差別と言い換え

先日、知り合ったばかりの或るスペイン人(セビリア在住)へのメールに、家内はスペイン語では何と言うかは知らないけれど認知症を患っており、と書いた。日本語が少し分かる人なので、その部分だけ漢字を入れ、その横に「認識能力の病」と説明した。するとその返事に、それはデメンシア(痴呆)と言います、と書いてきた。私もスペイン語は少しは分かるから、痴呆がデメンシアと言うことは承知していたが、こうまではっきり言われていささか面食らったというか、正直なところあまり気分は良くなかった。
 日本でも「認知症」という言葉は最近使われ出した言葉だと思うので、ウィキペディアを調べると、こうなっている。

「認知症(にんちしょう、英: Dementia、独: Demenz)は、後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が低下した状態をいう。これに比し、先天的に脳の器質的障害があり、運動の障害や知能発達面での障害などが現れる状態は、知的障害、先天的に認知の障害がある場合は認知障害という。犬などヒト以外でも発症する。
 日本ではかつては痴呆(ちほう)と呼ばれていた概念であるが、2004年に厚生労働省の用語検討会によって「認知症」への言い換えを求める報告がまとめられ、まず行政分野および高齢者介護分野において「痴呆」の語が廃止され「認知症」に置き換えられた。各医学会においても2007年頃までにほぼ言い換えがなされている(詳細については#名称変更の項を参照)。
 <認知症>」の狭義の意味としては「知能が後天的に低下した状態」の事を指すが、医学的には「知能」の他に「記憶」「見当識」を含む認知の障害や「人格変化」などを伴った症候群として定義される。」

 なるほど2004年から2007年にかけて言い換えが進めらたわけだ。実は私は、そのスペイン人に、これと似たような言い換えがスペインでもあるのかな、と軽い期待を込めて聞いたわけだが、予想通りどうもそんな動きはないらしい。
 私には全盲の教え子との付き合いで、障害者問題に初めて目を開かれた過去がある。といって日本の障害者問題を本気に勉強したことはなく、ただこの教え子の体験を間近に見ることによって、問題のごく限られた部分が辛うじて見えてきただけである。そのうちの一つは、日本では障害者を指す言葉に対しては実に神経質で、時に行き過ぎが見られるほどだが、しかし言い換えによって差別が減るわけでも、障害者にとって住みやすい環境が整備されてきたわけでもないということだった。むしろ差別が表面から見えなくなるだけで、障害者とってはあからさまな差別を受けるよりも数段辛い差別が増えたと言ってもいい。
 盲人だけでなく、たとえば私は終戦後直ぐの小学一年生だったが、クラスには足の不自由な子、知能指数が極端に悪い子も当たり前のように一緒に勉強していた。もちろんいじめられることもあったが、しかしそんなとき必ずといっていいほどその子をかばう子、時に餓鬼大将自身がその子の庇護者を買って出ていた。いやその方が普通だった。
 そのうち学校経営の整備が進み、障害のある子はいわゆる特殊学級に入れられ、私たちの前から次第に見えなくなった。簡単に言えば隔離されるようになったのである。
 しかし全盲の教え子が盲導犬を連れて留学したスペインでは日本とは大違いだった。盲人は社会の前面に堂々と進出していた。そのいい例はONCE(スペイン盲人協会)という大きな組織である。この協会は宝くじクーポンを一手に企画運営し、その収益は盲人たちの福祉・救済資金に当てられている。彼らが街中で宝くじを売る光景は昔から町の風物詩になっている。
 日本だと先ず無理だろう。盲人たちが街角で宝くじを売るなんて可哀相で見てられない、というクレームがいっぺんに集まるだろう。果ては人権問題にまで発展するだろう。けれどもスペインの盲人たちは自分たちの働きで自立しているという強い誇りを持っている。けっして哀れみ・憐憫の対象ではないのである。
 要するに、日本社会は真綿で首を絞めるように障害者を扱っている。はっきり言えばおためごかし社会である。つまり盲人のためというより、<可哀相な>彼らの姿を見たくない、という、まあ言うなれば潔癖症で自己中心的な姿勢なのだ。
 さてずいぶんと大きな回り道をしてしまったが、結論を言おう。初め、痴呆を認知症と言い換えるようになったのは、日本社会の優れて繊細な対応であり、たとえば店員の丁寧な接客態度に見られるような、日本人特有の優しさではないか、だから諸外国もいつかは日本のようにデメンシアなどと露骨な表現をやめて、それぞれの方法で日本を見習って欲しいものだ、と思ったのである。
 しかし、である。先天的に脳に障害のある人と、後天的に障害を持った人を表す言葉を区別するのは、結局は生まれつきの痴呆と違って、たとえば私の妻の美子は運の悪いことに病気でこうなったんですよと言っているようなものである。しかし生まれつき脳に障害のある人だって、好き好んでそうなってるのではなく、後天的な人同様「運悪く」そうなっているわけである。ならことさら両者を言い分ける必要はないのでは。
 また結論から遠くなる。はっきり <当事者(の夫)> として言おう。確かに言い換えは新たな差別を作ることにもなりかねないことは認めるが、それでも<当事者(の連れ合い)>として、この言い換えはありがたいのだ。それは私自身が、その長所・短所ひっくるめての日本文化の中に生きてきたからであろう。でも諸外国も見習って欲しいなどと言うのは、余計なお世話で、それぞれのお国のそれぞれの対応を尊重することにしよう。
 ただ願わくは、従来のわが国のように、言い換えで問題をはぐらかしたり、内なる差別観をごまかすのだけはやめよう。運のいい人は運の悪い人にはいわば借りがあるわけで、隔離や排除ではなく、できる限り一緒に仲間として暮らすようにしよう。そういう社会になったら、たとえば川俣町の花火を放射能に汚染されてるから自分たちの町では打ち上げないで、などとおよそ非科学的な反応をしたどこかの県のおバカさんなどいなくなるかも知れない。もう説明する余裕はないけど、両者(差別する人とどこかのおバカさん)の精神構造はぴったり同じですから。
 そういう社会になったら、そういう国になったら、まっこと日本という国は、外面も内面も世界一優しい人たちの住む国、世界で一番住みやすい国、世界中の人から愛され尊敬される国になるでしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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