ウナムーノ書簡研究の一視点
はじめに
サラマンカ大学に付属するウナムーノ記念館には、生前ウナムーノが所有していた約六千にのぼる蔵書のほか、彼が名宛人となっている約四千通の書簡が保存されている (1)。もちろん後者はウナムーノ自身の書簡ではないが、彼が生前、この数以上の、少なくとも同数の書簡を書いたことはまちがいないだろう。われわれが驚嘆するのは、その数の多さはもちろんだが(しかし彼以上の手紙の書き手は珍らしいものでもあるまい)、彼が相手から受け取った手紙をそうして保存していたという事実の方である。この彼の、一種異様とも言うべき書簡愛好癖(epistolomania)を、いったいどう解釈したら良いものだろう。
しかし私がウナムーノの書簡に興味を持ち始めたのは、彼のこうした書簡マニアについてもさることながら、彼が一八九五年、当時スぺイン文壇の大御所的存在だったクラリン(Clarín, 本名 Leopardo Alas, 一八五二–一九〇一)にあてて書いた、いかにも人間くさい手紙を読んだときからであった(2)。そこで彼は、自分が世に売り出し、世間に認められるためには、クラリンの推輓がぜひとも必要なこと、どうか自分の作物に着目し、お墨つきをいただきたいものだと、恥も外聞もなく懇願している。私はここに、人間ウナムーノ、彼の言葉づかいを借りるなら、「肉と骨を備えた」(hombre de carne y hueso)具体的人間ウナムーノの赤裸々な姿を見たと思った。
⒈ ウナムーノの人間観
ウナムーノがその代表作『生の悲劇的感情』“Del sentimiento tragico de la vida”(一九一三年)の冒頭で述べた次の言葉は、もっとも良く彼の人間論の真髄を言いあてている。
「“われは人間なり。人間的なるいかなるものをもわれに無縁とは思わず” とローマの一喜劇作家は言った。私ならむしろこう言うであろう。“われは人間なり。われ以外のいかなる人間をもわれに無縁とは思わず” と。…(中略)…かくのごとく、一人の哲学者にあってわれわれにもっとも重要なのは人間なのだ」。(3)
彼は哲学者カントではなく、一八世紀前半から一九世紀初頭にかけて、ケーニヒスべルクで生まれそこで死んだ人間カントに注目する。すなわち彼にとって、テレンティウスの言う人間的という言葉からしていかにも抽象的に思われ、我慢ならないのである。
彼ミゲル・デ・ウナムーノは、一生をかけて、彼の全生命、彼の全肉体をかけて、おのれの、すなわち Miguel de Unamuno y Jugo の不滅を求めて闘った。極言するなら、彼の一生はまさに人間ウナムーノの創造であり、その不滅へのあくことなき追及であった。
そうであるならば、このきわめて人間的な思想家ウナムーノ理解のもっとも正統的な方法は、人問ウナムーノに焦点を合わせることではないのか。そしてそのための一つの有力な方法、近道は、彼の書簡にあるのではないか。
⒉ 彼は書簡をどうとらえていたか
彼の書簡愛好癖は生前から有名であり、そのことについて彼を非難する友人もまれではなかった。そうした非難に対して、彼は次のように答えている。
「かつて或る友人は、私のなかに書簡への度のすぎた嗜好つまり相手かまわず長文の手紙を書くという偏執が見られるといって、私をとがめたことがあった。しかし私は、私はもっとも豊饒な思想の多くをそうした手紙に負っているという事実を告白しなければならない。
……人によっては、観念を表現するという努力の度に、そしてその度合いに応じて観念が頭に浮かぶといった人もいるのだ。多くの人にとって、観念はそれを書きつけることによって想起され、そして多く書くのは、何事かを考えることができるためなのである。これについては、さまざまな国の文学においてもっとも高い評価を受けている天才たちが、非常に多作であったという面白い現象が見られる。
さて手紙に関してだが、私にいままで考えついた観念もしくはメタファーであっても、その多くを私は手紙に負っているのだと言わなければならない。一再ならず、私は書いている手紙の一節を利用して記事や、あるいはもっと息の長い本格的な作品を書くために手紙を中断したものである。
また、手紙を書くとき、人は通常自分の知っている相手、つまりかつては自分を見たことのある眼の持ち主、かつては自分に向けて語ったその声、握手をする際にその右手のぬくもりを生々しく感じたことのある相手に書くのがふつうである。そしてこのようなことが、手紙の中にある特別な熱気を帯びさせるのだ」(4)。
少し長い引用であるが、しかしここに作家ウナムーノの執筆の姿勢が典型的に現われている。つまり彼にとって書くという行為は、決して不特定多数を相手とする非人格的な行為ではなかった。もちろんだれであれたとえ公表を見こさないひそかな作業にあいてであれ、何らかの対象、相手を想定はするであろう。しかしウナムーノの場合、それが徹底的に自覚され、意識化されているのだ。彼が書簡に並々ならぬ愛好の念を有していたのも当然である。
