10. 呑気症 (1983年)


呑気症


 十三回の仮免などという縁起の悪い数を重ねてようやく取った免許の手前、といったら妙な話だが、一度車に慣れてしまうとめったなことで放せるものでなく、こんな狭い日本、車なんぞ愚の骨頂と思いつつ六年近くも乗ってしまった。もともと車は大嫌いで、雨の日にあたりかまわず泥水をはね散らかして走る車に向かって、轢くならひけとばかりに、つぼめた傘を槍に見たてて道の真中に仁王立ち。これでたいていの車は恐れをなして徐行する。走る凶器に乗りながら、気違い野郎は相手にせずといった程度の良識は持ち合わせているらしい。
 それほど嫌いだった車の免許をなぜ取る気になったかといえば、あるとき家族に病人が出、果ては自らも肺炎にかかるなどしてタクシーで病院通いをしたのがきっかけ。つまりこちらからは下手に出るのをいいことに、まことに非人情かつ高飛車な運転手諸君の客あしらい。そのたびになぐり合い寸前の口喧嘩。これじゃ精神衛生上も悪いと、さっそく近くの教習所に通いはじめたのがそもそもの始まりである。しかしそこでもまた横柄な教官たちの態度にがまんできず、個人教授に切り換えた。十三回というまことに不名誉な仮免試験の回数も、警視庁だか公安委員会だか知らないが、いわば政府直轄の試験場でのそれであるからくれぐれも誤解なきように。直接本人に会って確かめたわけではないが、五十回を越えてまだ頑張っている猛者もいるというから、三十代後半によくぞ十三回などという僅少の回数で合格したと、ほめられこそすれ憫笑を買ういわれはない。
 ところで、いまは意識して車という言葉を使ったつもりだが、時には自動車なんぞという古色蒼然たる言葉が、ついぽろりと出るところからも明らかなとおり、つまりある年代から上の人には分かってもらえると思うが、洋服やフォーク、ナイフといったものよりかはやはりなじみが薄く、どこかしっくり来ぬまま、それでも結構事故も起こさず(だてに十三回苦しんだのではない)今日まで来たわけだ。日本人に車は合わぬ、異物感がぬぐえない、などというかつての神話は崩壊して、やはりこれも慣れの問題で、近ごろの若い者らは結構格好よく車を乗りこなしている。だが、と繰り返し言うのもしゃくだが、私の場合どうもしっくなじめなかったことは事実だ。それに六カ月ごとの点検、二年ごとの車検とかがわずらわしく、それ以上に、まだ立派に乗れる車が値段のつけようもなくて廃車処分にされていくのは、使い捨て時代の必然と聞かされても、これは絶対になじめないし解せないことである。
 車によって確かに行動半径は飛躍的に拡大し、二年前の夏などは家族四人でスペイン中をレンタ・カーで走り回り、あれはあれですこぶる貴重な体験をさせてもらったが、また同時に、車によって行動が制限される側面もある。特に東京のような交通事情だと駐車が思うようにいかず、勝手知ったる道でないと、一方通行や進入禁止の標識などが急に出てきて不便この上ない。要するに点と点を結ぶには重宝であるが、面をおさえることはむつかしい。それに、つとめの帰りに一杯ひっかけることができないというのは、これは致命的な欠点である。
 そんなこんなで、この秋から車をやめて電車、バスを使うことにした。代わりに、山道も歩けるような底の深い(というのか)岩丈な靴と、疲れたときには電車のつり皮に両手でぶらさがることもできるショルダー・バッグを買った。
 といって、車をやめた最大の理由は、ガソリン代その他の維持費がいよいよ高く不経済であるというのが掛け値なしのところで、いままで述べてきた理由なんぞは、まあほんの刺し身のつまのようなものかも知れない。ところでもう一つ切実な理由もあって、つまり歩くことが極端に少なくなったことから来る体力のおとろえがもう無視できないまでになったことである。たとえばちょっとした階段を昇り降りすると、眼の前がかすんで動悸息切れが激しい。年齢相応の体力をどのように測定するのかは分からぬが、私の場合それが大幅に下回っていることは火を見るより明らかなのだ。
