新・大衆の反逆

Kさん、この度は拙著『スペイン文化入門』のご感想など、出版社気付で送ってくださりありがとうございます。昨日、竹内社長さんから転送してもらいました。これまで未知の読者からこのような懇切丁寧な感想が寄せられる経験などめったになかったので、大変嬉しゅうございました。感想だけでなく気の付かれた誤植などのご指摘も痛み入ります。幸い(?)すべて索引・ミニ事典に関してのものでしたので、さっそく編者の碇さんにも転送しました。めでたく再版になるようなことがあれば、ぜひ訂正させていただきます。ただし Maeztu に関しては、従来からマエストゥと表記されてきたもので誤植ではありません。
 ともあれこれまでKさんの実体験に裏付けられたラテン気質についての貴重なご意見も興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。ところでその最後にオルテガに高評価を与えている著作として、小室直樹の『新戦争論― “平和主義者” が戦争を起こす』を挙げられ、この著者が誠に興味ある人物であるとコメントしておられます。「興味ある」ということが奈辺を指しておられるのか分かりませんが、彼に関してちょっとだけ私見を述べさせていただきます。
 実は小室直樹という人物について、いちど調べたことがあります。たぶんご指摘の著書に関して、つまり戦争論をめぐってであったと記憶しています。ただその折り感じたのは、戦争は国際紛争解決の究極的な手段であるから、戦争に代わるものを作り出さない限り戦争はなくならない、といったオルテガの主張の、その前段を誇張することによって、オルテガの思想をかなり恣意的に利用しているといった感想を持ちました。こうした傾向は小室直樹だけでなく、例えば三島由紀夫などにも見られます。詳しくは覚えてはいませんが、戦争をしない軍隊は軍隊ではない、といったかなり過激な解釈を施して、現代思想家のうち信用できるのはオルテガだけだと礼賛してました。
 それとはちょっと違った文脈ではありますが、オルテガの『大衆の反逆』を換骨奪胎(したと自負?)して『大衆への反逆』を書いた西部邁についても言えます。つまり高みから大衆を見下ろすという貴族主義的なところに共鳴し、オルテガ思想の一側面を拡大解釈して自論を展開するといった傾向です。でもスペイン人オルテガの貴族主義は日焼けすればその下から庶民が顔を出す態の貴族、逆に言えばゴヤの「裸のマハ(下町の小娘)」のモデルが実はアルバ公爵夫人だったように、もっぱら精神のあり方を意味していて、自宅の庭にロココ風の装飾を施して悦に入っていた三島流の貴族主義とは違うように思います。
 しかしオルテガ曲解はなにも日本に限った現象でありません。本家本元のスペインでも、かつてファランヘ党(ファシズム政党)の創始者ホセ・アントニオがオルテガの政治思想をたくみに取り入れて、その全体主義的体制を補強したことは有名です。オルテガがこうした趨勢に抗して長らく亡命生活を余儀なくされたにも拘わらず、です。
 もともとオルテガには右翼思想に利用されやすい側面があったと言えなくもないのでしょうが、しかし彼の思想をその出発点から辿ってみる限り、それは悪く言えば曲解、良く言っても部分的な拡大解釈だと言わざるを得ません。私個人のことに絡めていえば、そうした表面的なオルテガ像でいちど残念な経験をしたことがあります。もうかなり昔のことですが、或る大出版社から『大衆の反逆』翻訳の打診があったときも、その会社の編集会議のようなところでオルテガ右翼説(?)が出てきたらしく、結局その話が流れるということがありました。
 実はその後、別の出版社が企画した世界思想全集の一巻にオルテガが入ることになり、彼の他の作品と一緒に『大衆の反逆』の翻訳に改めて着手したこともありましたが、今度はその出版社が倒産してしまい(その後その出版社は【新】を冠して再出発しましたが)これまた頓挫しました。『大衆の反逆』翻訳の紆余曲折に触れたので、更に補足しますと、その後、また別の出版社の新訳文庫から依頼されて翻訳の見直しを始めたのですが、編集者と肌が合わず(?)難航しているときにあの東日本大震災に遭遇、思いもよらぬ原発事故被災者になってしまいました。それ以来その出版社から連絡が途絶えたことをいいことにこちらからも一切の関係を絶って今日に至っております。
 しかし捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったもので、今度は別の出版の可能性が出てきましたが、それにはスペイン政府機関の助成が前提となっており、昨年、一応申請はしましたがその結果は未だに届いておりません。何冊か既訳があることもあって、たぶん駄目だったのかも知れません。こうなれば残り少ないわが人生、いざとなれば私家本で出そうか、といまは開き直っています。
 余計なことをだらだら書いてしまいましたが、しかし今回Kさん宛てのこの手紙にも実は深く関係していることなので、つい筆がすべったわけです。というのは、今回の『大衆の反逆』には本邦初訳の「イギリス人のためのエピローグ」を加えたのですが、それが平和主義についての論考だからです。つまりまだ解説を書き出してもいないのですが、彼がそこで展開している平和主義批判をどう読み解こうか、少し思い悩んでいるところだったのです。ですから小室直樹の新装版の副題が「“平和主義者” が戦争を起こす」となっているのを見て、またか、と思った次第です。
 大袈裟に言えば、事はオルテガ解釈にとどまらず、残り少ない私自身の時間の中で、なんとかおおよそでもその道筋を考えなければならないテーマ、すなわち核兵器を含むあらゆる核利用の廃絶のための闘いにも深く関係しているからです。