現代文学のすぐれた批評家であるギリエルモ・デ・トーレも、ウナムーノの作品の多方面にわたる文学ジャンルの中から、どうしても一つを選ばなければならないとしたら、彼の人格がもっとも充溢して表現されている書簡を選ぶであろうと書いている (5)。
⒊ 他の文学ジャンルと書簡の関係
書簡の読者が一人、多くて数人を出ず、それに対して雑誌、新聞に発表する記事や作品あるいは単行本として書き下ろす作品が多数の読者を想定する、という事実は否定できい。しかし正直言って、ウナムーノの場合、両者のあいだに明確な区別を設けていたとは思われない。つまり両者のあいだに本質的な相違は見られないのだ。このことは、彼の作品がすべて特定の読者を相手の対話であったということでもある。いや、特定の読者を想定しての対話ですらないと言えよう。なぜならば彼の作品すべては、言うなれば大声のひとり言、あるいは己れ自身との対話、彼自身の言菓づかいを借りれば独対話(monodiálogo)であったとも言えるからだ。
「偉大な孤独者とは、ひとびとの間その精神をもっともふんだんに拡散させてきたひと、つまりもっとも社交的なひとなのである」。
「なぜなら孤独者は、自己のうちに社会全体を擁しているからである」。
「天才とはひとの集約されたもの、換言すれば個人の姿をとった民衆であり、人格となった人民なのだ。個性的側面をより多くもつというのは、究極的にはすべての人に共通するものをより多くもつ人である」(6)。
したがってウナムーノが手がけたさまざまなジャンル、すなわちエッセイ、小説、詩、戯曲など、すべては彼ミゲル・デ・ウナムーノの巨大な、豊かな人格の内部で繰り広げられる対話が、そのときどきの偶然性にうながされて取る形式にすぎず、それらのあいだに区別を設けることはほとんど意味をなさないのである。そしてわれわれは、ひとたびそのように相対化された外面的分類(ジャンル)に、もう一つのジャンルを、すなわち書簡形式の自己表白を正統な貿格を付与して付け加えなければならないであろう。
⒋ 現在までの書簡研究の状況
おそらく現代スぺイン文学において、ウナムーノほど多くの研究書の対象となっている作家はないであろう。しかし書簡研究についてはどうか。従来のウナムーノ研究書にもたしかに彼の書簡が断片的には引用されてきた。だが彼の書簡を正面きって、つまりぎりぎりの自己表現形式のひとつとして検対した研究書は、私の知るところ皆無である。
現在までの彼の全集のうちもっとも完備しているのは、一九六六年から一九七一年にかけて、ガルシア・ブランコ編集、エスセリセール社発行になる『全集』全九巻であるが、しかし残念なことに、この全集にも書簡集は含まれていない。現在まで種々の雑誌に時おり発表された書簡すら一書にまとめられることはなかった。
今春サラマンカを訪れた際、亡夫の遺志を受け継いでウナムーノ研究誌続刊のため奮闘しておられるガルシア・ブランコ未亡人にそのことについて質問したが、前記エスセリセール社は経済状態が思わしくなく、全集の第十巻にあたる「書簡集」の発行が遅れていること、他の出版社がそれを引き受けたがっているが、今までのいきさつからおいそれと鞍がえできないことなどを話してくれた。
それゆえ私の当座の目標は、現在まで散発的に公刊された彼の書簡を可能なかぎり集めそこから書簡研究の足がかりを見つけることであった。
いったいウナムーノは生涯何通ぐらいの手紙を書いたのだろうか。先ほど私は四千通以上、少なくとも同数の手紙を書いたはずだと推定した。しかし正確な数はもちろん分からない。そしてそのうちの何通が現存しているかについても明らかにはされていない。
最初に公刊されたウナムーノの書簡は、一八九九年から一九〇九年にかけて、ニ力ラグアの詩人ルべン・ダリーオにあてた八通の手紙である。これは一九二六年のことで、発表場所は『ルべン・ダリーオ全集』の第十三巻においてであった。このほか、ウサムーノ生存中、彼は相手の遺族の要望でいくつかの書簡集を準備したこともある。すなわちマラガリュ、クラリン、そしてポルトガル人マヌエル・ラランへイラとの往復書簡集である。しかしこれらはいずれも生前陽の目を見ることなく、実行に移されたのは彼の死後数年を経てであった。
公刊された彼の書簡は、前述のごとく彼の死後、種々の雑誌などに散発的に発表されたものばかりである。その主な相手を列挙すれば、Pedro Corominas, Juan Arzadum, Alberto Nin Frias, Ángel Ganivet, Casimiro Gonzalez Trilla, Pedro Jiménez Ilundain, Bogdan Radista, Teixeira de Pascoes, Benedetto Croce, Ricardo Rojas, Ferrira, Manuel Gálvez, Miguel Utrillo, José Martínez Ruiz (Azorín) などである。さらに忘れてならないのは、オルテガとの往復書簡で、これは一九五四年雑誌 “Revista de Occidente” 十月号に発表されたものであり、幸いなことに本年五月、わが国においても翻訳出版された(7)。