 ここに、人間は肉体と精神から成り、両者は相関関係にある、したがって健全なる精神は健全なる肉体に宿るといった、なにやら五輪マークと汗の臭いを思わせる古典的な人間観を持ち出すまでもあるまい。これまたしゃくだが、やはり肉体のおとろえは確実に精神にも及んでいるらしく、そのことがいやというほど分かるのは、いや分からせられるのは、文章作成能力においてである。たとえば最近、ハガキ一枚書くのさえ大変な苦痛を覚える。ひどいときになると、たった一枚の礼状を書くのに何時間も机の前での苦闘を強いられる。それに物事を順序立てて考えることができない。もっともこの方は、はるかな昔、すでに二〇代の後半から、時おり地底深く無気味な地鳴りを続ける疑惑のマグマを形成しており、以来そこから抜け出せる日をひたすら待ち続けてきたわけであるから、今さら言うのもおこがましい。しかしその度合いが、すなわち物事をしっかりと順序立てて考えることのできない度合いが、最近の肉体のおとろえで加速をつけたことはじゅうぶん考えられる。だいいち、こんな愚にもつかない駄文を節度なく書き散らしているのもその表われであろう。ハガキ一枚書くのに往生して、このような駄文を書くのにさして苦労を要しないというのは、何となく精神の状態というか硬度というか、それが露出してくるようで不愉快だ。
 不愉快ついでに、もう少し精神のおとろえ、あるいは精神の疲れについて書いてみよう。まず第一に指摘しなければならないのは、最近とみに人間というものが分からなくなってきたことである。もともと成熟というものを拒否し、あらゆる種類の形式化を侮蔑する傾きのある私に、これは当然の結果だと言えばいえそうだが、おやと意外に思うことがこれほど度重なると、さすがの私も不安になってくる。まさか私だって、人間というものが千差万別であり、自分と同一の価値観や好みを持っている人などいないことは分かっているが、それにしても、他人があまりに自分とは違う考えを持っていることに気づいて愕然とすることが、やたら多くなってきたのだ。それはこちらが純粋だからである、といくぶんかの矜持をもってそれに耐えていたが、最近その確信がぐらつきはじめ、もしかするとこれは肉体のおとろえから来る精神の幼児退行現象のようなものではないかと思えてきた。
 たとえば喜怒哀楽の表現の仕方においてである。つまり喜ぶときにはその喜びを満面に表わし、怒るときには髪の毛を逆立て、哀しいときには滂沱と涙を流すのが人間にとっての自然だと長いあいだ思ってきた。自分がそうであるから他人もまたそうに違いないと思いこんできた。しかしどうもそうではないらしい。そのように感情を直裁に表現することは、頭是ない子供には許されても、分別ある大人には絶対許されない行為、はしたないふるまいらしいのだ。
 しかしこの、感情をストレートに表現しないという訓練は、いったいいつ、どこで、どのようになされたのか。これはなにも邪推で言っているのではない。いや、やはり邪推か。だが、私の知らないうちに、たとえ悪意からではないにせよ、つまり私のうっかりから、そうした訓練のことが私には知らされなかったということもあり得ない話ではあるまい。そういえば、思い起こせば、これまでもつんぼ桟敷におかれた、というより他人から見れば自らをつんぼ桟敷においたことがいったい何度あったことだろう。物心ついたころのことから始めればそれこそキリがないので、たとえば高校生時代だが、ある朝、たしか学年末試験の初日の朝だったと思うが、校門の前に着くまで校舎が焼けおちていたことを知らなかった。遠い隣り町から通っている生徒までを含めて、前夜の火事を知らなかった者は、私以外に一人もいなかったという恐ろしい事実は、鉄槌のように私を打らのめした。