第三の隠喩 オルテガ哲学のかなめ石
(一)哲学と文体
オルテガの哲学思想が問題とされる時に、評者の意見が食い違う最初の箇所は、おそらく、彼の文体あるいは表現方法に関してであろう。ふつう文体とか表現の問題は文学に属するものであって、哲学それ自体にとってはさして重要でない、二義的なものだ、と思われている。深い思索を問題とする場合、文体など物の数ではない、というのである。だがはたしてそうだろうか。そのように言う人は、文体というものを、表現というものを、ひじょうに狭い、偏った意味で、つまり「美文」とか「詩内表現」というふうにとっていないだろうか。
「この文章はうまいが、内容はない」ということをわれわれはしばしば口にするが、しかしこれを良く検討してみると、矛盾あることばだということに気づく。そこには「ことばは単なる表現の手段にすぎない」という素朴な考え方がある。だが、「文章がうまい」ということと、「内容がある」ということとは、本来別々のものではない。すなわち、文章を作る、何万とあることばの中から、特にこの単語をこの表現方法を選ぶという行為のうちに、すでにその人の価値観、世界観が反映しているからである。つまり「それは作者が現実世界のなかで〈社会〉とのひとつの関係をえらびとる行為を意味する」(1) からである。そして、哲学というものが、その同じ現実界の根本把握を志す学であることを思う時、文体あるいは表現が、どれほど哲学それ自体にとって本質的なものか、が分かるはずである。だから、もし真に「うまい文章」なら、必然的に「うまい内容」があるはずなのだ。もちろん、誰か他人の表現を単に模倣して、一時的に「うまい文章」を持つことはできる。しかし、いつかは馬脚があらわれるはずであるし、眼のいい読者なら、表現そのもの、文体そのもののうちに偽者を見出す。
さて、オルテガ哲学の、いわばつまずきの石は、まさに彼の文章のうまさにあった。いわゆる哲学的な文章の持つ固苦しさ、無味乾燥さを捨てて、いわゆる文学的な、生きいきと豊かな表現をとったからである。彼の当時おかれていた状況が、その思想をいわゆる哲学的表現を通して発表することをゆるさなかった、という外的条件があったとしても、そしてこれは事実だが、しかしそれよりももっと大切なことは、彼の持っていた思想をいざ表現しようとする段になると、どうしてもあのような表現をとらざるを得ない内的必然性があったことである。しかしだからと言って、オルテガが自分の思想をことさらに文学的に飾ったり、あるいは曖昧な表現を使ったというわけではない。彼自身、このような意味での哲学の軟化を極度にいみ嫌い、警戒している。一九二四年「生命主義でもなく合理主義でもない」(2) の中で次のように言っている。
「漸進的に哲学に、言葉の持つ最も厳密な意味での哲学に近づいて行く以外の方法はない。……今までは叙情的な手段をもって哲学的な問題へと(人々を)導いていくことが必要だった……しかし今は第二歩を踏みだすべき時、そして哲学を哲学的に論ずべき時である……哲学は、精神的きびしさ、正確さ、そして抽象という空気を呼吸してのみ生きることができるのだ。」
オルテガは、文学者・思索家・理論家・科学愛好家たらんとめざしたのではない。そうではなくて、彼自身いささか気張って言ったように (3)、彼は生まれつきの、根っからの文学者・思索家・理論家・科学愛好家だったのである。
(二)隠愉とは何か
哲学にとって、特にオルテガの哲学にとって、いかに表現が重要なものであるかを舌足らずながら述べてきたわけであるが、さて彼の文章をもっと精密に見つめる時、われわれの前に立ちあらわれるのは、彼の文体のまぎれもない明るさとイメージの豊かさである。そこでは現実界を織りなす諸相が、生きいきした形をもってわれわれに迫ってくる。
