27. 研究日誌余滴(1999年)


研究日誌余滴


◎某月某日
 かつてスペイン学の大先輩が、自分に残された時間のことを思うといまさら新しい研究書を買う気にもならないね、としみじみつぶやいたことがあった。なんと覇気のないことよ、とそのときは思ったが、自分自身がその頃の彼の年齢に近づいてみると、彼の言葉は別様に響いてくる。つまり身につまされる。しかしその彼がまだピンピンしている、という風の便りを聞くと*、いや待てよ、人間いつ死ぬかも分からないなら、むしろ最後の最後まで「現役」を退くべきではないな、つまり職業としての「仕事」からの引退は避けられぬとしても、「生きる」ことの現役からは引退すべきではないな、と思えてくる。もちろんこの場合、「生きる」ことの中には、それまで追い続けてきたことの追求・継続が含まれている。
 そんな気持ちで、台所の上に鉄骨を組んで作った浮き巣のような書斎の真中に坐って四方の書棚を眺めていると、スペイン思想研究者としてはどうしても一度は目を通しておくべきだったいくつか重要な書籍が目に入ってくる。天井近くの書棚で深緑の背表紙を見せているのは、アベロエスである。
 恥ずかしいことだが、スペイン思想研究者を名乗りながら、アベロエス(アラビア名イブン・ルシュド)については、スペイン・コルドバ生まれの最大のアラビア学者(1126~98)で、そのアリストテレス注釈によって西洋思想にも巨大な足跡を残したとだけしか知らないと言ってもいい。彼の著作は、私の知るかぎり日本語への翻訳はなされてこなかった(少なくとも平凡社の『哲学事典』[1971初版]にはラテン語訳以外には英訳本しか紹介されていない)。
 アラビア語原典、あるいはヘブライ語訳に近づける人は少ないとしても、ラテン語訳には相当数の人が近づけるスペインの場合でも、スペイン語訳ということなら日本と事情が大きく異なるわけではない。ところが最近、スペインで彼のアンソロジーが編まれた。今度の『選集』は、1998年(すなわち教祖ムハンマドがメッカからメディナに脱出した622年を起点とするヒジュラ紀元の1419年に当たる)が彼の生誕800年になるのを記念しての出版である。具体的には、「アラブ世界・地中海世界・発展途上国協力協会」とスペイン外務省、そしてエル・モンテ財団が、アベロエス委員会、アンダルシーア地方評議会の教育・科学・文科省、コルドバ大学、マラガ大学、そしてセビーリャ大学など諸機関の協力のもとに、ユネスコの後援を受けて出版したものである。もちろんこの生誕800周年は、他にもアベロエス関係の資料展示会や講演・研究会などがセビーリャ、コルドバ、マラガだけでなく、北アフリカのマラケシュやラバトで巡回で開催されたようだ。この構成・陣容だけから見ても、スペインがいかに地中海世界そしてアラブ世界と密接な関係のもとにその文化を作り上げてきたかが分かる。
 ところで『選集』そのものは、多岐にわたるアベロエスの作品の中から主に既訳のあるものをミゲル・クルス・エルナンデス[1920~、専門は中世哲学で、アラビア学にも造詣が深く、数多くの関係著作を発表している]が中心となって編んだものらしい。従来アベロエスの著作は120編とされてきたが、正確には、その中に祖父のものが数編、息子の一人の作品が2編、21編が実は同じ作品の繰り返し、そして3編が別の著者のもの。そして11編が実在しないものらしい。つまり彼の本当の作品は83編で、そのうち現存するのは72編、完全な形で残っているのは55編ということになる。もちろんこれらの作品といえども、アラビア語原典以外に、ヘブライ語訳とラテン語訳が混じっている。今回の選集も、それぞれの翻訳がどの言語からのものかが明記されている。
 多岐にわたるテーマ、つまり哲学者、法学者、さらには医者である彼の多方面の著作からアンソロジーを編むことは困難を極めたようだ。結局選ばれたのは、ガザーリ[1058~1111、イスラム最大の思索家の一人]の『哲学者たちの自滅』に対する徹底的な批判の書である『自滅の自滅』から、『眼の色に表われた兆候』という眼科学の小品にいたる26編である。
 ともあれ、現代世界において絶えず一触即発の危険な関係にある三つの宗教・文化が、すなわちキリスト教文化、ユダヤ教文化、イスラム教文化が、かつてのスペインにおいて平和裡にたがいの文化を競い合った時代があった、というのは夢のような話である(がしかし、パレスチナ問題やコソボ紛争などから、宿命論的に暗い未来しか思い描けないわれわれにとって、後ろ向きではあるが大いなる希望をかき立てる史実である)。

 さて、アベロエスの側にマイモニデス(別名イブン・マイムーン、1135~1204)の『迷える人々の手引き』(スペイン語訳)が鎮座まします。これはヘブライ学の権威ダビィド・ゴンサロ・マエソ(1902~)によって1982年に完訳されたものである。アベロエスと同じくコルドバに生を享けたこの最大のユダヤ哲学者の代表作がアラビア語で書かれたものであることを、今回初めて強く意識した。12世紀スペインがいかに3つの宗教・文化の深い融合の中にあったかが、この一つの事実だけからも実感できる。
 1925年夏、オルテガは「さすらいの夏からの覚え書き」の中で、この夏、マイモニデスについて、その故郷であるコルドバで講演するはず、と書いているが、予告はしたが実現はしないという彼の悪しきパターンの例にもれず、少なくとも全集で見る限り、マイモニデスについての講演という約束は果たさなかったようだ。それはともかく、今言いたかったのは、お膝元のスペインにおいてさえ、ユダヤ学、イスラム学は長らく少数の限られた学者たちの関心事にとどまっていたことである。これらユダヤ学、イスラム学を、「大いなる術(アルス・マグニャ)」をもってキリスト教の中に融合しようとした哲学者・神学者・詩人ライムンド・ルリオ(1235頃~1315頃)という大先達を持っているスペインにしてこの体たらくなのだ。
 ともあれ今年は、16世紀スペインのユダヤ系知識人たちの追跡調査の合間を縫ってでも、これら思想家たちの作品を少しずつ読み進めていきたいものである。

*息子注 2007年に亡くなられたようである。

「人間学紀要 6」1999年
東京純心女子大学人間学研究室