まだくすぶっている焼け跡の整理に、だれに指揮されるでもなく黙々と従事している同級生たちの姿を茫然と眺めながら、ズック地のカバンのかくし場所を求めて灰色の脳細胞が目まぐるしく作動していたこと、ちびた朴歯の高下駄の上であやうく均衡を保ちながら、身体中から吹き出す冷汗の不快さに耐えていたあの朝のことが、まるで昨日のことのように思い返される。また大学生時代にも、ちょうど六〇年安保で世情騒然としていたころだが、またもや先全につんぼ桟敷におかれたことがある。ある晩、学生寮の食堂に降りていったら、だれもいない。時間をまちがえたかとあわてて時計を見たがふだんより遅いくらいの時間。小さなのぞき窓から炊事場の方をうかがってみても小母さんの姿が見えない。テーブルの上には、冷たい飯の入ったおひつと、あわてて用意したらしいさつま揚げとひじきのからまったやつが皿に盛られているばかり。仕方なく出がらしの茶を飯にかけて食べはじめたが、どうもおかしい。伝言板にも何も書かれておらず、今朝あたり何か言われたことがあったろうかと考えてみたか、何もなかったはずだ。後から分かったのだが、その晩、賄いの小母さんも含めて、二〇人近くいた寮生全員が安保反対のデモに出かけたということだ。
 だが以上二つの例は、私がたんに呑気者、粗忽者であることを証明するだけで、もしかすると人はそこに、自分を世俗にうとい流鼠のミューズとするずるい魂胆を指摘し非難するかも分からない。そうした魂胆が皆無だとは言うまい。事実先日も(だからいま例としてすぐ頭に浮かんだのだが)、同じ例を多少の粉飾を混じえて勤務先の女子大で話したところ、「ウッソー、ホントー、カッワイイー」と、まるで絵に画いたような現代風の反応が返ってきたのであるから。
 いや、そうではない。近ごろいよいよ人間が分からなくなってきたその原因をつらつら思いめぐらしているうちに、自分には何か根本的な欠陥があるのではないか、あるいは、人間であればだれでもいつかは納得し甘受しなければならぬ定めもしくは約束事のようなものを、自分は見すごし無視してきたのではないかということに思い至り、その徴候のようなものを過去に索めて見いだしたほんの一、二の例にすぎない。しかしそれにしてもやはり格好をつけたというか、当たりさわりのない例を出したものだとは思う。人間は真実から逃げたがる癖があるということの、それこそ格好の例かも知れない。車の話から始めて、体力のおとろえ、精神の疲れ、などとわれながら実にまわりくどい話をしたものだ。
「要するに彼は何を言いたいの?」
「おや、急に会話体になったな。今までくだくだ書いてきた “私” はどこに行った?」
「完全に書き詰まって、いや行き詰まってしまって、煙草をふかしながら窓の外を見ているよ」
「逃げたな。奴はいつもそうだぜ。物事を始めるのは始めるんだが、完成させたことはない。最近奴が別のところで、まだ書いてもいない長編小説のプロローグだけを発表したのは君も承知の通りだ。だから俺はひそかに奴のことを “ミスター・プロローグ” と呼んでいる。読んでみろよ、奴の書くものはみなチチェローネ、といったら聞こえはいいが、要するにすべて前口上さ」
「まあ一言弁解してやれば、彼はこの世の現象はすべて生成の過程、イン・フィエリの連なりと見ているということだろうな。しかしそれにしても今度の場合、何を言いたくて筆をとったのかかいもく要領をえない文章だ」
「そう、要するに、ちぇっ、思わず君の口ぐせが移ってしまった、まったくの他力本願なのさ。書いていくうちに何かが生まれてくると思ってやがる。そんなにたやすくミューズがほほえむはずもないのにな」
「いまふっと思いついたんだけどね」
「よしなよ、またまた奴の尻ぬぐいをするつもりかよ。癖になるから放っとけ」
「それはそうだけど。でもね、もしかすると彼は、体力のおとろえとか精神の疲れとか、問題の核心からずれたことを言っているけど、要するに、四十三歳にもなって」