オルテガ哲学の自他ともにゆるす後継者であり、良き解説者であるフリアン・マリアスは、(私のこの小論も彼の著わした『オルテガ・Ⅰ』(4)に沿って進むのであるが)、その理由として共通言語の持つ表現法の復権とその個性化、概念の劇化、表現の浸透性、隠喩などをあげているが、マリアスも鋭く指摘したように、このうち最も根源に横たわるものは、おそらく隠喩であろう。子の理由は、隠喩とは何かをひとたびつきとめるなら、自ずと分かることである。
たとえば、われわれは、「心の底から」という表現をたびたび使うが、これは陳腐だが隠隠に違いはない。つまり「底」という概念は、物質的・空問的なものに、たとえば「重箱の底」のような場合に使われることばだが、それがここでは精神的・非物質的なものに転用されているのである。「心の底から」という表現を聞いて、われわれはたしかに或る意味での実在を実感的に把握するのであって、これと同じ事実を、別の百万言を費やしてもこれほどリアルに表現することはできないのである。マリアスの言うように「隠喩は地味なものであり、まさに簡潔への確固とした意志から生まれるものである。たしかな隠喩は数えきれないほどの説明を節約し、まわり道をさけ、その望むところにまっすぐと行かせるものである。」(5)
だからある人が哲学の中に隠喩が使われることに反対をとなえるとしたら、それは多くの場合、哲学とは何か、隠喩とは何か、を知らぬことを端的に表わしていることになる。すなわち隠喩的に表現されていることを、つまり、斜めにゆがめられて言われていることを隠喩としてとることをせずに、字句通り真すぐに解釈しようと無理するところからくる誤解である。先ほどの例を引き合いに出せば、「心の底から」という表現を前にして、「何だ、精神的なものに〈底〉などという空間を表わす用語を使うとはけしからんではないか」という非難に、この誤解は相当する。だが、われわれを囲む世界が、そしてわれわれ自身が、彼の望むような直載な、すぱっとした表現の中に押しこめられないものであることが、大いに問題なのである。
隠喩は、相互に異なる事物間の同化(アシミラシオン)あるいは等置だと考えられてきた。しかしそれは間違いである。もし両者問の相似性だけを主張するなら、隠喩の魅力と効力は消滅し、ただ幾何学的な、意味のない観察が残るだけだろう。そうでなくて、隠喩は比べられる両者間を現実の相似性によりかかりながら、絶対的な同一性を(先ほどの例だと、「物体の底と心の [言ってみれば] 底との絶対的な同一性」)を主張する。そして現実にこれは非合理のこと故、実は逆に現実の非同一性を強調することになる。「メタフォラは非同一性の、まざまざとした意識につらぬかれている。」「ひとたび同一性が現実の像の中にはないことに気づいていても、隠喩はかたくなにそれをわれわれに押しつけてくる。そして一見それが(つまり同一性が)可能であるような別の世界にわれわれを押しやるのである。」だから、とオルテガは結論する、「各隠喩は世界についての、ひとつの法則の発見である」(6)と。この引用文は、純粋に美学的な著作からのものではあるが、オルテガの哲学思想とこれを比べ合わせる時、決して単に芸術や美学についてのことばでないことをわれわれは知る。なぜなら、この文章が発表される五年前の一九〇九年、つまりフッサールが “ldeen” (1913)において、現象学と実在としての意識の理論を発表する四年前、次のように隠喩について語っているからである。
「人間的感情、痛み、希望などのつまった倉から、ニュートンやライプニッツは微積分を引き出した。セルバンテスは美的メランコリーの精髄を、ブッダは宗教を。これらは三つの異なった世界である。材料はすべてに同一である。ただ精製の方法が違っていた。真実らしきものによって成る世界は、ひとつの特異な解釈にゆだねられた実在者の世界と、それなりに同一なのであり、この解釈とはすなわち隠喩である。」 (7)
隠喩は、だから現実の解釈である。われわれは、主に隠喩から成る世界に住んでいる。いや、それ以上にこれら隠喩は、日常現実の基礎であり、地下の動かすべくもない地層なのであって、われわれはその上に住んでいるのである。とすると、われわれと実在界との関係を理解させてくれるのはメタフォラであり、これこそ、われわれの世界をおおう丸天井のかなめ石だ、ということになる。
