限らずスペイン思想全般の研究書、さらには本棚の隅に隠れていた本など二階から運び下ろしたり、あまりにみすぼらしい本には蘇生術を施し、大事な本には背革布表紙の豪華本に装丁し直したり、自分でもアホらしいと思いながら、結構忙しい時間を過ごしていたのである。それも今日あたりようやくエンジンも低速域に落ち着いてきた。
いや本当のことを白状してしまえば、以上のことはすべて来春四月からの老夫婦だけの生活のことを考えると気が滅入り、それを何とか払いのけようとの苦肉の策と言えないこともない。でも介護の必要な家内ともども取り残される(もっときつい表現があるがそれは避けよう)と考えたら暗い方に思いが傾きがちだが、しかしこれを逆手にとって、これからは誰に気兼ねすることもない楽しい老後が待っている、と考えるべきだと思い直し、ようやく元気が出てきたところなのだ。
それにあと十日もすれば東京から一人暮らしの旧友が遊びに来てくれる。彼はばっぱさんとも友だちだった人で、職場も私と同じだった時代があり、何度も喧嘩や仲直りを繰り返してきた友だ。日本に帰化したとはいえ身寄りの無い日本で…いやいや、あとは彼本人にも言っていない提案だから、何か具体的な線が出てきたときに改めてご報告しよう。
ともかくどうせ死ぬなら面白い(?)最後にしたいと願っている。先日サンプラスイチ語学塾のときにも触れたことだが、広いだけは広いこの陋屋の有効利用のことも続けて考えている。たとえば日本語や日本文化を勉強したい韓国とかスペインの若者二人くらいに自炊してもらって、私からは日本語や日本文化、あるいはスペイン思想(?)の講義を受けるが、彼ら、あるいは彼女たちも、こちらの若い人たちにハングルやスペイン語を教えてもらう、というのはどうだろう。写真家のチョン教授やソウル大学の金教授に、あるいはマドリードのるみさんやエバさんに適当な若者を紹介してもらえるかも知れない。期間は一週間ぐらいの短期から最長一年くらいの長期を考えている。
いまは妄想段階だけれど、でもぜひ何とか実現にもっていきたい。この一種のホームステイ、つまり外国から好学心に燃えた青年たちを迎えて一緒に暮らすなんてことは、私たち夫婦だけでなく一人あるいは二人暮らしの他の老人たちにもできるに違いない(そしてこれが日本の若者たちにも老人たちとの共生を考え直すきっかけになるかも知れない)。震災後、東電の補償金などもらって当然の金ではあるが、これが皮肉なことにこれまで曲がりなりにも三世代同居を続けてきた家庭に核分裂のきっかけを与えたことも否定できない。もちろん地元に適当な仕事口がないという口実もあるだろうが、そうでない場合でも補償金のおかげ(?)で核分裂がどんどん進んでいる。それこそ家庭(内輪)の問題なので報道されることはないが、これが被災地の抱える深刻な問題の一つであることは間違いない。でも突き放した言い方すれば、もともと核分裂するようなもろい絆だったからと言うべきかも知れない。
さらに言うなら、核家族という言葉が既にして死語であるように、ことは被災地だけでなく日本全土に広がり定着している現実であろう。これまで何度も言ってきたように、大切なもの価値あるものは愛がそうであるように育み維持するには厄介で面倒なものなのだ。これまでの家や家族のあり方を徹底的に壊してきた日本の行く末、つまり列島改造で加速された「更地の思想」の一つの結果でもある家族の核分裂の行き着く先の不幸に気づき、失ったものがいかに大きかったかを後悔するのは、まだまだ何世代も先のことかも知れない。
まっ、その前におさらばする私としては、『霧』再読をきっかけにスペイン思想研究を再開し、そして家庭環境の変化や喪失感に気をとられることなく、残された日々を楽しく有意義なものにすることに専念しようっと(と、一応軽く言ってみたりして)。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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十日前の九月二十九日がウナムーノの生誕百五十周年ということで先生が『霧』を読み始められたのかと想像しています。その日はセルバンテスの誕生日でもあり、ドン・キホーテを挟んで何かの暗合を感じています。ドン・キホーテのこの世での本当の敵は自分自身の心の中にある慢心や怠惰の心、妬みだったんでしょう。ウナムーノのいう「内部へ」はそういう人間の内面性に宿っている妄想を払拭して、本来人間が持っている良心への覚醒なのかも知れません。今の日本人に必要なものは、西洋文明を模倣してきて足りなかったもの、それこそがスペイン思想だったんじゃないかと私は感じます。