「四十三歳にもなって」
「漫才じゃあるまいし合いの手は必要ないよ。要するにだね、自分が本当にエル・ブエノ、つまり善人であるかどうかに初めて疑問を持ち始めたということではないのかな」
「思いあがりもそこまでいけばご立派だな。自らを善人だなんて思って生きてる奴はいないぜ」
「そうかな。でも生き続けるってことは、自分は生きるに値すると思わなければ、少なくとも何かの取り柄があると思わなければできない相談だぜ」
「まあそれは認めてもいいけど。でも奴は本当に今まで自分を善人と思ってきたのかな」
「そうじゃないの。だって彼の言うことなすこと、すべて人間の善性を大前提に置いたものだからね」
「今様ドン・キホーテを気取っているわけか」
「要するに彼は呑気症というわけだ」
「何だいその呑気症ってのは?」
「つまり生まれつきというのか、いや、乳を飲みはじめた最初の日からと言えばよいのか、ともかく常人とは違う呼吸の仕方をはじめた人間の症状さ。たとえば水を飲むときにだね、かならず空気を一緒に飲みこむ」
「それじゃ腹が張ってたまらないだろう」
「だから見なよ、彼の腹を。中年ぶとりということもあるけれど、時に異常に腹がつき出ていることがあるだろう。あれじゃドン・キホーテでなくてサンチョ・パンサだが」
「ちょっと待てよ、ああそうか。ドン・キホーテのフランス語読みドン・キショットに呑気症を懸けたのか」
「いまごろ気づいたの、遅いね。しかし彼が呑気症だということは駄洒落じゃないよ」
「要するに奴は救いようのないほど呑気なんだ」
「どんきにのんきを懸けたね。それこそ正真正銘の駄洒落であり言葉遊びだ」
「この世に駄洒落で言葉遊びでないものがあるかい?」
「おや大きく出たね。そんなこと言うと、彼にいよいよ似てくるよ」
「いや真面目な話。だってそうじゃないか、この世の中、すべて “かのように” で動いてるぜ。みんな猫をかぶるんだか何をかぶるんだか知らないけどさ。現代風に言えばみんなブリツ子よ」
「それで先ほどの話にもどるけど、彼の出した二つの例の最初のものはまったく意味のないエピソードだけど、第二の例はね」
「ああ、安保反対のデモのことね」
「そう、あの例の意味するところは、要するに彼が時代そのものに取り残されているのではないかとの不安を持っていることの証拠じゃないかな」
「しかしあの場合、時代に乗り遅れたというより、わざと自分から乗り遅れたというのが真相らしいよ。奴には、みんなが走り出せば自分は立ち止まるという少々つむじ曲がりのところがあるから。つむじが三つもあるっていうじゃないか」       
「要するにずれているんだな。理想主義が完全に潰えた今になって、かつての理想主義を再興しようとしているのかも知れない。いやね、彼が出そうとして出せなかったもう一つの例があるんだよ」
「おや、他人のことがよく分かるね」
「とぼけるなよ、僕が “彼” で君も “彼” であることはだれでも知っているよ」
「……」
「その例というのはね、彼が最近つとめ先の大学で完全に孤立したということだ」
「しかしそれも孤立したというよりも、もっと正確に言うなら自らを孤立に追いこんだというのが真相ではないかな。つまり勝手すぎるんだよ。たとえ奴の言うことが間違っていないとしても、人間というものは理想だけではやっていけないからな」
「彼だってそのくらいのことは知っているだろうさ。だからね、君も言ったとおり、彼は今度のことで自らを孤立に追いこんだところがあるね」
「そういう風に言うと何やら悲壮感がただよってくるけど、つまりは面倒くさくなったのと違うかい? どこかで奴も書いていたように、案外奴の本音は “どうってこたねえ” らしいぜ。富士正晴流に言えば “どうなとなれ” 」
「それで思い出したんだけど、彼は昨日たまたま本屋でその『どうなとなれ』を購入して読んでみて、畜生って思ったらしいよ。つまり君と僕との会話のようなものがあそこにはふんだんに使われているからね」