しかし以上のごとき厖大な数の書簡にも、その書かれた時期によって大まかながら相違が見られることも事実である。フリオ・ミゲルはそれを三つの時期に分けている (8)。
⒌ ウナムーノ書簡の三つの時期
まず第一期は、いまだ文学的名声を獲得せず、したがって彼の方から自発的に相手を選んで文通した時期にあたり、これらの書簡の特徴は、持に一八九七年の彼の宗教的危機の体験を頂点として、かなり宗教的雰囲気のまさった内容を含んでいる書簡群である。
第二期は、一九一四年の総長罷免を軸として、主に政治的な意思表明を内容とした書簡群が書かれた時期で、相手も、ウナムーノ自身の社会的文学的位置に見合う、各界第一線に立った人たちであり、かなり公的な意味を帯びた書簡である。
そして最後に第三期は、ウナムーノの亡命を中心とする時期で、ここに現われてくるウナムーノは、祖国スぺインを己れ自身と重ね合わせて、その不幸、不運をなげく憂国の哲人、詩人の姿である。詩人と特に銘打った理由は、この時期、ウナムーノはたいてい手紙の末尾に、その頃作った詩を加えているからである。
もちろんウナムーノは、ルべン・ダリーオの言うごとく (9)、つねに本質的に詩人であったが、故国スぺインからもぎり取られた己が魂の憂悶を吐き出すには、やはり詩が最上の形式だったのかも知れない。
⒍ ウナムーノ書簡研究の今後の課題
さて以上見てきたことからも推察できるのは、ウナムーノ書簡研究においてもっとも肥沃な地所は、まさしく第一期に書かれた書簡群であろうということである。なぜならば、ウナムーノはそこで、己れの内心をもっとも赤裸々に、未定形のままに露出させているからである。
ウナムーノの書簡は、一般的に言って知らせ(noticia)であるよりも内心の吐露(confesión)である。特に第一期においてこの傾向は著しい。たとえばヒメネス・イルンダインやフワン・アルウドゥンにあてた手紙などを読むと、ウナムーノの懐疑、苦悩、ためらいなどが痛いほどこちらに伝わってくる。
もちろんいままで、ウナムーノの伝記作家たちは、初期ウナムーノの宗教的危機を扱うに際して、これらの書簡を傍証として引用解説することはしてきた。しかしこれら書簡をまるごと、全体的に考察するならば、従来とは違ったウナムーノ像が出てきはしないだろうか。つまり傍証として、単なる裏づけとして書簡を用いるのではなく、書簡を考察の中心に据えてウナムーノ像再編成を試みることはできないだろうかということである。
現在までもっとも信用のおける、同時にすぐれたウナムーノ伝が、エミリオ・サルセード(10)のそれであることには異論がないであろうが、サルセードは、その著の最後のところに、大変面白い年譜を作っている。すなわちそれは生まれるべくして生まれなかったウナムーノの著作の目録である。おそらくこれは、ウナムーノの友人あての書簡から、サルセード自身が割り出した幻の著書なのだが、この一覧表を見て感慨深いのは、世間の前に評価定まって、そして或る意味では伝説化されて現われているウナムーノとは別のウナムーノ像がこの一覧表から透けて見えてくるということである。
形になって現われた、あるいは日付けをもって記録されうる事実だけが、人間の世の総体を構成しているのではない。もしもそれらのみによって人間の生が完結しているならば伝記とはまた何と単純明快なものであることか。
しかし生は、言葉の本質的な意味合いにおいてドラマである。オルテガの言葉を借りれば、生は二つの要素、すなわち「我」と世界との劇的かつ力動的統一なのだ。
したがって、生は単に客観的事実の集積でもなければ、単に主観的な、あるいは心理的な事実の集積でもないのである。人は己れの内部から聞こえてくる個人的命法、天命(vocación)に従おうとしながらも、しかし環境というものと苦闘するうちに、いつかその命法を歪曲したり変形したりする。したがって人間の本質的なドラマは、「そうありたいと願いながらもそうではありえなかった」自分と、「必らずしもそう願ったわけではなかったが、しかしそうならざるをえなかった」自分との両極をはさんで繰り広げられるダイナミックな関係そのものなのである。
この生の劇的性格について、現在までもっとも透徹した思想を展開したオルテガに再度登場してもらおう。
「こうした照明のもとで人間の生の構造を考えると、伝記作家がこれまであまり考慮を寄せなかった、二つの重要な問題が伝記にあることが分かります。その第一は、対象となる人物自身がまつたく意識しない場合もありますが、その人の天命がどのようなものであるかを明確にすることです。程度の差はあれ、どの人生も一種の廃墟であって、その人物がどんな人であったかはその砕片によってしか知ることはできないのです。…中略…その第二は、対象である人物の、その独自の運命、その可能性としての生への忠実度を測ることです。これが、その人の実際の生き方の真正度を知る手がかりとなります。
