しまらない締めの言葉

 とうとう、と言えばいいのか、いつに間に、と言えばいいのか、大晦日である。実感としては後者である。このところ文字通り眼が回るように忙しく日を送ってきた。美子の夕食の介助を終えてほっと一息つくときには疲労困憊。しかしこうして次々とやらなければならないことが連続しているおかげで、生活の「張り」を感じているというのも事実。その意味で、美子に支えられて生きている、というのが真実。これは痩せ我慢をしているわけでも、誇張しているわけでもない。おかげでギックリ腰にもならず、風邪も引かずに年を越せそうだ。

 午後、買い物に出たついでに量販店の入り口でしめ飾りを買おうとしたら、午前中で販売は終っていた。なるほど、こういうものは買い時というものがあるらしい。今年は夫婦二人だけだからいいか、と思ったが、だからこそしっかり飾りたいと思い直し、野菜・果物を専門に扱う「南国屋」に行ってみた。そこにはいわゆる伝統的なしめ飾りではないが現代風の小さな飾り物があった。仕方がない、今年はこれを代用することにしようか。小さい割には少し値が張ったが、まっ縁起物だ、仕方あるまい。

 しかしいつものスーパーに寄ってみると、なんと店内にまだ売っているではないか。しかし二つもいらない。それでおもちゃみたいなミニしめ飾りだけを買って帰宅。つまり今年はミニを玄関先の柱にぶら下げ、現代風飾り物を下駄箱の上に飾ることにしたわけだ。

 そろそろ夕食の準備を、と思ったちょうどそのタイミングで玄関のブザーが鳴り、出てみると岩橋君の奥さん・とし子さん。なんと手羽先でたっぷりダシをとったどんぶりいっぱいのおでんと、カボチャ・ベースのサラダを持ってこられた。さすが蕎麦の老舗・会津屋の味である。美子には悪いが、さっそくおでんを温かいうちにいただいた。

 昨夜は西内君の奥さん、今晩は岩橋君の奥さん、と申し合わせたわけではないのに、二組の友人夫婦からの美味しい差し入れである。以前書いたことがあるが、岩橋、西内、佐々木の三人は高校時代の同級生(西内君とは小六のときから)。2002年に八王子から帰ってきて間もなく、この三組の夫婦は毎月持ち回りで夕食会をしていた。両君の奥さん方はお料理上手なので、当方が当番に当たったときは自己流のパエーリャで誤魔化していたのも、今から考えると懐かしい。しかしその夕食会も岩橋君が体調を崩したり、美子の認知症発症などがあっていつしか途絶え、そして大震災。

 八王子での生活を切り上げて南相馬に戻ってきて嬉しかったことの一つは、こうして旧友たちと再会し旧交を温めることが出来たことである。人生の最終コースを共に走る、いやゆっくり歩くこと、これは気忙しい現代にあっての得がたい幸福、いや贅沢であろう。

 一年の終わりに当たって、以上、少なくとも感謝の気持ちになれたのはありがたい。今晩、美子もふだんより順調に食べてくれた。美子、来年も一緒に頑張ろう。

 どうぞ皆さんにとっても来る年が良い年でありますように!

※昨夜の文章中、大事な旧友の奥様の名前を間違えてました。くに子ではなく賢治の妹と同じとし子さんです。くに子さんは静岡在住の先輩の奥様の名前で、漢字でなく「かな」だとつい間違えてしまいます。いや、そろそろボケてきたのでしょう。
 こんなところで失礼ですが、皆さん、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。元旦、夜記。

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to しまらない締めの言葉

  1. fuji-teivo のコメント:

     澤井さん、ばっぱさんの命日を覚えていてくださってありがとうございます。実は私はすっかり忘れるところでした。このところばっぱさんの文集などを作っていて、毎日が命日のようなもので。とはちょっと弁解のし過ぎ。
     午後、健次郎叔父が例の明っかるーい声で電話をかけてきて、年末年始を娘さんのところで過ごして、いま帯広に帰るところ、と車を止めての電話。「たーちゃん、百歳になるの今から楽しみ」などと言ってました。九十七歳の現役ドライバー、それも北海道の雪道を走ってます。この叔父の元気さに見習いたいですね。それにしても十和田くんだりまで連れて行かれなければ、ばっぱさんだって今ごろ百二歳で……いや正月早々グチるのやめましょう。
     ともかく澤井さん、今年も元気で頑張りましょう!

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