今日もテレビの話である(ヒマですなー)。一昨日だったか、何気なくつけたテレビで、日本と韓国の若者たちの討論会の様子が映し出されていた。両方とも30人ぐらいずついたであろうか。司会のアナウンサーと、ゲスト・コメンテーターに、映画「月はどっちに出ている」の監督・崔洋一、タレントのユンソナ、そして京都大学のなんとか准教授などが出ていた。
討論の内容は予想通りのものであった。つまりかつてないほどの密接な経済関係、文化交流のおかげで、両国は近くて遠い関係から、近くて少し近いものへと移行してはいるのだが、歴史認識ということになると、ほとんど変化がないほどの距離が両国を隔てているということ。
中国の場合と同じく、韓国でも日本との不幸な関係を含む近代史をしっかり学んでいるのに対し、相変わらず日本では無知のままだということである。菅首相の日韓併合百周年に際しての「談話」も話題に上った。野党のみならず与党の一部からも、こんなことを繰り返していたら、戦後賠償問題の新たな火種になるとか、安倍元首相あたりからの、執念深い「自虐史観説」やらが飛び出した。
日本人のかなりの層が、もう十分謝罪してきたではないか、なぜしつこく謝罪を求めるのか、と考えているようだ。これについてはこう言わなければならない。相手が謝ってもらっていない、と考えているその時点で、やはり謝罪はじゅうぶんなされていない、と判断しなければならないということだ。確かに村山談話など過去に何度か謝罪は口にされた。しかしその舌の根の乾かぬうちに、それを否定するような、あるいは水を差すような発言が地位ある人からなされ、あるいは戦犯の祀られている靖国神社参拝が繰り返されてきたのである。
またぞろ賠償問題が再燃するのでは、などという相手を小馬鹿にした、みみっちい、醜い心根の持ち主の品性を疑う。こういう態度を見せ付けられて、謝罪されたと思う人間などどこにもいないはずだ。
ではいつまで謝罪しなければ、いや口先だけのことではなく、心の底からの反省と謝罪の気持ちを持たなければならないか? そんなこと答えるまでもない、相手がもうじゅうぶん謝ってもらったから、もうそのことは言わないで、と言われるまでである。もうどこかで言ったことだが、実際に精神的・肉体的な苦痛を受けた人たちが一人もいなくなるまで、つまり優に百年はかかるであろう。しかしそれは前述のような、相手の神経を逆撫でするような暴言や妄言が繰り返されない場合のことであって、そんな無反省の言動がむしかえされる度に、際限なく謝罪の実を示さなければならない時間は延びてゆくと覚悟しなければならない。
これを自虐というのか? とんでもない、これこそ人間の尊厳と誠実、そして真の自尊心を示す絶対の条件なのだ。つまり謝るという最も人間的な行為の一つは、謝られた方が「謝ってもらった」と感じて初めて完了するのだ。
もう一つ。日本人の若者の一人が、併合と言うのは両国が合意の下にしたことなのだから謝る必要はないのでは、などという暴言を吐いたとき、崔監督が客観的な歴史を歪曲する者に歴史を語る資格はない、と厳しくたしなめた。すると京都大学の何とか准教授は、だれでも自由に歴史を解釈する権利はあるのだから、そのように発言そのものを封じることはできない、とかなんとか宣うた。
そうかな。何の強制力もない崔監督に、その馬鹿な若者の発言を封じることなどできるわけがない。しかし、その若者に向かってはっきりと君の意見は間違ってる、もう少し真面目に歴史を勉強したまえ、と年長者として一喝することは全然まちがっていない。むしろそうすべきだ。准教授、助教授という呼称から准教授へと変わったのは、私が現役を退いてからのことだが、いるんだよなー若い研究者や討論ボケの連中に、彼のように議論のための議論を楽しむ(?)連中が。「もちろんキミの意見にも一理ありますが、しかし…」。世の中には一理もクソ(失礼!ヘチマのことです)もないただの愚論もあるんですよ。
なんだか私の方が興奮してきました。でも暑いっすなー今夜も、いつまで続くこの暑さ!
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
- 嬉しい話のてんこ盛り(その二) 2018年12月7日
- 敗残の兵と西瓜 2018年12月2日
- 嬉しい話のてんこ盛り 2018年11月27日
- 呑空庵西漸(せいぜん)す 2018年11月25日
- おや、こんなこと書いていた 2018年11月24日
- 勘違いの連鎖(その2) 2018年11月19日
- 美子、金婚おめでとう! 2018年11月16日
- 柳美里さんからのお知らせ 2018年11月16日
- 呑空庵福島支部誕生 2018年11月13日
- ちょっと嬉しいお知らせ 2018年10月30日
- 景気の悪い近況ご報告 2018年10月26日
- 紫陽花色のソックス 2018年10月15日
- 平和構築のための強力な布陣 2018年10月12日
- 累計2,300人!!! 2018年10月8日
- 戸嶋靖昌「受難」 2018年10月3日
- 思いがけない再会 2018年9月29日
- 近況ご報告 2018年9月28日
- まるで青年 2018年9月16日
- 再度のお誘い 2018年9月16日
- 我らのモノディアロゴス君 2018年9月11日
- プライバシーという魔物 2018年9月6日
- お知らせ 2018年9月3日
- トロイの木馬 2018年8月28日
- メディオス・クラブについて 2018年8月22日
- 「焼き場に立つ少年」報道異聞 2018年8月18日
- 偉い坊やがいたもんだ! 2018年8月16日
- たまには写真でも 2018年8月12日
- あゝ腹立つー 2018年8月9日