カルペ・ディエム!(この日を楽しめ!)/ ケセランパサラン(すべては為るがままに)※2012年3月27日公開

 

カルペ・ディエム!(この日を楽しめ!)/ ケセランパサラン(すべては為るがままに)



どこに消えたの銅の兄妹は
大揺れ広場の真ん中から
今は空しく台座が残る
北北東の風、放射線値0.38
ケセランパサラン、コモパサラン


テニスコートの球打つ音も
模型飛行機風切る音も
すべては消えていま公園は
風速2メートル無人の境
ケセランパサラン、コモパサラン


どこに行ったの私の友は
ねえまた元気に遊ぼうよ
きっとここなら大丈夫
この陽だまりで前のように
ケセランパサラン、コモパサラン


午後の広場のしじまの中で
幼い少女の歌声響く
赤いスカート風に舞い
そこで気取ってピルエット
ケセランパサラン、コモパサラン


笑い声が小鳥を招く
澄んだ声が花を咲かせる
そう、しっかりそしてまじめに
すべては少女の願いのままに
ケセランパサラン、コモパサラン

※第5連の「しっかりそしてまじめに」は亡くなったばっぱさんのモットーでした。
★「ケセランパサラン」の意味については、2012年2月14日に同名の文章を書いていますので参照してください。右の検索欄に「ケセランパサラン」と入れて検索すれば直ぐ出てきます。


【解説より】

 「カルペ・ディエム」は古代ローマの詩人ホラチウスの言葉。大震災後、その頃はまだ歩けた妻・美子と小高い丘の上にある夜ノ森公園を散歩していた時に実際に見た光景を歌ったもの。「しっかりそしてまじめに」は、震災後九十九歳で避難先の十和田で亡くなった亡母の遺言。
 『カルペ・ディエム』と『平和菌の歌』のリフレイン「ケセラン・パセラン」は十六世紀、スペイン人バテレン(神父)によって発せられた「これからどうなる? 事はなるようになるさ」ほどの意味であると同時に、白粉(おしろい)を食べて生きるという綿毛に似た謎の生物を指す。
 しかし禁教令の布かれた当時の日本の絶望的な状況での言葉として、「最悪の時代だが、ここで諦めず、不退転の覚悟をもって自分らしく力を尽くして生きよう」との意味になる。私はこのメッセージの結晶体であるあの不思議な生物(胞子)を「平和菌」と名付け、核兵器であれ原発であれ核の無い世界構築のため、世界中に拡散させたいとの願いを歌にこめた。
 またこのケセランパセランは、アメリカの人気作家カート・ヴォネガットが作中しきりにつぶやく“So it goes”とも、そしてあのビートルズの“Let it be”とも不思議な共鳴音を発している。
 そして平和菌誕生と同じころ、スペインでは文豪セルバンテスがドン・キホーテを世に送り出した。この憂い顔の騎士は平原に屹立する風車に向かって果敢に闘いを挑んだが、それはオランダ由来の、当時の科学技術の最先端をゆく風車の中に、以後現在まで人間社会を骨がらみに冒してきた物神化された科学、つまり巨人を認めたからである。
 サンチョもそして私たちも「あれは巨人ではなくただの風車だ」と彼を物笑いの種にするが、しかしそう言い切ること自体、物神化したバケモノ(科学技術の盲信)が私たちの精神深くに棲みついていることを逆に証明している。
 十六世紀スペインの風車は、現代ではこの火山列島のいたるところにその威容(異様)を誇ってきた原子力発電所である。
 私たちは原子力の平和利用という美名に騙されてきたが、その廃棄物は何十万年ものあいだ毒性が消えないまま地中に埋められ、次世代にとてつもない負の遺産を残していく。
 したがって平和菌の拡散は、原発そしてそれと同根の核兵器の廃絶、究極的には世界平和の構築へと向かう静かで確実な挑戦であり、本書の発行元「呑空庵」の名はドン・キホーテ(DQ=呑空)の前線基地を意味している。