「似てるけどまるっきり違うな。あっちの方がずっとしたたかだし、だいいちさんざんやったり書いたりした果ての “どうなとなれ” だけど、“彼” の場合は何もしないうちからの “どうってこたねえ” じゃないか」
「いやそればかりでなく、彼の名前の富士が一緒なのでだいぶくさってるらしいよ」
「しかし “彼” も変な奴だね。どこかでそのペン・ネームとやらの絵解きをやったこともあるらしいよ」
「語呂合わせというか音合わせのことだろう、逃亡者の? ところが今度はたんに音だけでなく意味も重なったと喜んでるらしいよ」
「ああそうか、一年後に奴が今のつとめ先をやめて静岡に移ることと関係があるんだろ? つまり富士山に近くなるからな」
「なんのかんのと言ったって、要するに逃げるわけだ。富士貞房とはなるほど言い得て妙だね。ドン・キホーテとはまるで反対だな。やはりサンチョ・パンサだ」
「いや、やっぱりドン・キホーテ。もっと正確に言うなら逆立ちしたドン・キホーテ。そこのところをスペイン語で説明するとね、風車小屋を怪物に見立てて突進する敢闘精神はノー・インポルタ(どうってこたねえ)なんだが、やっかいな近代的自我とやらを持ったドン・キホーテは、ノーとインポルタのあいだに自我つまりメ(me)を入れざるをえないんだな。ノー・メ・インポルタ、すなわち木枯紋次郎風に “拙者にはかかわりのねえこってござんす”、 要するに “知ったこっちゃない” になってしまう」
「またずいぶんと意気地のないドン・キホーテだね。ドン・キホーテの風上にも置けない」
「いやそう言いたもうな。“彼” にすれば精一杯の抵抗 のつもりなんだから。それにしてもむつかしいね “私” っていうのは」
「聖書の言葉じゃないけど、己れの生を得んと欲する者 はそれを失うからね。だけどその反対の無私の精神というのも怪しいものだしね。つまりいかにも無私でございって顔をして逆に強力に集団的エゴを押し出してくるやつがいるからね」
「うん、それもあるけど、俺の言うのはね、“彼” がなぜ俺たちをこのように狂言回しに登場させるかってことと関係している。つまり “彼” には、無私の精神とかエゴイズムとかいった問題以前に、そもそも “私” とは何かが分からないんじゃないかな。というのは、ウナムーノ流に言い換えるなら、自分が何者になりたいのかが分からないということだ」
「もちろんそれは、たとえば偉い学者になりたいとか百科事典に名前が載るような作家になりたいということとは別のことなんだろ?」
「そう別のことさ。もしそうだったら事は簡単なんだけどね」
「しかし自分は自分以外の何者でもありえないし、また将来とも自分以外の何者にもなりえないじゃないか」
「そりゃそうさ。だけど君は君自身であることに満足してるかい?」
「君の言う君はどっらの君だい?」
「………」
「いや何も君が困ることはないよ。なぜって “彼” があわてて僕たちの会話を最初からたどり始めたから。つまり最初の科白を仮にA、次をBが話したものとして、A、B、A、Bと確かめ直しているよ。窓の外を見ていたと思ったら、さっきから僕たちの話を盗み聞きしていたようだ」
「君だってそのことはとっくに気づいてたんだろ?」
「もちろん気づいてたさ。奴さんは特に例の語呂合わせ、つまり呑気症とドン・キホーテにいたく興味を持ち始めたらしい」
「そうか、いよいよ話に詰まって三題噺で落ちをつけるつもりらしいな」
「こちらも言葉使いがだんだん似てきてしまって、君と僕の区別もつかなくなってきたようだし、ここいらが潮時かな」
「見ろよ、案の定奴は俺たちから盗み聞きした話を始めるらしいや。ほらほら、奴の口が呑気症のことを言いたくてうずうずしている」

 まわりくどい話はこれまでにして、単刀直入に申し上げよう。実は何を隠そう、私は呑気症なのである。


『午後』創刊号、昭和五十八年