12. 私の薦めるこの一冊(2001年)


私の薦めるこの一冊


 たとえばよく話題にされることだが、無人島に一冊しか本を持って行けないとしたら何を持って行くかとか、この世に一冊しか残せないとしたら何を残すか、というような極限状況での選択ならいざ知らず、『レタマ』編集長から出された「この一冊」という題は、おそらくはスペイン語を学ぶ学生たちに何を薦めるかを問うているんでしょう。
 そうなると迷いなくオルテガの『ドン・キホーテをめぐる思索』を選ばせてもらう。『レタマ』の表紙裏を見ればすぐにも分かることだが、「レタマ」という言葉自体オルテガの本からとられたものだ。もう十五年以上も前、常葉にスペイン語学科ができてまもないころの話である。創設以来最初の学年末を前に一期生たちと相談して機関誌を作ろうということになった。少しずつ原稿がたまってきた段階で誌名を募集した。ところが、期日を過ぎてもまったく応募がなく、急遽、私が決めることになった、と思う。このところの記憶はまったくあやふやであるが、一期生に聞いて確かめる時間もないので先に進める。いろいろ迷ったが、誌名はスペイン語であること、「常葉」との関係で何か植物の名前にすること、そして何よりも「青春」を表現した言葉、というのがなんとなく頭に浮かんだ。そしてオルテガ初期作品の中に「青春」が植物とからめて表現されている有名な箇所があることを思い出した。「レタマ」に行き着いた経緯は以上の通りである。そして創刊号表紙裏にはオルテガの次のような言葉が引用された。
 「私の青春は私のものというより私の民族のそれであった。私の青春はスペインの歴史の道のほとりで、モーゼのレタマのように、すべて燃え尽きてしまった」
 モーゼのレタマとは、『出エジプト記』(第3章)の中でイスラエルの民を率いたモーゼに対して、道の辺のレタマが自ら燃え上がることによって神の出現を告げたという故事を指す。もちろんここでオルテガは宗教的な意味での神との出会いというより、もっと広くたとえば真理との劇的な出会い(晴天の霹靂、眼から鱗が落ちる、など)を言っている。
 いやそんなことよりも、この引用文が現在のものと違うことにお気づきだろうか。実はこれは、オルテガが一九一六年に発表した『人、作品、もの』という作品集の序文から取った言葉であって、現在のように『ドン・キホーテをめぐる思索』の文章に変わったのは第3号からなのだ。なぜ変えたかははっきりしない。たぶん「青春」を基調とする文章を選んだのはいいが、「すべて燃え尽きてしまった」というあたりが気になったのであろうか。ついでに白状すると、創刊号に書かれた「レタマ」の説明箇所には、実はとんでもないウソが紛れこんでいる。「マメ科の常緑落葉低木」という箇所である。「常緑」で「落葉」という組み合わせの植生などありえない。これは常葉(常緑)に無理に合わせようとインチキしたわけだが、しかし良心がとがめたのか、「常緑」に下線が引かれている(卒業生の中から植物学者や植木屋さんになった人がいないので実害があったとは思わないが)。
 ところで前述のように第3号からは現在のものに変わったのだが、その前後を補足引用するとこうなる。
 「文化的作業というものは、すべて生の解釈――解明、説明あるいは注釈――である。生とは、永遠のテキスト、そこで神が語られる道の辺に燃えるレタマである。文化――芸術あるいは科学あるいは政治――は注釈であり、生が自らの中で屈折することによって、光沢と秩序を得る生の様式なのだ」。
 ここには「生きること」と「学ぶこと」との相即不離の関係が明確に打ち出されている。ここでやっと本題にたどりつけたわけだ。つまりなぜ学生諸君にこの作品を薦めるか、その理由がこの短い文章の中に込められているからである。『ドン・キホーテをめぐる思索』はオルテガ三十歳のときの作品で、よく言われることだが、後の彼の思想がほぼ余すところなく表出されている。もちろんそれらは完成態としてではなく萌芽としてではあるが。あのあまりにも有名になった「私は私と私の環境である」という命題が初めて現れるのもこの作品の中である。
