突然の時局放談

午前中は昨日のように曇り空で、この時期にしては涼しすぎるくらいだったが、午後いつものようにばっぱさんを訪ねた頃から急に薄日が差し始めた。こんなときにまっすぐ家に帰るのは惜しくなり、急遽、新田川河畔に行ってみることした。昨夜来の雨のためか、少し水位が上っており、濁った川面には鴨の群れはいなかった。途中、下水処理場前のコンクリートの堰の上に大きな海鳥が一羽じっと動かずに川面を見ていた。
 ところでその堰の入り口のところに、見るたびに不快になる、というかぞっとするものが眼に入る。たぶん水量を調節する舵のようなバルブに関係者以外が近づかないための仕掛け、大きな鐡の輪から十本ほど突き出ている槍状のものである。それが関係者であってもいい、だれかがそこを越えようとして手を滑らすかしてバランスを失ったとたん、その切っ先鋭い槍は避けようもなくブスリとその関係者の胴っぱらを貫くであろう。危険防止の意味で設置したはずだが、これでは過剰防衛どころか、はっきりした殺意を感じる。もちろん設置者の殺意ではなく、その鋼鉄の槍そのものが持つ殺意を。
 時おりお屋敷町を散歩などすると(といって幸いわが町にそんなお屋敷町は存在しないが、以前住んだことのある世田谷区などの)、広大な敷地を守るため、高い塀の上にやはり鋭い切っ先を上に向けたものが続いているのを見かける。泥棒の侵入を防ぐためのもでのあろうが、見るたびに不愉快な、というより腹立たしい気持にさせられる。てめーのくだらねー財産が人の命より尊いのかよー、って気持です。
 いつものように前置きが異常に長くなったが、本当に言いたかったことは、実は最近のニュース、つまり沖縄・尖閣諸島沖で起こった中国漁船の衝突事件のことである。回りくどい議論はやめて結論から言おう。衝突事件のあとの両国政府の反応がどちらも実にお粗末。終始居丈高な態度をくずさなかった(特にあの女性報道官)中国政府も大人気ないが、国内法で粛々と対応すると言いながら、腹を決めないままにずるずると事件を引っ張って、最後に腰砕けになった日本政府もみっともない。
 最近とくに思うことだが、どこの国の政治家も小粒ぞろいだということである。問題が表面化する前に、もちろん表面化した後でも、事態を冷静に大局的に判断し、必要とあらば独自のルートを通じてでも、相手国のやはり肝の据わった関係者と差しで事態収拾をはかれる大物政治家の不在である。かつて故鄧小平氏は、尖閣諸島問題について「十年棚上げしてもいい。われわれの世代の人間には知恵が足りない。次の世代はわれわれよりもっと知恵があろう」と語ったそうだ(本日付、朝日新聞・編集委員・薬師寺克行の「難しくなる中国づきあい」)。
 ところがその鄧小平氏の期待も空しく、次世代の政治家は小粒だけでなく知恵も足りないときている。前原大臣は「先覚諸島に領土問題は存在しない」と言ったが、現に問題があるから事件が起こったのである。領有権などというものは、実はまことにあやふやなもの。日本は、明治時代にあの諸島が誰の領土でもないと確かめて自国のものとしたが、海底油田の存在が明らかになると、今度は中国や台湾がそれ以前の文献を持ち出して領有権を主張する。国を越えるより上位の機関が、ゆるぎない判定を下して、領有権を確固不動のものとしてくれるならいいが、国際連合にしても、世界の警察を自認するアメリカも、尖閣諸島の領有権は日本と中国がよろしく話し合えと匙を投げている。
 ただこの問題を尖閣諸島という個別の問題から離れて、もっと広い、あるいは歴史的な視野から見てみるなら、世界中いたるところで領有権問題はくすぶっているのである。いやこれまで繰り返されてきたすべての戦争は、まさに領有権をめぐってのものであった。たとえばパレスチナ問題。第二次世界大戦後、それまでパレスチナ人が住んでいた所に、アメリカを中心とする西欧諸国が強引にイスラエル国家を割り込んだからだが、以後両者にとって悲しくも残酷、しかし結局は愚かしい限りの泥沼と化してしまった。
 つまり「粛々と国内法で処理する」というのはあくまで日本側の言い分で、中国からすれば、そのこと自体、中国の主権を否定するけしからぬ論法に聞こえるわけである。さて先ほどは「回りくどい議論はやめて結論から言おう」などと言いながら、いつのまにか回りくどい話に陥ってしまった。今度こそ結論を言おう。すぐにとは言わない、いずれもっとも適切な時期と方法をもって、日本は北方領土も尖閣諸島も、つまり領土問題化しているところの領有権をすべて放棄する。その代わり、そこを当事国双方が共同管理する特別区とし、そこから得られる地下資源などは両国で折半することを約束させる。そしてその特別区は両国友好の眼に見える証として、人的・文化的交流の場として大いに活用する。
 もちろん、そこまで持っていく過程では、それこそ真の意味で毅然とした態度を絶対をくずすべきではない。つまり相手国が己れを省みて恥ずかしくなるほどの毅然とした態度で臨むべきである。そういう役を果たすことのできる政治家が一日も早く出てくることを願わずにはいられない。
 それは私たちの後に続く若い世代への何よりの遺産となるはずである。戦争反対、平和憲法護持などと叫ぶ私たちでも、今度の問題が起こると、初めは静観していても、相手がさらに自国の権利を主張するのを聞いて、甘くみるなよ、そう言うならこちらも毅然として(というのが今日本の政治家が使い出した言葉である)対抗手段に訴えなければ、と次第にエスカレートして行くのが眼に見えているからだ。
 八十年前の日本人も、たぶん初めは戦争などするつもりはなかったかも知れない。しかし列強の圧力や不当な扱いに「憤然と席をけって」次第に戦争への傾斜を深めていったのである。もういいかげん迷妄から覚めなければならない。つまり冒頭に触れたお屋敷町の塀のように、自分たちの縄張りを死守することは、実は究極的には己れの利とはならないことに気づくべきである。
 私たちの時代では実現は無理かも知れないが、いずれ今のような国家形態は機能しなくなる時代が来ることを信じなければならない。私の言うのは、今の国家形態を一気にくずそうなどと言っているのではない。領有権をめぐって対立している場所を、ひとまず実質的に無国境のものとすることである。何? 相手の領土となってしまうではないか? 分からないかね君、領有権などというものはいずれ意味がなくなる時代が来ると信じることだ。これが分からない奴に、我ら地球市民!などと言ってもらいたくない。地球上に真の平和が訪れますように、などと祈る善男善女が、いざ領土問題になると筋金入りの国粋主義者とほとんど変わらない愛国主義者になるのは、おかしいし、滑稽だし、いやそれ以上に恐ろしい!
 もちろん以上はすべて自戒をこめての発言なので、どうぞそこんところをよろしく!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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