オルテガは、かくして、ギリシャから始まる過去の哲学史全体を、二つの大きな隠喩の線上に再構成してみせる。
(三)二大隠愉とは何か
二大隠愉のうち、第一のものは古代と中世を織りなす糸であり、第二のものは、ルネッサンスに始まる近世を織りなす糸である。
すなわち、古代人、中世人にとって、主体が対象に気づいた時、両者は共に類比的関係 (レラシオン・アナロガ) に入る、つまり双方がぶつかった時、一方は他方にその足跡を残すのだ、と考えた。つまりろう板(タブラ・セリーナ)に残されたしるしのように。プラトンはこれについて『テアイテトス』で述べ、アリストテレスも『霊魂について』の第三草でそれをくり返している。この隠喩は、その後ずっと中世の世界までをも支配するのである。一見すると、この説はもっともらしいが、しかし、物質的なもの(対象)と非物質的なものとを同列に置いている。意識や主客関係を何か現実の継起のように、つまりあたかも二つの物体がぶつかり合った時のように考えている。これがいわゆる実在論(リアリズム)と呼ばれるものである。
だが、ルネッサンス以後になると、この「ろう板と刻印」の隠喩は、新しい隠喩にとって代わられた。つまり「容器(コンティネンテ)と内容(コンテニード)」とに。事物は外部から意識に達するものではなく、かえってそれは意識の内容、つまりイデアなのである、と。だから意識外にある対象について語ることは、ひとつの仮定にすぎない。事物がある意味で、「われわれの中」にあることは疑いを入れない事実だが、しかし、われわれの外での存在は大いに疑わしいというのである。つまり、われわれが富士山を見ても、実は富士山そのものを見ているのではなく、われわれの中の表象を見ているのだ、というのである。ここでデカルトは一大革新をおこなった。すなわち、事物にとって唯一の確実な存在は、それらが思考された時の存在だ、というのである。このような新しい学説は観念論(イデアリズム)と呼ばれた。
言ってみれば、古代哲学は知覚(ぺルセプシオン)にかまけ、近代哲学は想像(イマヒナシオン)に焦点を合わせたというわけである。「ゲーテ、ライプニッツ、カント、ショウぺンハウエル、ニーチェ、これらの人々は幻想、想像力(Einbildungskraft)、表出、幻覚、夢を大いに高く評価した。ライプニッツは人間は小さな神だと言い、フィヒテは、われは総てなり、と喝破してもまだ物足りないと言ったろう。」(8)
ここで、一九二四年の著作「二大隠喩」は終わっているのだが、実は一九一六年ブエノス・アイレスで行なった講演の題目は「三大隠喩」であって、そこで彼独自のメタフォラを披瀝しているのである。では何故八年後の著作において、この第三の隠喩を省略したのであろうか。これは、マリアスも指摘しているように、オルテガが自分の思想を何か堅苦しい定式に押しこめるのを嫌うことからの結果だと思われる。だが、私の疑問に思うことは、定式のきらいなオルテガが何故古代、中世、近代の哲学を、以上のような簡単な二つの隠喩に統合したかということである。それ程簡単に割り切れるだろうか。だが、ともかく、その第三のメタフォらとは何かを次に見てみよう。
(四)第三の隠喩とは何か
自分たちと関係を持たないようなことについてわれわれは何も話すことはできないが、さて、われわれとの最小限の関係とは、意識上の関係(レラシオン・コンシエンテ)である。想像される限りもっとも異なる二つの事物は、にもかかわらず、われわれの精神にとっての対象である、という共通の特徴を持っている。つまりひとつの主体の対象である、というしるしを。