 実はこの定式にも重要なメッセージが続いているのだが、普段はまったくと言っていいほど引用されていない。それは「そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」という言葉である。ただしこの場合の「救い」も、先程のモーゼのレタマの場合と同じく、宗教的な意味での救いというより人間学的な救い、つまり自己完成(エンテレキア)ほどの意味であると言って間違いないのではなかろうか。
 ところで私自身がこの『ドン・キホーテをめぐる思索』に初めて出会ったのは、確か上智大学の三年生のときだと思う。講読の教科書であったマリア・デ・マエストゥの『20世紀散文作家アンソロジー』に収録されていた文章との出会いである。ただしそれは「レタマ」の箇所ではなく、次のもっとパセティックな文章との出会いであった。
 「いったい(¡Dios mío!)スペインとはなんだろう? 世界という広がりの中、数知れぬ民族にかこまれ、限りなき昨日と終わりなき明日のあいだで道に迷い、天体のまたたきの広大にして宇宙的な冷たさの下にある、このスペインとは、そもなにものか。ヨーロッパの精神的岬、ヨーロッパ大陸の魂の舳先たるこのスペインとは?」 なぜかこの言葉がすっかり気に入ってしまい、その後紛失してしまった教科書の裏表紙に抜き書きしたことを覚えている。結局この言葉に魅せられるようにしてスペイン思想の奥深い森の中に入ってしまったような気がする。ともあれこの青春の書には「課題としての生」など、オルテガ思想の円熟とともに明確になってくるさまざまな思索の端緒が随所に鏤(ちりば)められていて、「考えること」の楽しさ、いやそうではない「生きること」の奥深さを徹底的に教えられたように思う。何故「青春」の書かと言えば、彼によって物事の誕生の瞬間に立ち会う、原初の光景に立ち会うことを教えられたからだ。世間的常識で薄汚く曇り始めた眼差しを一瞬のうちに拭き清める効果絶大である。ぜひ読んでみてください。
 その後オルテガ以外の現代思想家に次々と出会っていくことになるが、その経過を大まかに言いきってしまうと、ウナムーノによって哲学の根源にある気配あるいは星雲のような問題群を啓示され、オルテガによってそれら問題解決のための方法論を伝授され、そしてそれを手がかりに「問題としてのスペイン」に立ち向かう具体策をカストロに教えられた、となろうか。
 ところで文字通りの蛇足ではあるが、本誌『レタマ』に妹があることをご存じだろうか。89年、私は常葉から八王子にある東京純心(当時は短大)に移り、そこでほどなく広報誌を創刊することになったのだが、それに『えにしだ』という名をつけた。「えにしだ」(スペイン語では hiniesta、日本名を漢字に直すと金雀枝)は「レタマ」と瓜二つ、というか同じものという説もある植物なのだ。つまり『出エジプト記』の件の植物は「やぶ zarza」と訳されることが多いように、植物学的に特定できない植物だということである。
 最後に蛇足の蛇足を言うと、私は来春、定年まで数年を残して教師生活に終止符を打ち、田舎で第二の人生を始めようと思っている。このまま教師生活を続けていくことに深い徒労感を覚えてきたからだが、しかし「えにしだ」の方はともかく、その創刊に加わった「レタマ」という苗木がその後も大きくたくましく成長を続けていることを思うと、自分の教師生活もそれほど徒労でもなかったのでは、といささかの矜持を覚えるのである。

(※本書にはいくつか翻訳があるが、筆者がかなり気合いを入れて改訳した未来社版をお薦めしたい)

常葉学園大学イスパノ・アメリカ文化研究会  機関誌 “RETAMA”
            第十七号、二〇〇一年