いちばん重要なのは、その人と世界との闘いもしくは外的運命との闘いなのではなく、その人と天命との闘いなのです」(11)。
ウナムーノは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を評釈しつつ、それをはるかに越え出て、彼独自のドン・キホーテ像を構築したが、その彼のドン・キホーテ哲学の真髄は、「拙者は自分が何者であるかを承知している」という一語に要約される。ウナムーノはこれを「自分は、自分が何になりたいか、何でありたいかを承知している」という意味に解釈している (12)。 実にウナムーノの一生は、彼がそうあらんと欲した自分を目指しての、熱情的逆説的苦闘以外の何物でもなかった。生の悲劇内感情もそこに根源を持っている。
ウナムーノも、先のオルテガと同じ文脈で、人間のドラマを次のように解釈した。「ある人間の内密の現実、真の現実、永遠の現実、詩的もしくは創造的現実とは何か。…中略…私はある人が神にとってそうあるところのもの――もし神にとってその人が何者かであればの話だが――、他の人間にとってそうあるところのもの、自分でそうあると思っているところのもの、のほかに自分はそうありたいと望んでいるところのものがあると思うのである。そしでこれこそ、つまり自分はそうありたいと望んでいるところのものこそ、彼の内部にあって、彼の内心の深みにおいて、創造者なのであり、本当の意味で実在している人間なのだ。私たちがそうあったところのものによってではなく、私たちがそうありたいと望んでいたものによって、私たちは救われるかあるいは滅びるのである」。
先に引用したオルテガによれば、人間の生のドラマにおいてもっとも重要なのは、人問と外的運命との闘いではなく、その人と天命との闘いであるが、いま引用したウナムーノの言葉に翻訳すれば、それは人がそうありたいと望んでいる自分と、神にとってそうあるところの自分とのあいだの闘いということになろう。事実、ウナムーノの一生は、天使とたたかったヤコブのそれのように、神との闘いのそれであったと言えるであろう。
そうしてみると、やはりウナムーノ書簡研究におてもっとも重要なのは、たとえば少年の頃神の招き(聖職者への)をこばんだ体験を初めて打ち明けたヒメネス・イルンダイン宛ての手紙 (13) のように、宗教的な色彩の濃い初期の書簡群と言えよう。
幸い、今回のスぺイン旅行によって、いままで公刊されたウナムーノの書簡の重要なものはほぼ全部コピーしてくることができた。私の書簡研究の歩みは遅々として進んでいないが、以上述べ来たった伝記作製の視点にできるかぎり忠実であることによって、従来のものとは自ら違ったウナムーノ像が浮かびあがるのではないかと期待している。
注
(1) Salcedo, Emilio: Vida de don Miguel de Unamuno, Anaya, Salamanca, 1970, pp.1-15.
(2) Ed. Adolfo Alas, Madrid, Ediciones Escorial, 1941, p.46.
(3) Obras Completas de Miguel de Unamuno, vol. VII, Escelicer, S. A ., Madrid, 1967, p.109.
(4) O. C., vol. VII, p.987.
(5) Guillermo de Torre: La difícil universalidad española, Madrid, Editorial Gredos, 1965, p.249.
(6) 神吉敬三、A・マタイス、J・マシア、佐々木孝編集『ウナムーノ著作集』第一巻「スぺインの本質」、法政大学出版局、二八一–二八二ぺージ。
(7) A・マタイス、J・マシア編『ウナムーノ、オルテガ往復書簡』、以文社、一九七四。
(8) “Estafeta Literaria”, nums.300-301, septiembre, 12-26, 1964, p.53.
(9) Cf. O. C. de Unamuno, vol. VI, p.553.
(10) Op. cit.
(11) Obras Completas de Ortega, vol.IV, 6 ed., Madrid, Revista de Occidente, pp.401-402. 川口正竹訳『芸術の非人間化』荒地出版社、一九六八、一四四―四五ぺージ参照。
(12) 神吉敬三、佐々木孝訳『キリスト教の苦悶』法政大学出版局、一九七〇、解説、一七五―–七六。
(13) Hernan Benites: El drama religioso de Unamuno, Buenos Aires, Universidad, Instituto de Publicaciones, 1949, pp.241-458.
昭和四十八年度文部省奨励研究在外研修員レポート