だが、意識といったものは、容器と内容との間の関係とか、主体と客体の同一性とはおよそかけ離れたものであり、可能な限りもっとも異なった二つのものである。対象と「私」は一方は他方に対しているのだが、しかも一方は他方の外にあり、又一方から他方を引き離すこともできない。主体と客体はお互いに還元できず、同時に不可分である。実在論が「私」をもうひとつの「もの」とする一方、観念論はすべてを「私」のうちにとり込んだが、オルテガは主体と客体を dei consentes つまり地中海沿岸の神話に見られる対(コンビ)になった神々、すなわち共に生まれ共に死なねばならぬ神々のような両者の共存を認めたのである。 観念論は、「私」と対象との他に、「内容」を含みつつむものとしての意識があると考えた。しかし、実際にあるのは「事物と共にある私」であり、オルテガはそれを realidad ejecutiva (9)(実効的現実)と名づけた。それに呼応するものは、あの有名な「我は我と我が環境なり」(Yo soy yo y mi circunstancia)である(10)。
だがオルテガは、この第三のメタフォラが唯一絶対のもの、などとは決して言っていない。それぞれの隠喩は相互補完をしなければならないというのである。人はこの態度を、あるいは相対主義的ときめつけるかも知れない。しかし彼の態度は、「これも真理だ、それも真理だ(結局どうでも良い)」という節操のない相対主義ではない。より正確に言うなら、彼の態度はパースぺクティヴィズム(perspectivismo)であって、これはアインシュタインの相対性原理に対応するものなのである。すなわち個々の実験的事実は観測者に相対的であるが、自然法則そのものは絶対的なのである。
オルテガの、以上のような隠喩の修正は、哲学的に見て決定的なものであった。なぜなら隠喩の中には、哲学がそれによって成るところの現実世界に関する一般的解釈が萌芽としてあるからである。だが、たとえ厳密な意味で概念的であっでも、ひとつの定式が一哲学全部をおおいつくすことができると考えるのは愚かな話であろう。「我は我と我が環境なり」という命題の中に、オルテガ哲学がすべて含まれるのではなく、この命題は、彼の全哲学を集約するかなめとして役立つ場合にのみ了解可能なのである。さて、このような哲学思想の凝縮(集約)と、それに続く解放の(つまり命題を現実化し、整える)働きは暗示や生きた照会、つまり感情の光暈を内含する暗示や照会であって、それは単に概念だけでは不十分である。ある哲学の命題は、内的必然によって、また隠喩的でなければならない所以である。
以上簡単に、オルテガ哲学における隠喩の意味を述べてみた。もっと説明を加えたいところが多々あるが、それはまた別の機会にしたい。
(註)
(1)吉本隆明『言語にとって美とは何か』、Ⅰ、154頁、昭和四〇年、勁草書房。
(2)“Ni vitalismo ni racionalimo”, Obras Completas, Ⅲ, p.270.
(3)“Una cuestión personal”(1931)
(4) Julián Marías, “Ortega Ⅰ: Circunstancia y vocación”, Revista de Occidente, Madrid, 1960.
(5)Ibid. pp. 308-309. これと同じことを鮎川信夫が『現代詩作法』で述べている。
「隠喩法には、〈もの〉との対象の観念とともに調和の観念も含まれており、それ自体が独立した表現として一つの全体性を形づくる傾向があります。それは言葉のスピードと経済を本旨とし、すくない言葉で、ある事柄を言いつくそうとする心であるとも言えましよう。」
(6)“Ensayo de estética a manera de prólogo” (1914), VI. 256.
(7)“Renan” (1909), I. 449.
(8)“Las dos grandes etaforas”, II. 390.
(9)Julián Marías, “Ortega I”, p.299.
(10)これについては、「ソフィア」1962年夏季号、アンセルモ・マタイス師の「初期オルテガ哲学の形成」に、くわしい論評が見られる。
『思惟』、第三号、上智大学哲学院、一九六六年