一枚の葉書と一通の手紙


前略

 貴方の旧姓を見てぼんやりとですが貴女のことを思い出しました。ただそのX君なら、送ってくださったようなキワモノに引っかかるような学生でなく、Y大には珍しく鋭い知性の持ち主だったはずなのですが…
 ともあれお元気のようで何よりです。
 私の方は、週に一度ボランティアでスペイン語教室で教える以外は、時おり私家本を作ったり、ブログに書いたりのんびり暮らしています。もし貴女がインターネットをやられているのでしたら、一度私のホームページを訪ねてみてください。佐々木孝か冨士貞房で検索すれば出てくるはずです。
 せっかく本を送ってくださったのに、変な返事ですみません。もし読んでいただけるなら、お詫びがてら私家本さしあげますので、ご連絡ください。では。


前略

 お手紙どうもありがとう。ところで最初から言いにくいのですが、先日の私の葉書、舌足らずの文章でしたから無理も無いのですが、貴女は完全に読み違えたようです。あの本だけがキワモノというのではなく、私にとって貴女がご推奨の組織(あえて宗教という形容詞さえ省きますが)そのものがキワモノであるということです。貴女が「Y大には珍しく鋭い知性の持ち主」と記憶しているX君に間違いないと今でも確信していますよ。「鋭い」という言葉もその通りなのですが、その前の限定詞「Y大には」が曲者です。あらゆることに対して持つべき批判精神が大幅に欠如している他の学生たちに比べて、確かに「鋭い」のですが、私からすれば、「それでもやはりお嬢さん的甘さ」から抜けきれていない、と思ってました。宗教的な、というより人間の生き死にという大問題に関して貴女がいろんな疑問を持っていたことは素晴らしいのですが、しかし結局貴女のその「鋭さ」は中途半端だったのかな、と今になって思います。
 簡単に言えば、あなたの真面目さや批判精神がさらに深められる前に、手ごろな思想や宗教にころっと参ってしまったのでは、と思っているわけです。貴女も言っていたと思いますが、オウム真理教にはまらなくて良かったですね。でもその危険はじゅうぶんあったと思いますよ。
 と偉そうに、たとえかつての教え子に対してでも言い過ぎと思える表現を連発してしまいましたが、私の覚えているX君なら許してくれるだろう、と思いながら、もう少し書いてみます。私は、たぶんご存知のように、かつてカトリックの修道者でした。五年ほど修練したあと、この道は私の歩むべき道とは違うな、と思い還俗しました。Y大で教え始めたのはそれから数年経たあとでしたでしょう。Y大のあと、静岡の大学へ、そして最後はまたカトリックの女子大に勤めたわけですが、その間、人間学などを教えたりしながら、宗教についてもいろいろ考えてきました。しかしキリスト教に戻ったり、あるいはそれに代わるべき他の宗教を求めたりすることはありませんでした。白状すればいまだに結論は出ていません。しかし今後、キリスト教であれ佛教であれ、あらゆる既成宗教とは一切の関係は持つまいと思っていることだけは断言できます。
 それならあなたの宗教的立場は何か、と問われれば返事に窮するでしょう。ただ言えることは、人間が生きていくことの究極的な答えは、死ぬまで出ないだろう、しかしそれを問い続けることそれ自体が生きることであろう、と漠然と考えています。私の身内にはカトリックの神父がいたり(兄がそうです)、お坊さんがいたりしますが、私のこの考え方は、つまり迷いの境地は、矛盾した言い方ですが、今後とも変わることはないでしょう。
 このような考え方に到達したのは、もしかすると長年連れ添ってきた妻が数年前に認知症を発症し、その介護の日々(といってまだ大変ではありませんが)の中で、大袈裟に言えば一瞬一瞬がかけがえのない一瞬一瞬であることを確認しながら生きているからかも知れません。
 さて今日は(もしかすると貴女しだいではこれが最後になるでしょうが)この辺でやめます。あとは貴女に差し上げる私家本をぜひ読んでみてください。これは佐々木教への勧誘でも、ましてや大量発行の新たな宗教宣伝本でもありません。鶴の恩返しの鶴のように一枚一枚手織りで作った本です。どうぞその苦労に免じて、最後のページまで読んでください。その上で、もし何かおっしゃりたいことがあれば、どうぞお手紙ください。ただし「不幸の化学」の本は以後どうぞお送りくださいませんように。貴女のお便りと一緒に届いた「皇潤」(あと数日で九十八歳になる母親のために購入)の宣伝チラシの方が私には貴重だから、つまり私にはそれこそ「猫に小判」、「猫の耳に念仏」だからです。すみませんがそこんとこどうぞよろしく。

   七月二十六日

 X様

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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