もうひとりの佐々木孝

 昨日の午後、大きな茶封筒が論創社から届いた。本にしては薄手だから宣伝用のパンフレットでも入っているのかと開けて見るとさらに茶封筒。宛先は論創社「原発禍を生きる」著者 佐々木孝様とあり、下方に横浜の住所と佐々木孝の名が。ドッペルゲンガー現象? ちょっと警戒して、それをさらに開封してみると、もう一つ茶封筒が出てきた。今度の宛先は郵便番号975-0000 南相馬市原町区内 「原発禍を生きる」著者 佐々木孝様 となっていて、送り主はやはり横浜市の住所と佐々木孝。これには黒猫メールの「メール返送品」というラベルが貼ってあり、返送理由は「該当地名・番地不明」とある。そうだろう郵便番号が間違っているし、本の題名と名前だけで届く有名人ではないから。

 同封されている北海道新聞には、昨年六月、この同姓同名氏が函館市で行なった初めての個展のことが写真入りで報じられている。それによると版画を始めたのは都留文化大在学中だったが、その後教員生活に入って長らく版画からは遠ざかっていたそうだ。再度版画制作に戻ったのは、校長職にあった2004年に退職してからのことらしい。それにしては見事な作品群である。ふるさとの風景、そして幼少年期の思い出にまつわるさまざまな生き物や物たちが、時空を越えて作者の望郷と、ときには失われたものへの愛惜の念にまぶされて表現されている。

 表紙裏には白地図があり、作者のふるさと旧戸井村に赤い星印がつけられ、そこに肉筆で「青森県大門に稼動すれば20㎞範囲内のふるさとです」という黄色い小さな紙片が貼られてあった。そういえば、作者がもうひとりの佐々木孝を知ったのは『原発禍を生きる』を通じてである。手紙の中に「あの大震災の次々届く映像に、何度涙し、憤怒したことでしょう。冊子にも綴りましたが、私にできる細やかな表現が、この画集です」とあった。また記事にもあったように、「東日本大震災の映像を見て、【被災地の景色と古里が重なった。残すなら今】と、戸井に題材を求め」たそうだ。つまりこの連作木版画はたんなる望郷の念だけではなく、原発への怒りそして失われてゆく美しくも懐かしい自然へのレクイエムなのだ。

 二人の佐々木孝にはいろんな共通点が、いやむしろ不思議な符合がある。ふたりとも道産子、父方が共に会津の出自であることもそうだが、実は手紙の日付を見て驚いた。つまりその夏の日こそ私の誕生日であったこと、そして彼の小二のときの担任が佐々木美子先生であったことなどなど……たぶん探せばさらに符合の数は増えるであろう。

 とりあえずはメールでもと、奥付にあったEメール・アドレスにご挨拶を送ったが、正確に何度も確かめてアドレスを書いたのになぜか戻って来てしまった。乗りかけた舟とばかり、今度は電話をかけてみた。すると奥様らしき人が出て、すぐご本人に代わった。同姓同名の人と直接話すのは不思議な感じである。心なしか私の声質に近いと感じた。ともあれこうして知り合えたことの喜び、そして原発ゼロに向けて共に頑張りましょう、と互いにエールを送り合って最初の出会いは終わった。

 先日は画家の齋藤輝昭さんご夫妻と銅版画家の岩谷徹さん、そして今度は木版画家の佐々木孝さん、これに一昨年以来お友だちになったスペインのシシリアさんと、ここに来て素晴らしい芸術家たちの知己を得ることになった。嬉しい限りである。

 本当は木版画に添えての詩文なので、詩だけをご紹介するのはフェアーじゃないとお叱りを受けるかも知れないが、画の方は雪道を角巻き※姿の(太めの)老婦人が左手に手提げ、右手に杖を持った後姿を想像しながら、次の詩を読んでいただこう。  ※大きな四角の毛布でできた肩掛け。婦人用防寒具。

            母 “あっちゃ”

      「たかし、何食べる?」
      鮫の尾に足かけて
      固い皮剥ぐ母の手に
      鮫のハラスの酢ヌタが好きな
      ぼくを分かってマキリ※持つ。 
         函館行きのバスに乗り
         渡辺病院、吉田歯科と
         一日かけての夕暮に
         杖を頼りに帰宅する
         それでも
         「たかし、あまりカダクラ※になるなよ」と
         勤めの苦労を思うのか
         帰郷のたびに出る言葉。
     姉八人、弟一人
     一番遠くに住むぼくが
     母危篤に駆けつけて  
     一緒に泊った病院の
     息をひきとるその母に
     不孝を許せと泣いたっけ…
     「たかしは勲章ものだよ」と
     姉の言葉が救いになった。 
     ものみな生命の息吹にもえる
     一九九九年四月の春でした。

     ぼくの母“あっちゃ”です。

※マキリ=アイヌ民族によって用いられた短刀、もしくはアイヌ語より派生した、マタギを 始めとした日本の猟師に用いられている狩猟刀、または漁業従事者に用いられる漁業用包丁の名称
※カダクラ=堅物

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佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴って父祖の地・相馬(福島県南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」と題したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to もうひとりの佐々木孝

  1. 阿部修義 のコメント:

     人生の中で人との出会いほど不思議なことはないように思います。先生がモノディアロゴスの中で「萃点(すいてん)」ということを言われていたのを思い出しましたが、人と人との関わりにも萃点があるように私は感じます。それはその人の持つ根源的(価値)なものの共通性から無限に多方面へ広がっていくのかも知れません。岩谷徹氏のブログを拾い読みしていて、ふと、そんなことを私は感じます。

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