 でも国際政治にも政治論にもまったくの素人なので、どこから手をつけたらいいのか。しかし原発問題に対する私の基本姿勢を反戦論にも貫くしかないのでは、とは思っています。つまり塚原卜伝流に無手勝流に、と言えば格好のつけ過ぎですが、要するに素人は素人なりの真っ向勝負を挑もうと考えています。最近、そうした私の考え方に近い二人の先輩を見つけて意を強くしています。一人は御年百歳ながら未だ矍鑠として戦争撲滅のために奮闘しているむのたけじ翁、もう一人は今年三月までウルグアイ大統領であったホセ・ムヒカさんです。両者に共通しているのは、そのメッセージが実にシンプルなことです。正戦は果たしてありうるか、とか、原発の安全は将来可能か、などの議論には深入りせず、単刀直入、ズバリ本筋に切り込んでいるところです。
 話は急に飛びますが、今朝のネット新聞(日ごろから実に右翼的傾向で有名なサンケイ新聞)に小泉進次郎の農林部会長起用に関するこんな記事が載ってました。
「…高村正彦党副総裁は10月下旬、党本部ですれ違った小泉氏の腕をつかみ、副総裁室に招き入れた。高村氏はかねて、小泉氏が復興政務官在任中に安全保障関連法をめぐり、政府や党を批判したことに強い不快感を抱いていた。
高村氏は「政府と党が共闘している最中に、政府の立場にある者が後ろから味方に向けて鉄砲を撃ってはならない」と指摘。「本当に国民を安全にしたいと考えるなら、世論と同じレベルで動いたのではプロの政治家とはいえない。単なるポピュリストだ」などと切々と諭した。」
 いちど権力の座に座ると、民意に耳を傾けようとする者をポピュリスト呼ばわりするという昨今の体制派の汚いやり方です。この伝でいくと、安保法制成立阻止を目指して今夏、国会周辺のみならず全国的にデモを展開した国民運動など無視すべきであるということになり、事実政権与党はそう判断してひたすら沈静化を狙っています。ポピュリズムとは、もともと19世紀末に農民を中心とする社会改革運動で、政治の民主化や景気対策を要求したアメリカやヨーロッパ、ロシアの民主化運動の総称でしたが、いつのまにか「大衆迎合主義」という一点に収斂して使われるようになりました。
 しかし繰り返しになりますが、真剣に民意を探り、それに誠意を持って応えようとしない政治家とはいったい何者なのでしょう? 質の劣化著しい政治家たちの傲慢さ、識見の無さは目に余るものがありますが、その彼らが、これまで政治に無関心であった(よく言えばそうであり得た)多くの国民の初めてと言っていいような意思表示を無視するだけでなく、それを見下すとは滑稽以外の何ものでもありません。
 半ば公開の私信とはいえ少々話が長くなりましたので、そろそろまとめに入りましょう。要するに私が言いたい、そしてこれからの方針としたいのは、オルテガ『大衆の反逆』の西部流換骨奪胎ではなく、まさにオルテガ思想の入魂作業、と言えばちょっと大袈裟ですが、つまりは彼の大衆論の新たな解釈そして展開です。いや新たなと言うより、もともと彼の大衆論に内在した大衆、すなわち彼が鋭く批判した大衆人(hombre-masa)ではなく、スペイン文学・思想の真の主役であった庶民・一般大衆の復権です。言うなれば「大衆への反逆」ではなく「目覚めた大衆の悪政に対する反逆」です。
 『大衆の反逆』を読む者が先ずぶつかる問題は、ところで私自身は果たしてここで批判の対象になっている大衆なのだろうか、それとも選ばれた少数者なんだろうかという素朴な疑問です。三島由紀夫や小室直樹、そして西部邁などは自らを大衆とはっきり一線を画した選良と自負しているようですが、私自身はそこまで自分を買い被るつもりはありません。著書などその一冊も読んだことの無い今は亡き小田実ですが、彼の言った一つの言葉だけは大賛成です。人間みんなチョボチョボナや、です。
 要するに私が目指したいのは、大衆への反逆ではなく、戦争や原発依存などひたすら亡びの道に進もうとするあらゆる動きに対する目覚めた大衆の粘り強い反逆です。原発など核エネルギー利用や戦争に対して反対を表明すると、それは単なる感情論と言われることがよくあります。単なる感情論? 上等じゃないですか。理性は大きく間違えますが感情は間違っても大きくは間違えません。単なる厭戦? 厭戦のどこが悪いのでしょう、敗戦のあと私たちの先輩はどんな理屈を並べられようと、もう戦争はこりごり、と心の底から思いました。原発事故のあと、私たちはどんな生活の利便より、父祖の残したこの美しい自然を汚すような核の利用はもうまっぴら、と心底思ってます。理屈など犬に(ブタでしたっけ?)喰われちまえと思ってます。
 原発推進を画策する人たちは、どうぞ自分たちだけで住める無人島か人工島でも造って、そこでどんどん稼動させればいい。どこに住めばいい? もちろん今まで口がすっぱくなるほど言ってきたように、推進論者の政治家、電力会社のお偉方は全員家族同伴でその島に移住してけつかれ!おっと下品な言葉を使いました、お住みくだされ!と思ってます。
 おやおや話はどんどんエスカレートしそうなので、この辺でそろそろやめましょう。初めてのお便りなのに、思わず長話になってしまっただけでなく、どうやら尻切れトンボになってしまいました。でもこれに懲りずときどきはこのモノディアロゴスや母屋の『富士貞房と猫たちの部屋』を覗いてみてください。それからオルテガについて興味がおありでしたら、『すべてを生の相のもとに オルテガ論集成』という私家本もありますのでどうぞ。
 最後に、もう一度、ご丁寧な感想文をお寄せくださいましてありがとうございました。今後ともどうぞ宜しく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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