ペンは剣よりも弱し

テレビや新聞を見ると、ここに来て反戦の波が地球規模で広がっているようで、家の中でじっとしている私としては、涙が出るほど嬉しい。政治家や利権屋や評論家などより、民衆の方がずっとずっと目覚め成熟しているということであろう。そして調べたわけではないが、こうした同時多発的反戦運動の広がりにインターネットの普及が大きくかかわっていることにも疑問の余地がない。
 参加しようにもデモそのものがない田舎に住んでいるから、などという言い訳はすまい。デモがあったとしてもたぶん参加しないかも知れぬ自分に対して忸怩たる思いはある。引け目といってもいい。それでなんとか他人や自分自身に対して申し開きをしようとする。時には開き直って、デモに参加するより自分は書くことによって、それなりに平和のために闘っているんだ、と。つまり「ペンは剣よりも強し」というわけだ。
 でも正直に言おう、ペンはけっして剣より強くはないのだ、と。握りこぶしやナイフや、自動小銃やミサイルに比べるなら、これほど無力なものはない。だが……いや、やっぱり太刀打ちできない。しかしながら、それでもなお、したたかさにおいて拮抗する可能性はある。そして時限爆弾のように思いもかけぬときに、思いもかけぬ場所で、自ずと発火点に達して爆発し、それからは燎原の火のように一気にその力を発揮することもないわけではない。あるいは炭疽菌のように、便箋や古い書物の黄ばんだページの隅にじっと「その時」を待つこともある。この「平和菌」は、デモ参加者や活動家が疲れて眠っている時も、その増殖活動をやめることがない。自己嫌悪や無力感や、それでも消えない希望や期待から滲み出る「平和菌」は、いじいじしていて、断定口調で話すことはめったにない。いや、ないと言ってもいい。ウナムーノじゃないが、「平和、平和、平和」(スペイン語ではパス、パス、パス)と蛙のように連呼することの空しさを知っているからだ。
 だから演台の上から「平和菌」をばら撒くより、さり気なく挨拶と用件の間にまぎれ込ませた方が効果的かも知れない。相手の目を見ながら正面切って渡すより、眼はあらぬ方を見ながら、すれ違いざま相手の胸元にすとんと落としてやる方がいいかも知れない。
 要は、ラマーズ式呼吸法を習得しようとする妊婦のように、「平和菌」をひり出すための呼吸法を忍耐強く、不退転の決意で日々実践することである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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